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〇政治家に「政治家立候補資格国家試験」を

 

【So Called Politicians Are…】

 

ノンポリ。

 

僕が大学2年頃、1974年頃のことだと思う。同じ大学の2年先輩のシンペーさんという人にかわいがってもらっていた時期がある。よくゴハンをおごってくれたり、遊んでくれた。彼は確か医学部の学生だった。

 

どんな会話の流れだったのかは覚えてないが、彼があるときこんなことを言った。「吉岡なあ、お前、政治家なんて、俺たちより全然頭がいい連中が、死ぬ気で悪いこと考えてやってるんだ。俺たちにそのからくりなんてわかるわけないだろう(笑い)」

 

そのときは「ふーん、なるほど」と思っただけだった。彼は僕より2歳年上だったので学生運動をしていた最後の世代だと思う。角材なんかを持って、デモに行っていた。だから、それなりに政治に興味を持ち、体制に対して、反抗的だったのだろう。

 

その頃、いわゆる「ノンポリ(ノン・ポリティカル=政治に興味なし)」と「政治に興味あり」の境界線が昭和29年生まれ(1954年)あたりにあるのではないかとおぼろげに思っていた。1953年生まれ以前まではかなり学生運動などに興味がある世代だ。1954年、1955年生まれ以降は、「ノンポリ」になっていくという僕の見立てだ。(ちなみに僕は1955年2月生まれで、54年組と同学年)

 

僕はその頃はすっかり音楽に夢中になっていて、政治などにはまったく興味がなかった。というわけでこの先輩の言葉は頭の中をすうっと抜けていった。

 

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言葉。

 

それから20年くらい経っただろうか。日本の国がどうも怪しげな方向性に進んでいると感じるようになったとき、この言葉がふと思い浮かんだ。

 

特にここ10年、第二次安倍内閣になってからは、この政治家の劣化ぶりに心底あきれるようになった。

 

僕はこの人が第一次内閣になってまもなく、「ああ、この人は責任を取らない人なんだな」と直感した。何かとても官僚的で、逆に手柄だけはとって、失敗の責任は取らない、典型的な逃げの政治家と感じたのだ。それは以後数年で見事に証明されるのだが、だから、まさか再選し第二次内閣を作るなどとは夢にも思わなかった。そして、再選されたときに、逆にいったい首相になるにはどういう仕組み(からくり)があるのか、きっとこの人物はそのからくりだけはよく知りぬいていて、それをうまくやったんだろうな、とおぼろげに思った。

 

この第二次内閣ができたときに、僕の先輩で選挙には欠かさず通う僕の6歳年上のS氏が独特の勘で、「この二度目の内閣は長期政権になるぞ」と断言した。僕は、「いやあ、そんなことはない。絶対、ぼろが出て短命に終わる」と真っ向から対立した。

 

果たして、それから7年、彼の方が圧倒的に正しかったわけだ。「ボロはどんどん出てるが、なぜか延命する」というのが実際のところだが、延命していることだけは間違いない事実だ。

 

先の先輩の「政治家は死ぬほど頭使って」「悪いことをしている」から、我々にはばれないというのは、今はあたらない。今は悪いことはしているが、それほど頭使わずにやっていて、すぐにばれるわけだ。

 

政治家というのは、物を仕入れて何かを作ったり加工して製品にして売るという「実業」をしない。典型的な「虚業」だ。だから手柄を言葉にしたがる。もちろん、言葉で「仕組み」を作ることはある。しかし、基本的に政治家はただ言葉をしゃべるだけだ。もちろんその言葉が物事を動かすことは稀にある。しかし、常に日々の姿勢は、言葉が命ということになる。そうしたときに、国語力が弱いとなると致命的だ。

 

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国会議員立候補資格試験。

 

本当だったら国会議員になるためには、まず基本的な資格を試験で通過させるくらいが必要ではないかとさえ思えてくる。国家公務員になるためには、なかなか難しい公務員試験を受けなければならない。しかし、国会議員は、ノーチェックだ。国会議員立候補資格試験が必要となってきた。国語・社会・理科・算数・歴史・憲法・道徳などの科目が必要だろう。少なくとも、医師・弁護士並みの合格率にしたらどうだろうか。選挙立候補のための供託金よりも、この試験の合格点を立候補資格にしたらどうだろうか。そして、立候補するときにはその合格点数を表示する。その後これも、運転免許証更新のように4年ごとくらいに簡単な試験、あるいは講習などを実施してもいいのではないか。ひょっとして、今の700人近くの国会議員は半分以上不合格になるかもしれない。(笑)

 

現状の政治家の問題は、たとえば現首相の漢字に弱い、国会審議のときの相手の質問の意味を理解できない(あるいはわざとしない)、という基本的国語力の欠如に明らかだ。質問をはぐらかすために、わからないふりをすることもあるかもしれないが、理解できていないというほうが正しいのだろう。

 

そしていまもっとも不思議なのは、これほどの体たらくであっても、支持率が3割を超えているということだ。これこそ、世界の、日本の歴史の七不思議だ。しかし、こういう人物やシステムを選んでいるのも我々国民であることを再認識しないといけない。

 

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