むの氏による障碍女性への差別発言 とされるものの概略。

今から四十数年前に文字盤で意志を伝えるレベルの女性が、

半身不随?の男性との間に子供を授かり出産、そして育児。

その様をA新聞が記事として紹介した。

出産に関わった看護婦長がその記事を読み大変憤慨。

「どれ程医療関係者に負担を掛けたかーただの美談とする

A新聞は許せない」

この婦長の発言を耳にしたむの氏が

「社会的弱者は守らなきゃいけないという原則論は判る。

ただ 暮らすための家や車を寄越せ という身の程を知らぬ

要求は行き過ぎだ。」

A新聞はむの氏がかつて勤めた新聞社。

ジャーナリズムの中立性を厳しく問うむの氏としては、医療側の

苦労も伝えねばならぬとの気持ちと、何人たりとも法の下に平等

であるとはいえ過剰なる振る舞いは問題だとの気持ちが

同時にあったのでしょう。

ただむの氏をもってしても弱者への物申し方というのは難し

かったというのは匪石の感想。

「真の平等」とは対等に意見を交わせる間柄であろうと匪石は

考えます。

それは例えば社会的弱者とされる方々にでももし間違った行為

を見たならば率直に注意が出来るような。

しかし頑張って疲労困憊な者に「頑張れ」というエールは

「頑張っていないとでも?」

「頑張りが足りないとでも?」

「これ以上頑張れと?」

と聞こえてしまうように、社会的弱点を有する人たちの感受性は

擦り剝けた肌のような感受性なのです。

「権利と感謝と平等」の項で書きました。

「明日は我が身」「お互い様」という心と、

健常者対社会的弱者 に限らず他者や社会からナニか助けを

受けたなら「感謝」の意を表する。

「サンキュー」「ユーアーウェルカム」

もし出産の現場にそれが有ったならば違ったんじゃないだろうか。

更にむの氏の悪手は、その看護婦長の発言も伝聞であり、

ジャーナリズムの在り方を問い続ける氏が事実確認≒裏取りを

どうやらしないまま講演会で使用してしまった点。

四十数年前というと丁度匪石がむの氏の詩集「たいまつ」に

夢中になっていた頃。

そんな頃にそんな出来事があったとは。

むの氏に失望はしません。

言葉は言の葉であり、真意を伝えるというコトの難しさを改めて知る

出来事で改めてむのたけじ氏から学んだ次第。