どうも広島県福山市崇興寺の住職を務めています枝廣です。
 
連日暑い日が続いていますね。
 
テレビ報道などでこの度の平成30年7月豪雨の全容があきらかになってきました。
予想を大きく上回る被害で自然の猛威を改めて知ったような気がします。三原本郷町や倉敷真備町など近くの地域に甚大な被害が出ていることを知りながらも、対岸の火事の如く見ている自分自身の姿が情けないです。しかしながら有難いことに、この三連休で約4万人のボランティアが各地域で活動をしたという報道をテレビで観ました。多くの善意が被災地に寄せられていることを知りました。
 
 
そんなボランティアについて、私なりに感じたことを少し書きたいと思います。
 
 
前回のブログで書かせて頂きましたが、7月11日に微力ながらに被災地ボランティアへ向かいました。私がボランティアへ入った場所は三原本郷町の立派な家屋でした。一階部分がほぼ浸水していて、家財道具のほとんどが使い物にならない状態でした。私達のチームは10代~50代の男女9名でした。その家屋では、既に家主の男性とその娘さんが作業をしていました。家主の男性が「おぉーこんなにたくさん来てくれたのか!ありがとうありがとう!」と喜んでくれました。私も内心『手伝いにきましたよー!』って心で胸を張りながら敷地内に入っていきました。
 
 
ボランティアへ入る人はもちろんみんなやる気で集まっています。そして明るいです。

泥が顔について「うわっ」と声を出したり、「こりゃ酷いな!」とか「腰いたいわ~」とかたわいのない会話をしながら作業をしていました。暑さ対策で休憩はこまめに取ります。初対面の人だらけなので、休憩時には自然と自己紹介をして会話も弾んでいました。
 
 
そんな休憩時間、家主の娘さんが私達に

「あそこに置いてたゴミ袋はドコ?まさか全部使ったの?」

と声をかけてこられました。怪訝そうな表情で明らかに怒っているようでした。「確かあそこの廊下にあったと思います」とチームの1人が答えると、何も答えずそちらの方へ歩いて行かれました。そのゴミ袋は家の中にある細々したものを入れてゴミに出す為のもので、もともとその家にあったものでした。私達はそのゴミ袋を使って作業するよう指示を受けていたので、特に女性が中心となって細々したものをゴミ袋へ集めて外へ出してました。
 
 
その時は「ん?怒ってる?なんだったんだろう…」と疑問に思いました。そのあとの作業中もその娘さんのことが気になって、チラチラみてしまいました。その娘さんは私達ボランティアとは全く言葉を交わさず、別の場所へ意識的に移動して作業しているように見えました。そして時折睨むように私達を見ているように感じました。
 
 
何だかよく分からない対応に「なんか愛想悪い人だな」と思いました。
 
 
作業時間終了を迎え、作業を終えた私達は「お疲れさまでしたー!」と、お互いを労いその場からボランティアセンターへ戻りました。そこでは、社会福祉協議会の方が濡れタオルや冷えたトマトなどを振る舞って下さいました。そして私を含めボランティアを終えた多くの方が集まり、タオルで顔を拭き、一服していました。その日の作業はそこで終わりなので、車で帰路についきました。
  

その時

『はぁ今日はよく頑張ったなぁ~。こんな暑い中で泥だらけで・・・。早く帰ってお風呂に入ろう~。』

と一種の達成感に浸っている自分に気づきました。
 
 
その瞬間ハッとこんなことを思いました。
 
「私は何故ボランティアに参加したのだろうか。ただ現地を見たかっただけ?自己顕示欲を満たしたかっただけ?エエカッコしたかっただけじゃないか?」と。
 
 
そんなことを考えていると、よく分からなかった家主の娘さんの言動が分かったような気がしました。
 
被災にあった方は途方に暮れ泣いておられるのだと思います。そんな悲惨な状態になっている我が家に、ズカズカと他人が上がり込んで、和気あいあいと作業していれば、そりゃ腹立ちます。私は、泥で汚れただ、疲れただ、暑いだ、そんなことを言いながら、スマホで勝手に写真も撮ってました。はたから見れば観光気分のように思われても仕方ありません。最低だと思います。自分は被災者のことを考えてのボランティア活動をしていたつもりでした。でもそんなことなかったのかも知れません。結局自分がしたかっただけなんじゃないかと思いました。
 
 
なんだか、このブログを書きながら情けなくなってきました。でもまぁ所詮私なんてこんなもんなんですよね。
 
 

仏教には「雑毒の善」という言葉があります。

私がおこなう善には、私の身勝手な想いが雑ざっているから「毒が雑ざっている善」であるというのです。どんなに善行に努めようとも、煩悩まみれの凡夫にはつとまらんのだと教えられます。ボランティアは正にこの「雑毒の善」だと思います。だって自分のできる範囲で無理のない範囲でやるんですから。本当に被災者の為を思ってやるなら全財産を投げうって自分の命をかけてやるんでしょう。でもそんなことできません。それが私の本質なのだと思います。
 
 
でもボランティアって凄く大切です。必要とされています。だから何が言いたいのかと言えば、ボランティアは
 
「雑毒の善と分かった上で努めること」
 
が大切なんじゃないかってことです。世間では「何もしないよりやる偽善」という言葉で語られていますが、つまりはそういうことだと思います。ボランティアすることに、たいそうな気持ちは持ち合わせていなくてもいいと思います。雑毒でいいんです。逆に「私は助けに来たんだ!」と妄信している立ち振る舞いで被災者を傷つけてしまうことがあるかもしれません。ボランティアは常に謙虚な姿勢で行い、最大限被災者に配慮していくことが求められると思います。
 

私はそれができていなかったと思い、とても反省しています。
 
 
長々と書いてしまって申し訳ありません。ここ数日自分の中で悶々としていたことを文字にしました。重苦しい内容で申し訳ないです。一日でも早く被災地が復興されることを心より願っています。
 
 
このブログをご覧くださりありがとうございました。
 
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