【柳田國男の巫女考】

私の身に、荼枳尼天なるイメージが
降りて来て以来、またもその考察を
深めるYouTube動画がおすすめに上がる。

それは、民俗学者柳田國男氏の
『巫女考』に描かれている。




この中で語られる『憑きもの筋』の
身の上が、まるで私の身の上に重なる。

それは、貧しい家に生まれ育ち
生計の足しに宣託を行う人達が一定数居た
歴史的背景に自分を見る氣がした。

富を得る憑きもの筋が居る一方で
貧困にあえぐ憑きもの筋が居り
中世ヨーロッパの魔女狩り同様に
宣託を行う巫女達を差別して排除する
行為がなされて来たと云う。

そう考えると非常に考察し易い。

いわれのない差別を受けて
社会的に排除、追放されて
生きていくことが出来ずに
飢えた巫女達がその恨みを募らせ
その怨念が眷属神達を悪しき怨霊に
変えてしまったのではないか?
…と考察できる。

そう考えるなら神の使いである
眷属であった様々な動物霊を
低級霊におとしめたのは人間であると
考えることもできまいか?

動物霊を恐れるより以前に
そう至らしめた人間の業を恐れるべきで
その人間の罪穢れを押し付けられた
眷属神達の怒りを覚えるのも無理はない。

彼等は、神そのものではなく
あくまでも『神の使い』であり
霊性において神と同等の我欲の無さや
懐の深さを持ち合わせて居ないのは
我々人間同様である。

言うなれば、人も眷属も神性に至るべく
共生しながら霊性を高めるパートナーと
して存在していたのではないだろうか。

狐憑きと恐れられる一方で
稲荷神社の祭神倉稲魂《ウカノミタマ》の
眷属神として狐は祀られており

三峯神社においては犬神が祀られている。

狛犬である獅子と一角獣。
馬や牛が祀られる神社も多くある。




象や猿、鳳凰の姿は、神社の社殿の彫刻に
されて装飾されている。

麒麟や龍、鳳凰などは今もなお
聖獣として広く知られ愛されている。

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【牧神パーン♑️】

私が幼少期の頃、蛍光灯のぶら下がった
電気のひもの下に手のひらに乗るくらいの
山羊が宙に浮かんでいる姿を日々見ていた。

いつの間に見なくなったが
その頃は、山羊と羊の区別すら出来ずで
私は星座で言えば山羊座なのだけど
ギリシャ神話に登場する牧神パーンと
幼少期に見た小さな山羊とが
何かしらの繋がりがあるのか否かは
未だにワカラナイままである。

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【霊的な嗅覚】

霊感や霊能力と言われる中で、
視覚的に霊を見ることの出来る人の他
音で感じ取る人やニオイで感じ取る人など
その能力において様々個性があるが、
その点においては、私は『嗅覚』で
霊の存在をキャッチ出来る。

関係のある無しは不明だが
その点において干支で言うなら
私は『戌年』である共通点が面白い。




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【天候を操る】

天候を自由自在に操れる程の術は無いが
梅雨時期に一度も傘をささずに過ごした
時があることや、自分の真上の空だけが
丸く雲に穴を開けてしまったり

小さ雲を狙って消す遊びを
していた頃もある。

その頃に、龍神を意識した事はなかったが
後に龍画を描くようになっている他、
池に龍神が棲むとされる氷川神社への
参拝がインスピレーションで降りて
そのすぐ後に、長野県の『辰野町』に
移住する事になった敬意もある。




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【荼枳尼天】

最近で言えば、狐にまたがり稲藁の束や
剣を持つ天女、荼枳尼天《ダキニテン》が
インスピレーションで降りて来たのが
最近のことである。




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【多くの眷属神】

こうして振り返ると、
山羊、犬、龍、狐…と
入れ替わり立ち替わり様々な
眷属神とのご縁があるのが分かる。

私の男性でありながら巫女的な個性。
男性ならではの審神者的な個性。

陰陽まぐわいて調和と成す…と
諏訪の守屋山へ行く道すがら
宣託を受けた事があるが
改めて自分の霊的質、個性を
見直すに至っている。

それが、本日
令和6年6月6日の新月であるとは
何かしら意味深く感じる所だ。

🌷SoulFlower Kamuy🌷