いつもこのブログをお読み頂き誠にありがとうございます。
今日は、私の幼少期のお話を説明させて頂ければと思います。
私の母は四国の愛媛県出身で、実家に帰って出産する予定だったようです。
そのため電車で山口県経由で船で愛媛に渡る途中で産気づいて山口市内の病院で生まれたようです。
その後大阪市内で育ちました。
私の幼少期は両親に本当に心配をかけたりする大変な子供だったと思います。
ヤンチャで怖がり、そして正義感の塊のような子供だったようです。
3歳ごろになるといつもテレビの音を最大ボリュームで聞いていたようで調べてもらった結果、耳がほとんど聞こえて
いないことが判明して、4歳になってから大きな病院で手術することになりました。
ここで大問題が、勃発 毎晩のようにベットの柵を乗り越えてベッドから落下して大きな声で泣いていたり、
また手術の前日には、お母さんおトイレに行ってくると行ったきり、待てど暮せど帰って来ないので病院中を探し回っていたようです。
しかし、私にはその記憶がありません。
大きくなった小学生の時に教えて貰いました。
見つけたのは明日手術する手術室の前にある待合席の暗いところに一人ポツンと座っていたようです。
両親はキリスト教を信仰していました、母親は、神様がこの子をもう見えない世界では手術が終わって無事によくなっている
のだと思ったそうです。
そして翌日、麻酔なしで、アデノイドを切り、手術を終えた途端何か白いものを見た後に意識がなくなりました。
先生からは術後しばらく血を吐いたりするかもと説明を受けていたようですが、目が覚めた途端喉が渇いたと泣きながら
牛乳を飲みたいとずっと泣いていたようで困った母は、主治医に確認したらそんなに痛くないのであれば飲ましてあげてくださいと言われ、200ccを全て飲み干したようです。
先生が事前に言っていたように血を吐いたりすることは一切なく無事によくなり、術後は随分、聴力が戻りました。
さらに5歳の頃には
お店をしていたのでお店の前が道路で車が頻繁に通る狭い道があり、母親を見つけて勢いよく見せから飛びたして、
車に撥ねられました。
運転手も子供を撥ねてしまったと青ざめながら車から出てきて車の前の方を探したり車の下を探していたようですが、見当たりませんでした。
恐る恐る車の前を確認すると子供が前に飛ばされることもなく、バンパーからボンネットにへばり付いていたようでした。
こんな奇跡を毎日のように体験していたようです。
これも序の口です。
幼稚園の時、公園で遊んでいた子供が血相をかいて、帰ってきたのを見つけた私がほうきを持ってまた出かけようとしたので、
どこに行くのか?なぜほうきを持って行くのか?と止められたので、怒りながら大きいお兄ちゃんが小さな女の子をからかっていたので、それを怒りに行くと言っていたのを宥めて止めたりしました。
自分の能力も理解せず、正義感だけで無謀な行動を起こす私を根気よく説得したそうです。
本当に困った正義感だと今では反省中です。
その後、小学校1年から3年になると、放課後は公園などで遊んでいたようで、ポン菓子の屋台、焼き芋や紙芝居のおじさん達に毎日のようについて回っていたようです。
ポン菓子に絡ませる砂糖を煮詰めるお手伝いをしたり、焼き芋屋の薪をくめたり、ずっと焼き芋屋さんに夕方までついて周り、帰りと言われてもなかなか帰らなかったので、焼き過ぎたからと言って焼き芋を3個4個新聞紙に包んでお母さん達に持って帰ってあげてと言われて嬉しくて持ち帰ると、母親からお金持っていないのになんで焼き芋を持って帰って来たのかを聞かれました
焼き芋屋さんに言われた通り話しても信じて貰えず、店のレジかどこかからお金も持ち出したのではと言われたので、
翌日、焼き芋屋のおじさんを探し回って、怒られたと訴えたら、わざわざ説明に来てくれました。
焼き芋屋のおじさんも本当に傍迷惑な子供だったにも関わらず、優しい方でした。
私の幼少期は、両親にとって本当に迷惑をかけ続けていました。
こんな私を見れば、大概の子供さんは素晴らしく良い子ではないでしょうか?