考えることと悩むことは違う
考える=悩む
と混同してしまうことが
多いと思うのだけど
実は違う
そもそも考えて悩んで
思考を巡らせて
一体何が欲しいの?
何かしらの納得とか正解が
欲しいんだよね
ゴールがぼんやりしていると
考えるとか悩む事自体が
目的になってしまう
思考を巡らせるのは
今まで得たもの
過去の経験や知識を
引っ張り出して
問題を解決するため
考えても
解決方法がわからないと
悩みになる
考える=悩み
ではなくて
考える→悩み
というのが本当かも
話は変わるけども
自分の事は
自分で一番よくわかっていると
私たちは思っている
本当にそうなのかな
例えば普段私たちは
自分の目で
「モノ」を見ている
今立っているところから
見える山だったり
木だったり
空だったり
こちらをちょっと遠くで
様子をうかがっている
猫だったり
隣で話している人の
薄茶色の瞳だったり
今自分が持っている
スターバックスのコーヒーだったり
適当な位置に離れたものだと
自分の目で見える
ただ
自分の顔となるとどうか
自分の目じゃ見えない
それは
目が顔の一部分だから
つまりは近すぎるから
近すぎると
私たちは見えなくなる
「自分」なのに
近すぎて見えない
目に見える顔でさえ
見ることが出来ないのに
目に見えない心なら
なおさら見えない
そしてさらに
「自分」
を見えなくさせるのは
「こんなこと言ったら
嫌われるんじゃなかろうか」
「本当は嫌だけど
こうすべきだから」
「これはルールだから」
「自分さえ我慢すれば
うまくいくはず」
「以前はこう対応したら
うまくいったから
今回もこれでいいかな」
「あの人が言うことは
間違いないから」
言い出したら
キリがないけども
日常生活の中で
「〜べき」
「〜なければならない」
という思い込み思考や
常識やルール
近しい人の考えに
影響されて
知らず知らずのうちに
「自分」がどうしたいのか
ってことがわからなくなる
そして「考え」て
答えを見つけよう
としているつもりが
「悩み」になり
どんどん迷路にはまって
本来のゴールにたどり着けない
ということが起こる
「どうしていいのかわからない!」
自分の事って
近すぎるがゆえに
意外とみることが出来ない
外からの埃や塵が
こびりついて
曇って見えなくなる
ことが多いのだ
自分の顔を見る時
私たちが使うアイテムに
「鏡」がある
仏教でいうと
「自分」を見る時
3つの鏡がある
といわれている
一つは自分鏡
二つ目は他人鏡
三つめは法鏡
ほんとは
さっと鏡を出して
自分鏡で見れたら
良いのだけども
それが汚れていたら?
汚れがひどければ
ひどいほど
落とすのには時間がかかる
だから
場合によっては
他人鏡で見てもらった方が
断然早い
どこに問題があるのか
どこを直せばいいのか
悩むなら
聞け
である
Nayuraは
よく食生活やダイエットの
アドバイスもする
(まさに自分の事はさて置き人の事はよく見える(笑))
20代後半男子
日常の習慣になっていた
ある飲み物をやめるよう
一言言ったところ
一年後
その子は劇的に
何もかもが変わった
クライアントさんではないので
いちいち話はしてない
私は外から見える面だけ
見ていたのだけども
まずは
目の輝きが変わった
エネルギーが変わったな
とはすぐにわかったのだけど
そこから
歩く姿も食生活も休日の過ごし方も
体型も何もかも
たぶん
近いうちに彼女が出来ると思う(笑)
正直
言った私本人は
そこまで変わるとは
思ってなかったのだけども
彼の場合は
そこに滞りがあるのは
明らかだったから
こんな風に
他人で
離れているからこそ
わかることがある
ただ
他人の助言を受け入れて
曇った自分鏡を
磨いていったのは
彼自身
結局
自分の中にしか答えはないし
こちらは
それをお手伝いするだけ
他人鏡は
自分鏡を磨くサポート
お分かりのように
曇った他人鏡は
さらに自分鏡を
曇らせるだけだから要注意(笑)
その見分け方はまた別の時に…
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