風邪の二等兵のブログ
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安倍総理と新自由主義について

はいコテヤンです。仕事が死ぬほど忙しく、というか今も忙しいのですがとりあえず書きたいので書いておきます。主に安倍総理及び新自由主義はどこに行こうかとしているのかを書きたいと思います。

1)消費税増税について
自民党はもともと消費税を上げる立場ではありましたが、そもそも論としてデフレ脱却してから上げるという話でした。
なのでGDPデフレーターも-0.1の状態で消費税増税の決断は全く支持できません。

2)TPPや規制緩和などの新自由主義的な政策について
まさかまさかの新自由主義的な政策をここまで押し出して来るとは思いもしませんでした。選挙前に瑞穂の国の資本主義とか言っておいてこれはないでしょう。明確な公約違反です。


んでね、個々の政策を論じるのは評論家とか御用学者とかそこら辺に任せておいてと。なぜ新自由主義的な考え方ちゅーのはこんなに強いんだろうと。そこら辺を考察していきたいのです。

1)人間は楽に流れる
2)大衆や民衆は容易に分断できる
3)大衆や民衆が一致団結するのは明日の飯に困ったときだけ

以上は前提条件として論じていきます。
先ず第一に本当に国民を大事にした政治というのは非常に面倒くさい。20人程度の雇用主のコテヤンですら面倒臭い。一億二千万人ならもっと面倒くさい。
その点新自由主義というものは設計、法律化してしまえば後の面倒はない。
というか一般的によく言われることだが、何かしら問題が生じても「自己責任!」といえるので非常に楽なのかもしれない。

第二にこれは民主主義の根幹を論じる問題だけれども、大衆、国民というものは非常に騙しやすく容易に分断できるので、反新自由主義的な勢力は孤立化させることが容易である。
では新自由主義的な勢力は誰かというと、主に大企業や御用学者等。

第三に民衆が一致団結するのは明日の飯に困ったときだけというのは歴史が証明しているかと思う。
ちなみにグローバリズムが進んだ結果、政治は企業の方を向かざるをえない。何故か?企業に資本異動の自由を与え過ぎた結果だろうと思う。
そしてその大企業が基本的に多くの人の飯のタネを握る結果となっている。つまり雇用。
雇用されている人間が自分が属する組織に向かって、そうおおっぴらに逆らえるものでもないのは明々白々。したがってグローバリズムの進んだ世界において、政治は民衆のためではなく企業のためという力学が働いても全く不思議ではないく、むしろ当然の帰結であるようにすら思える。


さてここまで見てきて、新自由主義に抗う力は民衆にはないのだろうか?
あると信じたいのだが、安倍内閣ですらこの有り様。政治学上においても大衆の支持というのは移ろいやすくそこまで重要なファクターではないと思う。
当初熱狂と協賛を持って迎えられた民主党政権(あの時にコテヤンは日本国民はアホの子か?とおもったがwww)においても大衆は「論理的に正しい政策を支持」するのではなく、単に目新しいもの、非論理的な期待感、そういったものを支持するだけだということは明明白白である。小泉政権の時もそう。
要するにパフォーマンスさえ上手ければ、すぐに騙されるといった性質を持っているのが大衆、国民なのだということ。

さて上述した「安倍内閣ですらこの有り様」ということだが、当初明確に「景気回復しなければ、デフレ脱却しなければ消費税は上げない」と公約していた人が何故あのような決断に至ったのか?最近ではTPPにおいて聖域をなくすという話まで出ている始末。
とどのつまり新自由主義的な勢力に「当初反新自由主義を標ぼうしていた内閣」が負けたという話なのだろうと思う。

そして民衆の支持はどうなっているのか?内閣支持率はどうなっているのか?高止まりを続けたままである。それが国民の力、知識がどの程度なのだろうという答えなのだと思う。
この現象は別に日本だけに限った話ではなく、世界的にそうなのだろうなという話です。

さて新自由主義が勢力を伸ばした先に、どういった世界が待っているのか?
1)富が富を呼ぶ弱肉強食
2)富が一定層に固定化し、新しい支配体制の確率
3)ゆるやかに経済全体が弱体化し、最終的には新自由主義の終りを迎える
4)新たなる主義の確立へ

第一に新自由主義がこのまま進むと仮定すれば、というかその可能性が非常に高いと思うのだけれども、いくつか喜ばしい話もある。無論それ以上に悲観的な話があるのだけれど。
1)国境の希薄化(良いという人には良い話なんじゃないですかね?)
2)戦争は経済戦争が主な手段となり、血の代わりにお金と支配権の確立へ
3)生存権などの近代法における権理の希薄化

まず1)だけれども小さな政府の統治などもはや企業は気にする必要がなくなる。というか力学的に小さな政府と大きなグローバル企業ならば企業の方が優勢になるのは明白。というか今なりつつある。
これによって国は権威を保てなくなるかもしれない。政治すら企業の力が強くなるのだから。

2)の項目ももはや現状ですら起きている。韓国では不平等条約の如きFTPを結ばされ、アメリカ大陸におけるNAFTAだっけか?においてはメキシコはアメリカに富の収奪にあっている現状。経済が政治を動かし、血の代わりに金を欲するようになるのではなかろうか?

3)だが企業の論理というのは基本的に金。それ以外は何もない。とどのつまり儲かりさえすればいいわけであって、最も効率的に金儲けをするにははっきり言うと人権は邪魔者以外の何物でもない。
グローバリズムに巻き込まれた日本の企業が一体どうなっていったのか?過剰な競争によって苦戦を強いられ、社員はサービス残業という名の奴隷化(賃金をもらわずに労働する)が当たり前。どこに憲法の「最低限の文化的生活が国民には保証される」があるというのか?

さて前段の1)はこんな状況。2)の富の固定化について。
当然ながら人権や教育についても富が偏在する限り、小さな政府である限り格差が出てくるわけで。
特に教育についてはエリートは生まれながらにエリート街道を走り、貧しい物はろくな教育を受けられないのでそもそもろくな仕事につけない。こういったことが予想されます。
教育を受けていない人間が一代で富をなすケースってどれだけ希薄はケースだよと。つまり富は固定化し、小さな政府故に再配分も低下し、生まれながらにして身分が決まってしまう世界が来るのでは?と思います。

さてそうなってきますと前段3)のゆるやかな衰退に入るのではないかなと。
で、最終的には4)の新たな主義の確立へ向かうのかなと思った次第です。その主義がマシな保証はどこにもないですけど。


長々と書き連ねましたが、コテヤンには新自由主義というのは滅び歌にしか聞こえないのですね。そしてそれに抗うには困難な条件がありすぎてやや悲観的にならざるを得ないと思うわけです。
どうやって抗っていくのか。それをもう一度安倍内閣の変節を期に考えようと思います。