【死生観・あの世とこの世】

我々がこの世に生を以って誕生した瞬間
もれなく『死』と云うイベントがギフトされる。

『誕生』と云う漢字の意味を
直訳すると『偽りに生まれる』となる。

『誕』と云う漢字の意味を調べると
うまれる、いつわる、ほしいまま…とある。

全体的でワンネスである霊界
『あの世』から『個』を経験する為に
『個の世』と云う本来ではない
『虚の世』と云うのがこの世と言える。

では、『あの世』の『あ』は
どう訳せるだろうか?

『阿吽《あ・うん》』は、
はじまりとおわりを意味し
『あ』は、吐く息
『うん』は、吸う息を指す。

赤ん坊は『オギャー』と
息を吐いて生まれ

やがて死が訪れると
我々は『息』を引き取る。





阿弥陀如来などに見られる
『阿』の『音』は、「本不生(ほんぷしょう)」という意味があります。 

阿は最初の一文字ということから、
すべての根源や本質を表し、それは
不生不滅であるという意味です。

不生不滅とは、生じることも滅することもなく、常住不変であることです。

それが『あ』の世界、『あの世』です。

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【陰陽まぐわいて調和と成す】

我々は、ひとつであった集合体である
ワンネスの世界『あの世』から
『個』の世界、いつわりの世に
繰り返し生まれて来る理由は、
そもそも何なのでしょうか?

死を迎えれば、やがて理想郷である
元居た世界に還ることが出来るのに
何故『個の世』に『阿の世』を創ろうと
する事を決してやめないのでしょうか?

偽りの世界に、偽わざる世界を
もたらすのがまるで使命かの様です。
あの世からの『使命』から『指名』を受け
『氏名』を与えられ命の終り『死命』の刻
まで『使命』を果たそうとするのが我々に
共通した『天命』なのかもしれません。

そう考えるなら、我々は
偽りの世界である『虚』に『実』を
もたらすことを根源の目標として
輪廻転生を繰り返しながら
『この世』に生まれることを
やめないのかもしれません。

分離された陰と陽の世界を
統合させることが我々の共通した
夢や目標なのかもしれません。

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【過去・現在・未来】

我々が存在し得るのは
『今この瞬間』と云う刹那のみです。

刻々とこの一瞬一瞬は、未来から
『今』に至り、過去に過ぎ去ります。

『今中』や『中今』など
今、この瞬間瞬間を生きよ!
なる言葉を目にしますが、
それは、一体どの様な理由で
その様に言われるのでしょうか?

それは『過』と『未』の間である
『今』に真の意味で身を置けたならば
『過未』つまり『神』なる神我に
気付けると云う暗示が、既に言葉の中に
古くから示されており、我々は無意識に
それらを感じ取って生きているのでは
ないでしょうか?


《過と未》清田益章氏の考察より引用


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【言葉遊び】

とは言え、こんな物は
単なるたわいもない
言葉遊びに過ぎません。

頭でこねくりまわして
それらしく伝えているに過ぎません。

あくまで『解釈』であり
真に知り得、体得できた訳ではありません。

この言葉遊びが、単なる遊びではなく
『あ』の世の理想世界を
『そ』険しく阻まれるこの世で
『び』美しく在りながら創るのが
我々のまことなる
『遊び方』なのやもしれません。

🌷SoulFlower Kamuy🌷