心が晴れている日、わたしたちはどこまでも歩いていけそうな気がします。
でも、心が感情の雲で覆われるとき、理由もなく涙がこぼれてきたり、気持ちに飲まれてしまったり、嵐の日には怒りや悲しみで心が大きく揺さぶられ、ただ立ち尽くすしかないように思えることも…
そういうことが生きていると幾度となくあるものです。
でも、不思議とずっと同じ空模様はないのです。
曇りもやがて薄れ、雨が虹を呼び、嵐さえも静けさを残し、晴れもいつかは戻る。
そう、わたしたちの心はまるでお天気のように気まぐれで、移ろいやすく、それさえも生きている証なのかもしれません。そうであるなら、心のスクリーンに映し出された感情の景色をそのまま眺めていてもいいのかもしれません。いつか通り過ぎるものだと、自然界の空を見上げるように。
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それでも、わたしたちの心が様々な感情で覆われても、青空がなくなることはないのです。
自然界の空も同じです。常にある透明な大気の中で、水の粒や氷の結晶が光を散らして雲が見えています。だから、厚い雲があっても、変わらず透明な大気があるのです。飛行機に乗るとわかりますね。雲や霧を抜け上昇した先にある、青く澄んだ一面の景色。
では、なぜ空は青いのでしょうか。
太陽光はさまざまな色が混ざっています。それが、大気を通ると青色が特に散らばりやすく、わたしたちの目には青い空が広がって見えるのです。太陽光が雨粒に当たると、水の反射や屈折で色ごとに分かれて、七色の虹が架かります。
つまり、青空は地球の仕組みそのものです。本来の大気の澄んだ透明さを青い色でわたしたちに毎日、見せてくれているのです。
そして、魂も青空そのものです。
感情という雲がそれを隠すことがあったとしても、汚れたり曇ったりすることは決してありません。
わたしたちはつい「こんな気持ちは嫌だ」「早く抜け出したい」「気分が晴れることはもうないかもしれない」などと思い、「こんな気持ちではいけない」「何とかしなくては」と自分を責めてしまうことがありますが、どんな感情もわたしたちの自然な反応の一部です。だから、まずは今を丸ごと認めて、心が感じる自然な状態を許すことで、変化の種が芽生えることもあるのです。
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青空は、曇らず、揺らがず、本質の透明さのまま存在しています。
雨の日は
大地を潤し
木々を育て
花を咲かせ
曇りの日には
光をやわらげ
休息を促し
嵐の日さえ
空気を浄化し
新しい風を運んでくる
感情も同じです。悲しみも怒りも迷いも不安も、つらいだけではなくて、わたしたちに何かを必ず気づかせてくれています。
だから大丈夫。無理に晴れやかな気持ちを創ろうとしなくても、心をゆっくり見ていても。
朝日を浴びるとき、風にそよぐ木々を見つめるとき、誰かと笑い合うとき、静かに目を閉じ呼吸をするとき…。日々の一瞬に、青空は顔をのぞかせてくれています。特別なことをしなくても、いつでも訪れているのです。
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どんな気持ちを抱いたとしても青空はここにあります。
それは魂が見ている景色そのものです。
澄んだままの色。
それを感じるときは、どんなときですか?
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海を眺めたり
森の中を歩いたり
星空を見上げたり
絵を描いたり
文章を書いたり
音楽を奏でたり
家族や友人や恋人
大切な人と笑い合うとき
語り合うとき
身体を動かすとき
呼吸に意識を向けるとき
困っている人を助けたり
感謝をされたり
… どんなときでもいいのです。
心が満たされ、生きていることを感じて、本当の自分と繋がる瞬間。
どんな感情があってもいいのです。
眺めているときがあっても、やがてまた歩き出す日が来るのです。
