私は、名作といわれる小説を繰り返し読み、ストーリーの行間にある思想などまでを味わうことが好きです。中でも私が大好きで、繰り返し読んでいるものはフランス文学のレ・ミゼラブルです❗レ・ミゼラブルを繰り返し読む理由は、色々な楽しみ方、学び方ができるからです💡

 

ストーリーが面白いことは言うまでもなく、緊迫感があり、低次から高次までの愛が描かれ、ハラハラドキドキ、うるうると、読者を退屈にはさせてくれません。

 

また、レ・ミゼラブルやノートルダムドパリが最も有名な作品として知られる、著者ユゴーですが、もともとは詩人だったそうです。そしてレ・ミゼラブルにも、詩的な表現が盛り込まれています。そのため、腰を据えて長編小説を読もうと意気込まなくても、ちょっとした合間に本を開き、そのお洒落な表現を味わうことができます😊

 

さらに、レ・ミゼラブルはワーテルローの戦い (1814年) や七月革命 (1830年) の時代が描かれていますが、当時の戦争や政治のみならず、文学、芸術等のあらゆる分野における有名人、また彼らの作品の登場人物や神々など、本当に幅広い分野を絡めています。なので、小説を読みながら、教養を身に着けることもできます。

 

そして、すべての人にとって最も重要な学びとして、レ・ミゼラブルはまるで経典のような書物に思います。「与えられた自分の短い人生を、どう生きるか」ということは誰もがぶちあたる普遍的なテーマですね🤔どんな態度で日々を過ごし、人と接すれば、愛に満ちた素晴らしい人生になるのかということを、レ・ミゼラブルから学べるのです❗

 

犯罪や貧困など、暗さが前面に押し出され、多くの“みじめな”登場人物に同情せずにはいられませんが、親に捨てられた少年が、何の見返りも求めずに道端で出会う小さな子供たちを助け、彼らに勇気を与え、無邪気に進んでお世話をする場面を読んでいるときは、自分こそが「みじめな人間」に思えてきました...😰

 

私が気に入っている“訓え”の一部を紹介したいと思います。以下、小説(新潮文庫/ 三十七刷)からの引用となります。

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(第一部 第二章 4)兄は、その男にどこの土地の者かということや、身の上を訊いたりしませんでした。それと申しますのも、その男の身の上にあやまちがありますので、兄はそれを思い出させるようなことは、一切避けたように思われました。(中略)兄はおそらく、このジャン・ヴァルジャンと申すこの男は、あまり自分のみじめさをいつも思っているので、それを紛らわせてやり、ほかの人間と変わりがないことを信じさせてやることが一番いいと考えたのでしょう。(中略)人に痛いところがあるときは、そこに全然触れないことが、最上の憐みではないでしょうか。

 

(第二部 第六章 2) 彼女たちは、「わたしの」という言葉を決して使わない。自分のものというものは何もなく、何ものにも執着してはならないのである。彼女たちは、あらゆるものにたいして「わたしたちの」ものという。(中略)自分がそれに愛着を持ちはじめたと気づいたときには、すぐさまそれを人に与えなければならない。 

 

第三部 第七章 1) 彼らは自己を捨て、自己を忘れ、自分のことは考えない。

 

(第三部 第八章 20) それはたしかに、恐怖にとらわれることもなく、取り乱したりすることを知らない魂であった。絶望的な場合でも、驚きを押さえることのできる人であった。

 

(第四部 第五章 4) 希望を持って、瞑想せよ。ああ!ただ肉体や、形や、外観だけを愛する者に不幸あれ!死がそれを奪ってしまうだろう。

 

(第四部 第三章 3) 一匹のダニだって重要である。小は大、大は小であり、すべてが必然の中で釣り合っている。(中略)この無尽蔵な全体のうちには、互いに軽蔑すべきものはなく、互いに必要とするものばかりだ。

 

(第五部 第九章 5) あのテナルディエ一家は、腹黒い奴らだった。でも許してやらなくてはいけない。