昨日は、叔父の誕生日。そして、明日は私の誕生日。叔父は、誕生日を迎えたら70歳。古希かぁ…としみじみ思ってしまいます。母も古希…喜寿…傘寿と迎えて欲しかった。母がこんなに早く亡くなるなんて思いもしなかった。

 

 

そして、叔父の誕生日が近づくと、母が入院中届けられないから松花堂弁当を叔父に届けてと私に頼んだことを思い出します。去年もその母のことを思い出し、叔父にお弁当を届けました。今年も、誕生日付近にお弁当を届けようかなぁと考えています。きっと空から母は叔父の事を心配しているはずだから照れ『お母さん、今年もちゃんと届けるからね』

取り急ぎ昨日お祝いのLINEだけ叔父に送りました。

 

 

そして、私の誕生日に母が送ってくれたLINEのメッセージも思い出します。母が入院した2ヶ月ちょっとの期間、母と沢山のLINEのやりとりをしました。あの頃、母が欲しいと言えばすぐ買って届けていました。出来ることは何でもしてあげたかった。未だにあの短く怒涛の様な闘病生活がまるで夢の様で信じられない気持ちというか受け入れられずにいます。母のLINEもまだ読み返したり動画を見たり写真を直視することは出来ずにいます。2年間の今頃、母が手術をし退院に向けて少し明るい光が見えていた時だったなぁと思いだします。母も、早く退院して抗がん剤をしてQOLを維持しつつ少しでも長生きしようとしていたあの頃…。新しい洋服・バックを買って色々揃えてました。それなのに、ほぼ一度も袖を通さずに旅立ってしまった母。何でこんな早くこの世を去らなければいけなかったんだろうと考えてしまう日々。

 

 

毎日慌ただしく生活していますが、苦しくてたまりません。もう少ししたらお盆がきてその次はお彼岸…そして10月には三回忌。月日だけはどんどん経つのに、私の心は母がこの世を去ってしまったあの日から止まっています。

 

 

息子がふと母の事を思い出し、『きっとあーちゃん(母)だったら、こうしてたよね』なんて昨日も言ってくれて嬉しく感じました。ちゃんと息子の中に母の思い出が存在し思い出してくれることに涙が出そうになります。

 

 

昨日は、父のところにお惣菜を届け、お盆のお墓参りの日時を決めてきました。12日が月命日ですが、13日が迎え盆なので13日にお墓参りに行く予定です。

 

 

お母さん、13日にお墓に迎えに行くからね。