ジョージ・オーウェルのこの作品,最高傑作と称されるだけあるものでした.

フィクション?いやこれはノンフィクションでしょう.

近い将来,必ずやこの作品に描かれている社会が到来するでしょう.

全体主義化した監視社会が我々の近未来社会なのだろうか?私はそうだと思う.

一望監視装置による支配の究極形態がこの監視社会なのである.

監視は,個人を暴露し,暴露によって個人を支配する.

監視はそもそも兵器として登場したものだ.孫子の兵法書にもあるように,情報を制するものが,戦場を支配し,最小限の被害で自己を勝利に導くのである.

至る所で盗撮・盗聴がなされ,自律的行動を強いられる.

監視の眼が至るところに潜んでいるのである.

監視が監視者を創造し,相互監視によって現体制を補完する.

かつては,技術が未熟ゆえに完全な人の支配が出来なかった.装いを暴くことが出来なかったからだ.拷問による生存本能の支配も完全ではなかったのだ.

しかし,技術革新はそれを可能にした.

本作品で描かれている社会がまさにそのテレマティーク社会なのだ.

それが全て,つまり党が全てになり,判断がままならなくなる.情報も意図的に改変され制限される.

驚異の監視社会.

現在の我々の社会はインターネットが普及し携帯電話が普及している.

ツイッターのあの事件.

匿名社会ゆえの簡易な密告.

恐ろしい社会はフィクションではなくノンフィクションになっているのだ.



一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)