碁会所がなぜか休みなんで、うだうだしている。
・木谷門下の碁は戦いの碁、堅い
・林海峰の碁は手広い
・趙治勲の碁は手広い
・武宮正樹の碁は柔らかい
石田芳夫は
若き日の大竹、林海峰の碁をとりあげ
「大竹の碁はギリギリと音を立て、林はどこかふんわりとしている。
木谷門下と呉門下の違いかもしれない。」と言っている。
趙治勲はどこかのインタビューで
「最近の碁は狭い。僕なんかは古いタイプで広く碁盤を使う。
武宮さんなんかも中央をワッと囲うので狭くしている。」
武宮九段は自らの碁を碁盤を広く使うと言っているが上記の内容とは明らかに逆である。
中央を囲うのは、どこか一か所でも破れればその作戦は破たんする。
当然全局の打ちまわしは一貫していなければならない。
その全体が関連していることを「広く」と言っているのが、
逆に言えば、それ以外の手段(自分の手段、相手の手段両方とも)を殺しているので「狭くしている」。
現在の日本囲碁は木谷門が席巻した時代に比べると、手広い碁になっていると思う。
いろんな手段の可能性を殺すことなく最大限に利用しようとしている。
反面、韓国・中国の碁は狭くなっていると思う。
対局過多、制限時間短縮を考えれば当然のことか。
個人的には手広い碁に憧れる。
しかし位を高くして、攻めを基調とするとどうしても碁が狭く単調になる。