シズリンさんとのお別れ(おおたか静流) | 大岡英介

大岡英介

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沢山の方々がおおたか静流さんへのメッセージがある中
少なからず関わりがあった自分として誠に恐縮ながら書く事をお許し願います。

おおたか静流さんが2022年9月5日69歳で他界されました。

告別式には家族と近親者のみで行けず三重県の関係者達で集まりお別れ会をする事になりました。
自分が事故による体調不良で絶望的だった若い頃、喜納昌吉の『花』がきっかけで
(山本政志監督の映画「ロビンソンの庭」の最後の曲とされていた。)
彼女の歌に出会い癒しの異空間へと誘われ救われました。
時に弱者に寄り添い、古き良き歌を唄い世界中を巡り旅をしていた静流さん。
「またいつか会いましょう」と書かれた最後のメール。
昨日は数年前の何通かのメールを眺め1日が終わった。

こんな時期だからか皆でお別れも出来ないし挨拶も出来ないのは本当辛い。
この歳になるともう「今度はいつ会えるのだろう」と期待してはいけないのかな。
簡単には会えない時代になった事でライブイベントも減ったけど
少なからず何か受け継ぐ事はあるのかと考える。
今はまだ静流さんの歌を聞くと駄目になりそうなのでグッと我慢してるけど
自分だけでなく悲しんでる方はもっといるのだ。

静流さんを初めて見たのは1993年の熊野国際アートフィスティバル。
当時、自分は24歳。熊野詣を兼ねてひとり旅。
到着してすぐ弁天島のリハーサルから見てたのだが歌が始まると空気が変わり歌唱力とグルーヴ感が圧倒的だった。
弁天島に女神が降臨したような不思議な感覚だった。

熊野国際アートフィスティバルでは伝説の舞踏家、大須賀勇が率いる白虎社
グラフィック時代の横尾忠則など、この時に来ていた客やアーティストと偶然にも数年後に
共にアートイベントやライブをやる事になる。

2018年に静流さんのツアーで御一緒した時に
彼女が昔、南島町の漁港で行われた「芦浜から世界へ」
原発建設反対コンサートに出演された時に体調を崩されて
イベント関係者の方々に大変、お世話になったそうです。
その方の連絡をとりたいとの事で友人の伊勢のシャンバラのミキさんに連絡し
調べて頂きまして、その後もメールのやりとりをしてました。
いつか芦浜の方々に御恩を返したいとの事でイベントも考えていたのですが
残念ながらも新型コロナ感染が拡大し願い叶わず、それからお会いしていなかった。


彼女の歌に救われながらも真心と命を受け継ぎ少しでも静流さんのエッセンスと
自分の音楽としてお返しができるといいなと思う。
まだ、どうしたらいいかわからいけど尊敬と感謝を(愛)込めて心からご冥福を祈ります。
これからもずっとずっと、またいつか会える時は一緒に演奏したいなぁ。ありがとう。
そして静流さんとのご縁を頂いた方々に感謝を致します。