昭和の家族団欒が「八時だよ全員集合」だったなら、

我が家の平成の団欒は「内村プロデュース」でしたね。

家族みんなで笑っていました。

♪おいでよ 墨田区~♪

今回訪れた両国は墨田区になります。

少しぃゃ普段靴をほとんど履かずに暮らしている匪石からしますと

滅茶苦茶散策致しました。

まんず駅そばの名店だという やぶ八 で蕎麦と天丼で腹を満たしてから

隅田川のほとり。

そして今回の旅の二つ目の目的。

鬼平犯科帳の舞台となるそうですから聖地巡りをー

ただね、結論を先に申しますと、関東大震災や空襲で江戸情緒なる風情は

ほとんど失われたんでしょうかね、

池波正太郎先生もかつてのこの辺りという感じで物語りを紡いでいかれのでしょう。

こうして立て札があるだけでして、歩き回ったわりにはそれほど見所が

あったワケではありません。まさに足を棒にした甲斐キャノンが無い・・・

しかぁしっ!

転んでもただでは起きぬのが匪石の引き寄せ力ウインク

これはまったくの偶然に辿り着きです。

江島の杉山神社。

1610年に三重県に生まれた杉山和一という人物は、幼き頃に視力を失い

江戸の針医者の元へ修行に入りました。

かなり不器用なタイプで痛がりだし怖がりだし師匠らからも匙を投げられてたんだそう。

当時の針は現代のモノと違ってかなり太くてゴツかったので余程上手く刺さないと

イケません。

そんな彼が有る時躓いて倒れ込んだ先に竹筒に入った松葉があって、松葉が

身体に刺さってしまったのですが痛くなかったΣ(・□・;)

竹筒のおかげで垂直に刺さったのですね。

これが「管針法」と名付けられ今日も我々鍼灸師が手軽に刺鍼出来るようになった

大発明で、杉山和一先生は 鍼灸の神様 と呼ばれるようになったのです。

四方から参道が有るような、小さいのですけどもちょっと不思議な佇まいの神社に

瀟洒な治療院と博物館が併設されていて無料で見学させて頂けました。

 

直接の門弟ではありませぬが間違いなく恩恵を受けて四百年後に

鍼灸を生業とさせて頂いております。

感謝であります。