〜ゆったりじっくり読んでもらいたい重要記事〜
2018.8.22
↑この記事に書いてある内容は、
いのちとの対話に取り掛かること以外にも、いろんな場面で起こりうることです。
なんだか、
だるくて、いつもどこかにモヤっとした重さを感じている。
やりたいこともあるけれど、
面倒くさくて、やる氣にならない。
だから、
とりあえず、
ゆったり過ごそう。
でも、
ゆったり過ごすことをしてみても、
その重だるさが解消されるわけではなく、
やっぱり、ずっとどこか、
重だるさや、モヤっと感を感じている。
そういうときは、
先の記事でも書いたように、
「面倒だ」系の発想とつながっていて、
「面倒だと思ってしまう」というのが、
自分の思いだど解釈している状態、
とうことがよくあります。
※その他にも、「せねばならない」系発想、「やっても上手くいかないんじゃないか」系発想、「やりたいけど、◯◯だし」系発想、「◯◯さんの何か言われるかもしれないし」系発想など、種類はいくつかありえます。
でもそれは、
「面倒だからモヤモヤしている」のではなく、
「面倒だ」系の発想と繋がっていることによって、
いのちが、モヤモヤ、重だるさ、と表現するような不快(もしくは中間)の感覚を出して、
『面倒だ系の発想は、いのちのエネルギーが活きる発想ではないよ』
『その発想は、不採用でいいよ』
ということを教えてくれているということなのです。
※ゆったり休むといったことが、そのときのいのちの本当の望みであれば、実際にゆったり過ごすことで、そのモヤモヤは消えていくことになるでしょう。
しかし、
そのことに氣づかずに、
従来の旧式の認識構造のまま、
「面倒だなぁ」
「なんだか重だるいし、やめておこう」
といった解釈になってしまうことで、
いのちの思いとは逆の選択になってしまうこともよくあることなのです。
その結果、
いのちの望むことは、
どんどん先延ばしになり、
じわじわといのちのしっくりから離れていってしまう。
当然、
いのちは、正直に、
モヤモヤ、だるさのような不快の感覚のサインを発し続けます。
休んでも解消されない重だるさ、モヤモヤ感
そういうときには、
いのちが望まない発想、いのちのエネルギーを滞らせるような発想と繋がって、
その発想を自分の思いだと解釈してしまっているような状態である可能性があるのです。
このことに氣づいているか、いないかで、
人生の選択とそれによる経験が本当に大きな違いになっていきますよね🌱
そのような状態から脱するには、
まず、「そういうことがあるのだ」ということをこうして知ること。
そして、
いのちとの対話の基本を活用し、
それらの「発想」と「いのちの感覚」の仕分けをすることによって、
モヤモヤ、だるさといった不快のサインを通して、
いのちが何を教えてくれていたのか
ということが明らかになるのです。
そのことに氣づき、
自分のいのちの望むことを正直に選択していくと、
いのちのエネルギーの巡りは自然に良くなり、
モヤモヤ、だるさの症状も出す必要性がなくなっていきます。
もちろん、
「やりたいこと」というのも、
いのちの感覚を確認して、それが本当にやりたいことなのかを確認することが大切です。
いのちにごまかしは通用しませんからねw
いのちのエネルギーはいつも正直ですからね( ˘͈ ᵕ ˘͈ )🌱✨
自分という存在のエネルギーである
いのちのエネルギーの感覚を確認していくことは、
自分自身のエネルギーの巡りを良くしていくことです✨
その心地良さやスッキリ感を味わうのも自分自身ですから、
やっておくことで、結局は自分が楽になりますからね🌱✨
さて、ぼくも、
いのちの感覚を確認してあげること、いのちに正直に選んでいきたいと思います(^-^)♫
とりあえず、ぼくのいのちがホッとする
ガジュ子ちゃんを眺めつつw
のんびりタイムにしよ〜っと☕️( ˘͈ ᵕ ˘͈ )🌱