Re:ゼロから始める放送大学生活
去年の今ごろ、私はまったく別の未来を描いていた。
高校の教員免許を取得し、副業として非常勤講師の職を得る。そんな計画を、半ば本気で動かしていた。会社への副業申請も済ませ、着実に現実へと近づいていたはずだった。
実際、教員資格試験には合格した。まとめたKindle本は一時的にランキング1位にもなった。あとは教壇に立つだけ――そう思っていた時期が確かにあった。
それがいくつかの紆余曲折を経て、今年の4月から私は放送大学の学生になった。
「教える側」と「学ぶ側」の、想像以上の距離
教員を目指すことは「教える側」に立つことだ。一方、大学生であるということは「学ぶ側」に身を置くことを意味する。言葉にすれば当たり前のことだが、実際にその両方を行き来してみると、この違いは思っていた以上に大きい。
大きな投資から、小さな最適化へ
当初は「Macを学割で一気に買い替え、環境を整える」という大きな投資を考えていた。しかし今、優先順位は変わった。
小さく、着実に最適化すること。
今使っているMacはまだ十分に動く。ならば無理に替える必要はない。そう判断した上で最初に手をつけたのが、Amazon Prime Student への切り替えだった。これは単なる節約ではなく、「学ぶ側の環境に、自分の意識を合わせていく」プロセスに近いものだった。
学割と聞くとPCやソフトウェアといった「モノ」に意識が向きがちだ。だが実際に学生の立場に立つと、それ以外の恩恵の大きさに気づく。国立西洋美術館や東京国立近代美術館では企画展が無料になるケースもある。社会人のころは「少し高いな」と足が遠のいていた展示が、学生証一枚で一気に近くなる。学びのコストが、確実に下がる。
学ぶ側に戻って、見えてきたもの
教える側を目指していたときは、「どう伝えるか」に意識が向いていた。しかし今は、「どう理解するか」「どう自分の中に落とし込むか」に意識が向いている。同じ知識でも、立つ位置が変わると見える景色がまるで違う。
資格取得や自己研鑽に励む社会人なら、きっとこの感覚に覚えがあるはずだ。知識を「与える」のではなく「受け取る」姿勢に徹することの、あの集中と謙虚さ。それは決して後退ではなく、深化への入り口だと今は思っている。
教員になるはずだった人間が、学生になった。遠回りに見えるかもしれないが、いずれ教壇に立つ日が来たとしても、そのとき私は「学ぶ側を知っている教員」として立てるはずだ。
間違いではなく、もう一つの正解を選び直した結果として。


