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SoulFlower Evangelistです





先日、10月3日
長野県のピラミッドと噂される
皆神山の皆神神社に行って来ました。








場所は、コチラですね。
〒381-1222 長野県長野市松代町豊栄 皆神山






確かに、不思議なカタチをした
違和感バリバリな山ですが…
正直言って、ピラミッドというには
あまりに懸け離れた御姿です(笑)


でもね、パワースポットなのは
間違いないと思います❤️✨




カッコイイ写真でしょ^_−☆



皆神山は、ピラミッドの噂の他、UFO目撃も多い他、オカルト好きには有名な、大本教の出口王仁三郎にも所縁があります。


そんな訳で、オカルト雑誌のムーが好きな人なら、すぐピンと来るかもしれませんね(笑)



ちなみに僕はムーは読みませんが、最近では、古神道の秘密を探る中、日本史講師で古事記の暗号など著書も多く出版されている、正当竹内文書の竹内宿禰73世の竹内睦泰先生がゲスト出演されるのを見つけてからは、ムーチューブは良く観ます(笑)







【由緒】

信州 松代 祈りと信仰の山 皆神山 熊野出速雄神社

御鎮座地
皆神山は、長野市松代町の東南に位置し、川中島平を一望に収める絶景地である。近年新日本百景の一つに挙げられ、松代群発地震の震源地として世界的に有名になった。形状が円錐形の見事な独立山のため古来より霊山として信仰の対象となり、最近では世界最大最古のピラミッドであるといわれている。標高六七九メ~トル、山麓の周囲は約八キロ、山頂は中の峰・東の峰・西の峰に分かれている。

御祭神
出速雄命(イズハヤオノミコト) 伊邪那岐命(イザナギノミコト) 伊邪那美命(イザナギノミコト) 速玉男命(ハヤタマオノミコト) 豫母都事解男命(ヨモツコトサカノオノミコト)
脇座に舒明天皇(ジョメイテンノウ)、古人大兄皇子(フルヒトオオエノオウジ)

 奈良時代養老2年(718)出速雄神社を奉祀と伝えられる。中世以後修験道が盛んとなり、熊野権現を勧請、大日如来・阿弥陀如来・弥勒菩薩の三仏各峰に安置し熊野三社大権現と称した。

境内社の侍従神社に鎮まる侍従大神(ジジュウオオカミ)は、佐久の内山城主内山美濃守満久の三男下野守三郎満顕であり、十三歳にして鞍馬山に入り密教を厳修、その後各霊山を巡り、内山氏滅亡のとき皆神山に入山、大日寺和合院宥賢と称した、後に侍従天狗坊と名乗り、皆神山の修験を完成させた。

弘治2年(1556)7月14日入定、在りし御影を木像に写して侍従坊大天狗明王と祀 った。正親町天皇永録・元亀の間(約四百四十年前)と伝わる。
北は戸隠、南は皆神山と修験道で長いあいだ栄え、先達和合院は皆神山八合目からうえ を領し、聖護院(京都・本山派山伏の本山)より川中島四郡(埴科・更級・水内・高井)の年行事職を命ぜられ、更にはほぼ信濃全域の本山派山伏の支配権を得ていた。

明治初期の神仏分離令・廃藩置県により山伏は全部が還俗、一切を上知し和合院も廃す るにいたり、出速雄命と熊野の神を熊野出速雄神社、侍従坊は侍従大神と奉斎した。

御神徳・御社殿
主祭神である出速雄命は、当地方開拓の祖神として天下の泰平と五穀豊穣をもたらす神 として崇敬される。現在の御社殿は康応元年(1389)の再建と伝えられ旧埴科郡中最古 の建造物といわれる。撞木造とする古い修験道の建築に認められる特徴が残っている。

侍従大神は「児育て・寿命・火防の神」として信仰され、この地方では子供を侍従坊の弟子にすれば無病息災に育つといわれ、子供が生れれば一度は参拝している。また、相殿には 食物をつかさどり養蚕を守護する女神大宜都比売命(おおげつひめのみこと)を配祀する。御社殿は、江戸時代後期の天保14年(1843)起工、弘化3年(1846)に竣工した

神社名
今から約1300年前に御神明を奉祀、祈りと信仰の山として、霊験あらたかなりといわれる皆神山に鎮座する熊野出速雄神社は、「皆神神社」と尊称され、広く崇敬されている。』となっている。
HARRY山科氏が行った宮司インタビューによると、侍従神社は、熊野出速雄神社の後ろにあったが善光寺地震で崩壊し、今の位置に立て替えられたらしい。また、「熊野出速雄神社」という社名も、「出速雄神社」とするべきものを、神仏判然令で神仏が分離されたときに「熊野」が残ってしまったらしい。出速雄命は、諏訪大神の三男とされている。


より抜粋


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御祭神の出速雄命《いずはやおのみこと》は、

出早雄命とも書きます。



Wikipediaには下記の様に記されています。




この中に書いてある、「洩矢神」とは、物部守屋の「もりや」であり、諏訪大社の御神体である「守屋山」のもりや。

この「もりや」は、洩矢、守屋、守矢…など様々に書かれるが、同一と考えてもらって良いです。


ただ、勘違いしやすいのは、諏訪大社の御祭神である建御名方が、諏訪にやって来る前の土着の神が「洩矢神」である。


物部守屋の洩矢神となると…
物部といえば、ニギハヤヒ《天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊》という神を祖とする訳だが、洩矢神がもともと居た土着の神とするなら、時代背景が合わないのである。



ここにまた、古事記の暗号が隠されていると言わざるを得ない。



そこで、注目してもらいたいのは、物部の古文書である旧事紀に記された名前《天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊》の名前からも分かる通り、男神アマテラスであること、またアマテラスとは「世襲名」であること。また古事記では、ニギハヤヒとは別の神である「天火明命」と同一神とされている点での謎がある。




「天火明命」=「ニギハヤヒ」同一神とすると、時代が合わないのである。



そう考えると、「ニギハヤヒ」もまたある意味において世襲名であると考えられる。



この辺りにおいても諏訪の神や諏訪族においても、まだまだ謎が多い。







この二つの宮の下に刻まれてる
文字が、下記の写真







ここで、六芒星がどーの
ユダヤの星がこーの
イスラエルの話がどーのこーの
…という内容のブログは沢山あるので


ここで、少しまとめたいと思います(笑)


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御頭祭

車戸 凛子

 諏訪大社には本殿が無く、背後の守屋山が御神体です。この“もりや”という名称に惹かれ、イスラエルの十支族帰還運動組織、アミシャブのトップであるアビハイル氏なども訪れて祈りを捧げています。ということは、この守屋山は、旧約の創世記で主がアブラハムに息子イサクを犠牲として捧げるよう命じた“モリヤの地”の象徴なのでしょうか?


 この諏訪大社では、御柱祭に代表されるような、数々の奇祭が行われます。中でも、毎年415日に上社の前宮で行われる御頭祭は異彩を放っています。


 現在の御頭祭では、約1.5メートルの御贄柱(おにえばしら)という木の柱と、剥製の鹿の頭が3頭供えられる以外は、一般的な神事と何ら変わりはありませんが、明治時代までは、かなり変わった神事が行われていました。


 鹿の頭を75頭供え、その中には必ず、耳の裂けた鹿があったといいます。他の供え物としては、白鷺、白兎、雉子、山鳥、鯉、鰤、鮒などの肉、米、海老、魚など、数多くの獣類があります。


 まずは、神官たちが供え物を下ろして食べ、酒を酌み交わします。その後、御贄柱を飾り立て、神の代わりともされる、紅の着物を着せられた御神(おんこう、おこう)という8歳ぐらいの子供がこの柱に縛り付けられます。神官がこの御神を小刀で刺そうとした瞬間、諏訪の国司の使者の乗った馬が登場してそれを止めさせ、御神は解放され、祭りは終わるのです。



中略


前述のように、“もりや”という名称はアブラハムとイサクに関わっている可能性があります。旧約では、主はアブラハムの信仰心を試すため、息子のイサクを生贄として奉げるよう命じましたが、アブラハムが命じられる通りに行動したので、主の御使いが止めさせました。




https://www.japan-pr.org/グループ/神社グループ/御頭祭/


より抜粋



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簡単に言えば、旧約聖書の中の


アブラハムとイサクのお話と


一緒じゃないかと言いたい訳です。






まとめると、

●諏訪信仰と旧約聖書の中の
アブラハムとイサクとの繋がりの謎

●洩矢神の謎

●物部、ニギハヤヒの謎

●諏訪族の謎


簡単に言えば、こうした謎解きを
歴史好きの人や古事記の研究者などが
各々、書籍やブログで書き連ねている訳です。



そして、僕もその一人で
諏訪信仰の謎や物部、洩矢神、ニギハヤヒ、また菅原道真公とその祖、アメノホヒの秘密を探っています。






天地カゴメ之宮建立由来
昭和49年1月23日、旧暦1月元旦、国常立大神お立ち上がりの神示あり。

諏訪大神より、2月5日節分から信州神業に発てと神示を受け、2月6日大雪の聖山神社へと向かう。

「皆神山へ行け。元の元の大元の大神様のお立ち上りと成りた。コトの大事の秘められし、その頂上なる神の御出現じゃ。」と神示あり、

ついで戸隠中社に於いて「この信洲、神の洲と書いて、神洲と読むことを知っているか、皆神山へ参れよ。」と神示を受けて、翌2月7日積雪の皆神山に初登山をする。

皆神神社神前にて午前10時入神状態となる。大勢の神々参集されたなか、神業は新しい大神様地上神界天降りを出産の型で示され、戴冠式の形となり全ての神儀終了は正午、この皆神山は古代より地球上において、神界で選ばれた唯一の聖地であり、宮も又同じなり。

天地カゴメ之宮は、上に元津御祖大神、また、ヒマラヤから国常立大神の元津神霊を宮の御大将と迎え、日之出大神はじめ天地八百万の神々、龍神眷属、モーゼ、キリスト、ギリシャ神話の神々に至るまで参集され、現在は伊都能売神業にあり、此度神々より皆神山守護のため宮の建立を許され、ここに謹んでお受け致した次第を印す。



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オカルト好きには有名な、大本教出口なお
また、出口王仁三郎については、名前をクリックするとWikipediaに飛びます。


皆神山を語る上で、欠かせない大本教。


竹内宿禰73世の竹内睦泰氏によると、出口王仁三郎の話は、かなり的を得た物が多いと言いますから、たんなる新興宗教と片付けるのも如何なものか…と思ったり思わなかったり(笑)






こちらは、僕の大好きな菅原道真公❤️
ぼくの守護霊さんでもあります。




祠の中には、かわいらしい
ちっちゃい天神さまが❤️✨




読者さまには、やや毒舌気味に読めてしまったかもしれませんが、この地を軽視している訳では決してありません。




この地は、間違いなく何かしらのパワーの集まる場所であり、聖地であったと僕自身もそう感じています。



天地カゴメ之宮建立由来のところに
記述されている…


「この信洲、神の洲と書いて、神洲と読むことを知っているか、皆神山へ参れよ。」




信州=神の洲



今回、僕が皆神神社に参拝し
一番心がざわついた点は、この一点です。




個人的見解ですが、
現在の長野県は、神の洲に程遠いと感じています。



しかしながら、この信州の地は
遥か太古の時代には、まさに神の洲と呼ぶに相応しい地であったと感じています。




山や川、植物や動物、虫たち…

そして、龍神や高木産霊などの自然霊達は、再び信州が“神の洲”と呼ぶに相応しい地への復活を願っている…


そう強く感じています。

僕は、既にその方法などの御神託も受けておりますが、正直いって…


どないせぇ〜っちゅうねん!!


…と思います。

愚痴りながらも、その願い叶えんと地道にのんびりマイペースに、やってます(笑)





僕の知る限りでは、この御神託みたいなの受け取った人って、たいがい宗教団体立ち上げて教祖とかになってるけど、俺…そゆの大嫌いやねん(笑)




で、多分神さま連中もそれ分かってて俺に言うてきてるのは分かるけど…




もちっと、人徳やら人動かすだけの権力やら人気やら、金持ってる人とか、ワカランけど…




俺に神託降ろして、どないせぇ〜っちゅうねん!!


…って、マジ思います( ̄▽ ̄)💦



この御神託ですが、そんなもんど素人の俺がどないするも何も、もう動いてる人はたくさん居るんですよぉ〜(笑)




その最たるがコチラ…やと思ってます。





















これらの動画みたときね
なんや、この船橋さんのやってるのって

御神託のまんまやん!!

…って思いました。
なんや、そしたら船橋さんて現代の神さまやん♫



って思いましたね(笑)



実践しまくってるし💦



俺なんか、頭ごなしに叱責されそうや(笑)



てな訳で、御神託受けたからって
偉くもなんとも無いのよぉ〜(笑)



偉そうに教祖になんかなってるより、船橋さんの活動の方が、ずっとずっとずぅ〜〜〜っと神々しい訳です❤️✨




…ってなことで、皆神山と御神託と協生農法のお話でやんした(笑)



追伸

皆神神社の参拝を終えて駐車場に戻ると、空には黄金の龍神のような雲が横たわっておりました。


よーさんの神々から背中押されて、プレッシャーだらけですわ(笑)










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