それは、「遺言」だった。梨田氏は弔辞の中で、故人が命のある限り最後まで傾けた野球への情熱、探求心を述懐。今季の開幕前日、4月11日に西本氏に電話をかけた際のことだったという。
「ええか、よう聞けよ。斎藤佑樹、あいつの投げ方はあかん。左足が突っ立っとる。右腕が棒のようにかかっとるやないか。阪神の能見のように、腕をしならせて投げるよう、指導せえ」
受話器越しに、西本氏から黄金ルーキーの投球フォーム改造を命じられた。指摘は30分以上も続き電話を切る間際には中田の打撃フォームにも言及があったという。将来の日本球界を背負って立つであろう逸材に、間接的ではあっても指導を惜しまなかった。それだけに、「100歳まででも1年でも長く、プロ野球界のために長生きしてほしかった」との梨田氏の言葉にも実感がこもった。
これまた厄介な遺言の発表をしたものでー
死んで居なくなった者の、これまた今季限りで現場を去る人間が
公の場で発表しちゃうなんてね。
投手にとっては賭けに違いないフォームの改造という一大事。
責任とらない人間達が言い残したりしても後を引き継ぐ 栗山新監督
以下が鬱陶しく思うだけです。
梶原一騎自伝「男の星座」
一騎の父親は末期癌の痛みに堪えながら辞世の一言に
「若いみそらでたいへんだろうが あとはよしなにー」
と残したそうです。
「あとはよろしくやってくれ」
あるいは
「好きにしなさい」
これでいいんじゃないですかねぇ。
その昔、ほんの少しばかりゴルフを齧った頃に ノリえもん の兄貴の
Sくん に練習場で教わったコトがあります。
中々達者な彼は背が低いながらもガッチリとしてて匪石とは対称的な
体格をしております。
Sくん「おい、匪石。グリップの親指はこうして握るんだよ。」
匪石「ん、こ、こう?」
Sくん「違う、違う、こう。」
匪石「ん、、こう?」
匪石のデカくても細長い手指に対してSくんのそれは半分くらいで
ブ厚くて親指はチクワを三分の一くらいにしたような形状。
Sくん「だからこうだってば。親指をー」
匪石「アンタとオレの指は違いすぎるわぁーっ!」ヾ(。`Д´。)ノ
指導にも相性がございます。
Sくん、あの節はご指導ありがとうございました。
教えがいの無い生徒でごめーんねヘ(゚∀゚*)ノ

