景気が良い時は、大人になりきれない大人も大人として社会人としてで生活することを許される。無知で愚かな者であろうとも普通の生活が手に入るのである。
しかし、環境が変わり、不況になると、彼らのメッキは、恐るべき早さではげ落ち、子供のままの人間性を剥き出しにされてしまうのである。社会で威厳を持てなくなった彼らは、自分を維持するために必要な自尊心を維持するために、自分が絶対的に力を行使できる対象として、家族に死刑宣告を下す…。経済的に依存している過程は、一切の反撃を許されず、奴隷として精神的肉体的レイプの対象とされるのである。逃げたくても逃げられない経済的依存が、被害者をますます蝕んでゆくのである。我慢は、いずれ憎悪となり、一族に因縁を残し、例え、それに逆らおうとしようとも、因縁という死神に不幸の息吹をかけられ、不幸を宿命とされ、一族は、狂いに狂うことになる。例え、今は平穏であろうとも、それは、嵐の前の静けさでしかない。
負の連載を断ち切るのは何か、それを知る者は少ない。間違った習慣の重力から解放され、真理に則った生活をしなければ、我々に真の平穏は訪れないのである。
我々は、そして、大人になりきれない大人は特に、間違った自己の価値観を払拭し、真にあるべき姿のために、苦難の道を乗り越え、責務が果たせるよう成長しなければならないのである。