洋くんを救う会 | そうちゃん日記 

そうちゃん日記 

聡太郎は生後10ヶ月で拡張型心筋症と突然診断されました。
海外での心臓移植手術を目指した日々。しかし、移植手術を受ける事は出来ませんでした。
経験しなければ伝えられないことがあることを感じ、聡太郎の残した何かを伝えられたらと思います。

臓器移植法が改正されましたが、まだまだ海外へ渡航しなければならない現実があります。

洋くんを救う会

~洋くんの思い~

僕は2才のころ「拡張型心筋症」という心臓の病気にかかりました。八王子の病院に入院していましたが、そこではもうだめだと言われ山梨県の病院に転院し、そこで薬によって良くなり退院し、小学校の入学式に出ることができました。この六年間は何もなく、毎日楽しい日々がおくる事ができました。

中学1年の二学期にちょっと体を休めようと先生に言われ入院しました。僕は三学期には帰れてふつうの生活に戻どれると思っていたから、急変し移植の話にまでなった事がかんがえられませんでした。「なんで?」って聞いたってむだだというのは分っていましたが、頭の中はその言葉でいっぱいでした。

でも僕はだんだん理解でき、移植という治療に向けがんばっていこうという前向きな気持ちになれました。

それはいろんな人のはげましの言葉があったからです。
僕はこれからどんな事があっても前向きに考え、家族や友だちと笑い合える日々が来る事を信じています。

                                          横尾 洋(原文のまま転載)
~ご両親からの挨拶~

私たちの長男、洋は2才9カ月の時、拡張型心筋症と診断されました。最初はなかなか現実を受け入れることができず、しばらくはこの病気に関する情報から目をそむけていました。
しかし それは間違いなく現実であると日に日に実感を増し、インターネットで恐る恐る情報を検索していくと、なんとなく予想していたことが事実であると確証されました。
それからは、洋にこのような病気を背負わせてしまったことへの罪悪感と、私たち親が一生この子を病気から守っていかなければいけないという使命感、しかし自分たちに何ができるのか、もしかして死なせてしまうのではないかという絶望感、さまざまな思いが交錯する日々が続きました。
しかし、洋はそんな私たちの思いを吹き飛ばす勢いで、懸命な治療と看護のおかげで回復し、その年の9月には3才の誕生日を、元気に家族そろって迎えることができました。
その後、4才9カ月の時に再入院、再び闘病生活となり、さまざまな困難と出口の見えない暗いトンネルの中での日々が続きました。
面会に行くと、「おうちに帰りたい、おうちに帰りたい」と懇願されるのに、連れて帰ることができない無力な自分が腹立たしく、病院と家との往復の日々がむなしくさえ感じられました。こんな無力な親を前に、洋はいつの時もひたすら戦い続けていました。「おうちに帰る」ということを信じて、決してあきらめる事はしませんでした。
8ヶ月ほどの一喜一憂の日々を経て、やっと気づいたことがありました。それは、今過ぎていく一分一秒は間違いなく洋の時間なのだ、洋の人生の中の大切な時間なのだ、ということでした。
それならば一刻も早く、洋の時間を取り戻さなければいけないと奮起して、山梨大学医学部付属病院への転院を決断しました。
目的としていたバチスタ手術は適応外のためかないませんでしたが、内科的治療の甲斐あり、1年後「おうちへ帰る」目標が達せられる日がやってきました。
晴れて、小学校入学、そして卒業までの6年間一度も心不全での入院をすることなく、信じられないくらい元気な時間が続きました。
その間、洋と私たちは、さまざまな素晴らし出会いと体験を重ねてきました。病気をかかえながら普通に暮らす幸せ、病気を持っていたからこそ感じられる幸せを、その出会いと体験によって幾度も幾度も感じることができました。
そんな幸せな日々がすっかり当たり前になっていた昨年秋、中学に入学して約半年の頃洋の心臓はじわじわと病状が進行していたのでした。
医師からの心臓移植についての話、最初は他人事のような感覚で聞いていました。

その後、日に日に悪化していく病状を目の当たりにして初めて、それが現実なのだと理解しました。
国内での移植待機は今の洋には現実的ではないこと、海外での移植には多額の費用と数多くのリスクがともなうこと、移植後にも一生かかえていかなければならない条件があること、洋の将来、家族の時間、などさまざまな問題をひとつひとつ受け入れながら、海外での心臓移植という道を選択しました。
8年前、転院を決め、なんとしても洋の時間を取り戻すと決意した時と気持ちは同じです。ただ今回は並大抵の状況ではないということ、また、多くの方々に多大なるご迷惑をおかけするということ、このことをしっかりと肝に命じて決意いたしました。

今まで、洋や私たち家族が出会ったさまざまな関係の方々、たくさんの友達、洋を温かく見守って応援してくださった全ての方たちに感謝して、必ずまた元気な姿でお会いできることを信じて進むことが、私たちにできる恩返しと考えております。
発病から10年という月日を生きてこられた幸せと、ありがたくも移植という治療に進めることに心から感謝して、今、みなさまの温かいご支援ご協力を切にお願いする次第です。
どうか、みなさまのお力を貸して下さい。私たちを見守って下さい。よろしくお願い申し上げます。

                                                   母 横尾 恭子

2才で拡張型心筋症を発病して10年、洋はいろいろな事をがまんしてきました。
元気な身体だったらサッカーやバスケをやりたい、遠足、修学旅行でみんなと最後まで歩きたい、病気じゃなければ普通なこと、そんなたくさんの普通なことを我慢して今まで頑張ってきました。親として、代われるものなら代わってやりたい、そんな思いを繰り返してきた10年でした。
自分の心臓をあげてもいいと何度思ったことでしょうか、でもそれができない、悔しい、何で自分の息子がこんな病気に・・・何を思っても、洋の病気を治すことはできません。
でも、今まで、「洋君頑張ってるね」「洋君元気になったね」と、多くの方がかけて下さったその言葉が、病気だけれど何事にも一生懸命とりくんで得られる喜びを、洋に教えて下さり、洋を生かしていただいていたのだと思います。

これから、移植に向けて希望を持つ反面、不安もあります。支援してくださる沢山の方々の力をお借りして、家族みんなで頑張っていきたいと思います。どうか洋と家族のことを応援してください。よろしくお願いいたします.

                                                 父 横尾 和伸

以上、ホームページより。

洋くんを救う会事務局ブログ

産経新聞


心臓の筋肉の収縮が悪くなって拡張してしまう「特発性拡張型心筋症」を患い、心臓移植しか助かる道はないと診断された東京都日野市の中学1年生、横尾洋(ひろし)君(13)の両親が21日、東京都内で会見を開き、米国で移植手術を受けるための募金への支援を求めた。目標額は1億2千万円。父親で会社員の和伸さん(42)は「当初は海外での移植は考えていなかったが、残された道がそこしかないなら、そこに進もうと思った。皆様の協力をお願いしたい」と訴えた。

 洋君は2歳で特発性拡張型心筋症を発症。以降、心不全などを繰り返しながら闘病生活を続けており、現在の身長は128センチ、体重は19キロと通常の中学1年生に比べ極めて小さい。

 主治医で東京女子医大循環器小児科の清水美妃子医師によると、洋君の心臓の状況は非常に悪化しており、これ以上心臓が機能しなくなった場合は、移植を待つまでの間、補助人工心臓が必要という。

 しかし国内では現在、体重20キロ未満の患者に安全に使える補助人工心臓が承認されておらず、洋君は臓器提供まで待つことができない可能性が高い。米国ではコロンビア大が洋君の受け入れを認めているという。

 洋君は病と闘いながら、小学校で4年間にわたり仲間とともに合唱を続け、6年生の時にはNHK全国学校音楽コンクールに出場、全国3位となった努力家。中学では吹奏楽部でパーカッションに挑戦している。

 母親の恭子さん(41)は「病室にいる洋は、いつも痛みに耐えており、笑顔がなくなってしまった。洋の笑顔を取り戻すためにも最善を尽くし、前向きに進みたい。親としてできる限りのことをしてあげたい」と話している。

 募金の振り込みは、みずほ銀行高幡不動支店・普通口座1148331、口座名義は「ヒロシクンヲスクウカイ」など。問い合わせは「洋くんを救う会」事務局((電)042・506・5031)まで。
以上、産経新聞の記事より。