「言葉には力がある」

 

私はそう信じています。

それは「言霊」と言われているような霊的なものではありません。

もつと身近にある日常生活で使われている言葉です。

 

例えば母親が言ってくれる「お帰りなさい」「おはよう」「行ってらっしゃい」のような言葉です。

その力の存在は、それを失った時にしか分かりません。

残酷なことです。ありきたりの普通の日常がどれ位大切で幸せなことなのか、頭では分かっているつもりでも身に沁みるような実感が伴ってはいないのです。

 

池袋の母子交通事故とか山梨の行方不明女子の報道を目にするたびに、残された遺族の激痛を感じるのです。

 

日々の言葉と当たり前の日常を感謝しましょう。

 

親は子供に、子供は親に、そこに存在してくれていること、そのことだけでも感謝しましょう。

そこから当たり前の日常の言葉が体温がこもり、温かい優しさが詰まった言葉になるのです。

 

私の大好きな詩があります。

茨木のり子さんの「汲む-YYにー」というタイトルの一編です。

全文を載せておきます。どう感じてもらえるでしょうか?

 

大人になるというのは

すれっからしになることだと

思い込んでいた少女の頃

立ち居振舞の美しい

発音の正確な

素敵な女のひとと会いました

そのひとは私の背のびを見すかしたように

なにげない話に言いました

初々しさが大切なの

人に対しても世の中に対しても

人を人とも思わなくなったとき

堕落が始るのね

堕ちてゆくのを

隠そうとしても

隠せなくなった人を何人も見ました

私はどきんとし

そして深く悟りました

大人になってもどぎまぎしたっていいんだな

ぎこちない挨拶

醜く赤くなる

失語症

なめらかでないしぐさ

子供の悪態にさえ傷ついてしまう

頼りない生牡蠣のような感受性

それらを鍛える必要は少しもなかったのだな

年老いても咲きたての薔薇

柔らかく

外にむかってひらかれるのこそ難しい

あらゆる仕事

すべてのいい仕事の核には

震える弱いアンテナが隠されている

きっと、、、、

わたしもかってのあの人と同じくらいの年になりました 

たちかえり

今もときどきその意味を

ひっそり汲むことがあるのです

 

こんな詩です。

私は時々この詩に恥じない自分でいるかどうか読み返します。

そうしないと「まだ見ぬあなた」に会う資格が無いからです。

興味を持ってくださったら、赤坂の教室に来て私と取り止めのない話をしましょう。

一杯のコーヒーぐらいのお役には立てるでしょう。

 

 

福岡市中央区天神赤坂の 大学受験個別指導塾 創明ゼミ

塾長 上城 誠

 

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