病院につき、泣きながら消化器外科の待合い室へと向かいました。そこには、父と叔父が…。

 

 

来た時には息をしてなくて、声かけても反応がなかったことを改めて伝えられました。そして、病院側から霊柩車を1時間以内に手配して欲しいと頼まれたので、叔父の知り合いの葬儀屋さんを手配したからと言われました。

 

 

霊柩車…葬儀屋…色々なことを言ってくるけど、私は全く頭がついていきませんでした。ついていかないというよりも、受け入れられない気持ちの方が大きかったと思います。今は、看護士さん達がエンゼルケアをしてくれているので、終わったら声をかけにきてくれると言われました。

 

 

そして、医師から何故こんなに早く亡くなってしまったか分からないから解剖をさせて欲しいと言われたけど、父は断ったと言っていました。これ以上もう母を傷つけたくないと…。今更、原因が分かったところで母が帰ってくる訳ではないのに、無駄に傷つけるのは嫌だったそうです。

 

 

確かに、それは一理あると思います。でも、2年~2年半と言った余命宣告がたった2ケ月でこの世を去らなくてはならなかった原因は知りたかった。泌尿器科のせいで2度も入院して高熱がでて体力を消耗させたからではないかとかそのせいで抗がん剤治療が1回しか出来なかったからではないかとか…。解剖で分かるなら知りたかった。

 

 

訳もわからず怒涛の様な2ケ月を過ごし、あっという間に亡くなってしまった母。癌は、自分の身の回りの整理が出来るし悪いことばかりじゃないねなんて言ってたのに。でも、2ヶ月間の内、1ヶ月も家にいられなかったよね。何もする時間がなかった。落ち着いたら一緒にまたどこか行こうと思っていたのに…親孝行も沢山してあげたかったのに…何も叶わなかった。

 

 

待合室で後悔に押しつぶされそうになっていました…。