思いつきで書こう!VOL.1「変身」
――第一節――
何時もどおりの朝が来て、味気ない昼が過ぎ、退屈な夜が更けた。
そして奇妙な夢から覚めると、私は自分の体に違和感を感じた。
目覚ましの騒音が響く6畳一間のアパートの中で、理解する。
人のものでは無い、黒い光沢を放つ体。多すぎる手足。
もっとも手と足の境界は分からず、全てが気味の悪い虫のそれだった。
目覚ましの音が遠くに聞こえた。そんな気になった。変身しているのだ。
その年の最高気温を記録した夏のある日、私は一匹の虫となったのである。
――第二節――
突然の非日常の到来、私は自分に起きた変化を冷静に分析していた。
もうバイト先のローソンに行っても、相手をしてもらえないだろう。
求人広告を見ても「虫」を社員として認めている会社は皆無のはずだ。
私の現実は誰かの妄想と摩り替わってしまったのだ。
つまりこれからの生活に希望を見出すこと自体が筋違いだった。
でもだ。しかしだ。
私は断固としてこの不可解な現実に屈服しない所存である。
現実逃避は私の十八番だ。徹底的に目をそむけてやる。
私は意を決してドアに向かった。
手足が昨日までと勝手が違うので開閉に5分近くかかってしまった。
そして私は飛び出す。失われた私の現実の居場所へ。
――第三節――
かさかさかさと、私は耳慣れぬ足音を聞きながらアパートの廊下を進む。
普段の朝だった。
築20年を経てそこら中にサビが浮かぶ廊下。
アパートの前を肩を丸めながら歩く背広の中年男。
小鳥のさえずりの代わりに空に響くのはカラスの鳴き声。
私が何になろうと、世界は律儀に昨日までの日々を繰り返す。
――第四節――
私の部屋、つまりこのボロアパートの二階の一番奥の部屋。
その場所から数えて三番目の部屋。203号室。
その扉が静かに開いた。
中から出てきたのは中学生の男子。制服を着ている。
その男の子は一箇所だけはねた寝癖の頭をかき、
そして、欠伸交じりにこちらを向いた。何気なく。
どこかに隠れようと思ったが、遅かった。
私と寝癖の中学生は、目が合ってしまった。
騒がれると思った。昆虫リキッドで簡単に殺される展開だった。
しかし男の子は眠たそうな様子で一言。
「はよざいまーす」
――第五節――
思えばそれは至極当たり前の事象なのであった。
今日の朝、虫に変身していた時点で決まったのである。
私の現実は、人間の体と共に永遠に失われてしまった。
この日から私は一匹の虫として生きることを強要されたのである。
出会う人は皆、巨大な虫が道を這っていても気にも止めない。
ローソンでレジを担当しているのが黒光りしていても、驚かない。
虫を相手に談笑する。虫に相談を持ちかける。虫を許容する。
それはその年の最高気温を記録した、ある夏の日。
何かが狂った世界で、変化に気づいているのは私だけだった。
(了)