祈りには動の祈りと静の祈りがある


佐藤初女さんの本で読んだ一節


初女さんは青森の山の中で「森のイスキア」を主宰し、病を負った人を受け入れて食物治癒をされていた


私もご縁をいただき、20年ほど前に一泊でお世話になった

一緒に台所にも立たせていただいた

あれは一つのターニングポイントだった



カトリック教徒だった初女さんは、教会で祈るようなお祈りは静の祈り、

ご飯を作っているときは動の祈りだと本に書いておられた


目の前の何かに没頭しているとき、

頭の中は無になっている

日常の煩わしいことやモヤモヤすることは

その間は頭からなくなる

ただ目の前のことに全神経が向かっているから



私にとってそれは編み物や縫い物をしている時

単純な動きをひたすら繰り返す

その時間は自分が空っぽになり

そのあと何かスッキリした感覚もある


最近は刺し子が、それ

ただ針を刺しては糸を引く

その繰り返しが気持ちいい

出来上がっていく縫い目をみるのも楽しい


スマホさえあれば暇しない世の中になり

私もスマホ依存気味だけど

スマホそっちのけのこういう時間が

人には必要だ