今月下旬から新しい事へ挑戦する。
これまでのように、結局は同じ業界で違う業務内容をする、というわけではない。
全く違う業界へ進むことになる。
その前に、身辺整理も含め、自分を振り返ってみようと思う。
2007年3月に北○学園大学大学院○学研究科○律学専攻修士課程を卒業後、研究生として2013年3月まで同大学院に在籍。
当時は奇跡を信じて修復的正義の勉強をしていた。発達障害の責任能力と刑罰の根拠がどう関連するのかを勉強していた。
2007年4月からは学費の一部を賄うために大学近郊の○饒古本店でアルバイトを開始する。
店主は学部生時代からお世話になっていて、とても良い人だったが、心臓が悪く、ペースメーカーを入れていたので障がい者だった。
入店と同時に体調不良を訴えるようになり、何だかんだいいながら買取り・販売等について仕込まれていた俺は、急遽店舗運営全般を任されるようになる。
繁忙期は増員されるアルバイト従業員の勤怠管理も行っていた。
店主の親父さんは、決して顔には出していなかったが、店の売上等を管理するようになると、この店が存続するのはかなり危険な状況だということが分かってきた。
入学式等がある4月、5月のみで1年分相当の売上をあげなければならず、しかしながら、年々その売上が減少していた…。
例えば1年間の運営資金として500万借入れをするが、400万円しか売上がないとすれば100万円の負債が残る。それを繰返し、不足分は多方面で借金をする自転車操業をしていたので、店主不在の影響によりますます危機的な状況に陥っていった。
※ 『え?400万で?』と思うかもしれませんが、障がい者年金も深く関わっているので、想像してみてください。
かつては借入以上の売上をたたき出していたので、何ら問題はなかったのだが…。
メインは大学で使用する教科書なのだが、大学側の教科書の売上を上げなければならず、その打開策として毎年少しずつ教授が加筆するという対応策をとり、その加筆部分を試験等に出すなどして、新品の教科書購入が不可欠にしたため、古書店の売上は減少し続ける一方だった。
店主の信用で借入が行われ店舗は維持されていたのだが、店主が入院、2008年1月に亡くなったため、取立て等が厳しく行われ、さらには4月の売上を巡って様々な争いが展開されるようになっていった…。
ハイエナ…とまでは言わないが、お金のあるところには嗅覚の鋭い者が群がることもよくわかった…。
1年近くほぼ無給に近い状況で店を守ってきたのだが、4万円の手切れ金で放出されることとなった。
ネット販売等で売上増加、在庫管理等の徹底で経費圧縮に成功したものの、その評価は著しく低かったといえる。
結果として、1000万円前後の負債があったので、不要なトラブルに巻き込まれずに済んでよかったのだが…。
クレーム対応から一切のことをやっていたのに…と不満は大きかったが、先輩のアドバイス等もあり、気持ちを切り替え、よい経験が出来たことに感謝し、大学院での勉強と就職活動を再開した。
大学院への進学は、就職活動の失敗からだったし、学部時代は遊び呆けていたので、知識も教養も著しく少なかったのに、教授の鶴の一声があったのかなかったのか、奇跡的に入学できただけだった。
本当に自分がやりたいことは何だったのか?
ただ権威と金、それらを楽して得たいと思っていた浅はかさに、今はその時の自分がいかに未熟だったのかと思わずにはいられない…。
ただ、肯定的に再定義すのであれば、その迷いにより紆余曲折したおかげで糧となるよい経験ができたと思う。
そういえば、大学院では本当に泥沼の人間関係にうんざりしたんだった…。
それは次の記事で書いていこうと思う。