著作権の問題、公序良俗の問題は、十分に理解出来る。しかし、その制約が、本来の目的たる保護に反する侵害を行っているのである。これは、私の偏った考えというものではなく、事実なのである。
現在は、まさに、虚飾によって輝いている社会、別の言い方をすれば、メッキ社会であろう。商品は勿論、人までがメッキ仕立ての偽りだらけの社会である。悪く言えば、見た目さえよければ、中身はヘドロのようにドロドロに腐りきっていようとも社会では評価されてしまうということである。見た目もそうだが、それは言葉も同様である。本音を言えば、瞬く間に地の底まで転落してしまうのであり、言葉も嘘というメッキで取り繕わなければならない。そのうち嘘が本当になると言う人もいるが、ほとんどがメッキを剥がされ、ボロボがさらけ出されている。ボロを出さないために足のひっぱりあい…。そこには、もはや進化はなく、衰退しかないのである。
全てがそうではないが、これは増加に対する警告である。
自由に表現する、自由に情報を得る、それは良いものも悪いものも全てである。そうでなくては、本当の意味で純粋精練な清らかな心を形成出来ないであろう。今のままでは、その根本たる価値観が歪んでいる。教育者や保護者は、真の意味で困難に立ち向かうことが出来る、失敗しても立ち直る強さを子供たちに教え与えるべきである。偏った情報が、社会に出た時、世間知らずと言われ、それによる免疫の無い心はすぐに壊れてしまうのである。影あってこその光なのである。比較し、客観的視点を持たない人間は、悪く言えばその純粋さゆえに、正しければ人が死のうと構わないという人の痛みを知らない、デク人形となる可能性があるのである。生きる屍が増え続けているのは、まさにそれが原因だと私は思う。