教えや答えを得ることよりも、

自分自身の問いにとどまり、

問いを明らかにしていく過程が

学ぶことであり、覚醒の道でもあるのかもしれません。


何か、ここに気づくと楽に生きられるとか

目が開く、

そういう教えを私自身探し続けてきましたが


そうして得た答えは

教え自体は存在するとしても、

受け取り手次第なのだと。


万人に効く薬のような

教えはないということでした。


解釈自体、人によって違うでしょうし

知るタイミングもあります。


悟りの極意みたいなものを知ったとしても、

日々の中で、

仕事や人間関係、家族の間で浮かび上がる、

自身の不安や恐れに

どう現実の中で対応していくかは

当人次第です。


日々面倒だと感じること

人間関係の行き違い、

その中に、相手の問題もあるけれど

自分の問題もあるということに

気づき、改めてみることで

変化も起きます。


自分の問題や盲点に気づいたり、

私は悪くない!とか、

なんで理解されないんだろう?となるところから

一歩距離を取っていくため、

身体や感情に同一化し過ぎないためには、

日常からかけ離れた説明が役に立つ、


スピリチュアリティや悟りの教えは、

そんな位置づけだと思います。


心理学からだと、

私は悪くない!となる感情自体を

無理には変えない、とか

理解する、といったプロセスになります。


問いを明らかにする、深めるのは

問い自体に答えが内包されているから。


外側の教えはヒントになるけれど

解決そのものにはなりません。


問い自体にとどまって

経験、練習を重ねる、

そうするとまた、問いが明らかになる、深まる。


そのプロセスの繰り返しで

いつのまにか、成長や変化も起こるものではないかなと思います。