NHK朝ドラ「虎に翼」感想(2024年06月) | 悠志のブログ

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ぷくぷくぷくぷくぷくぷく。

 

 第10週「女の知恵は鼻の先?」

 演出:梛川善郎。

 昭和22年(1947年)3月。寅子は意を決して、法曹会館へ向かった。当時の司法省がそこを仮庁舎としていたからだ。不思議な人物に会った。ライアン。誰? このひと。人事課へ向かった。人事課長は桂場だった。彼はその時焼藷を食おうとしている処だった(このドラマでは、桂場が甘いものにありつこうとすると、必ずそこに寅子がやってくる、という場面が幾度も幾度も繰り返し描かれる。それが桂場の不機嫌と微妙な関連性をもっているようだ)。寅子は自分を裁判官にしてくださいと言った。桂場がその寅子の希望を突っぱねたところへ、またライアンがやってきた。ライアン。久藤頼安(沢村一樹)。何でも殿様の家系だという。ライアンの口添えもあって、寅子はライアンの下で働くことになった。

 今週も演出が梛川さんである。梛川さんは吉田脚本の、それもナレーションを上手く生かす。今週のキーワードの一つは、〈何か胡散くさい〉。と、感じている伊藤沙莉の怪訝な表情と響きあって、沢村さんの笑顔に〈胡散臭さ〉が滲み出ている。

 民事局民法調査室で働くことになった寅子。法科の同級生がいるというから、ひょっとしてと思ったが、そこにいたのは、髪の毛ツン野郎の小橋(名村辰)だった。この、期待との落差にがっかりもしたが、その0.5秒あとには笑いしかなかった。月曜日は小橋の髪の毛ツンのドアップで終わった。

 寅子がここで行った仕事は、民法改正の法案づくり。婚姻制度の在り方、GHQと国民の両方を納得させるに足る法改正を行わなければならない。寅子の目のまえにある民法の改正案は、戦前の民法に比べれば、女性の自由度はかなり広がった。それは評価したい。でも……。と、はっきりしない物言いになっている寅子に対して、ライアンは「君は思ったより謙虚なんだね」と言った。〈謙虚〉。これが今週のキーワード、パート2。此処で働いていると、自分のほんとうに思っていることを言えない。死んでいった家族や友達や、残された家族のことを思ってしまって、自分の意見が言えなくなる。スンッってなってしまう。〈スンッ〉。これが今週の(復活の)キーワード、パート3。

 当時の生活について、ほんとうによく考えて描写が行われていると思う。食べもの事情、生活事情(仕事中に突然停電になるなど)、当時よくあったことが反映されている。(僕は戦後間もなくのことは知らないが、昭和40年代の前半も、停電はしょっちゅうあった。停電がない時もTVが映らなくなり、〈しばらくお待ちください〉という静止画面が30分以上表示されることなども、ざらにあった)

 外の洗い場で食器を洗う時、寅子の隣で花江が涙ぐむ場面。

 「(寅子)お給料もらったら何か贅沢なもの食べに行きましょうか。」

 「いいわね。」

 「何が食べたい?」

 「う~ん、手羽先。」

 手羽先なんて、戦前の猪爪家なら中流以上の暮らし向きだったんだから、日常に普通に出るおかずだった。それをご馳走という。時代の変遷を感じないわけには行かない。戦争に負けるとは、こういうことなのだ。

 翌日。やけに威圧感のある人物が現れる。民法の改正案に対して、この前の議論がまったく反映されていないじゃないか、君たちは日本の旧き良き家族制度を破綻させ、日本を破滅させる気かね? 東京帝大の教授、神保衛彦氏(木場勝己)である。礼儀はわきまえているが、目下の者に何も言わせようとしない威圧的な態度は、戦前の右翼の政治家たちと何ら変わりがない。

 猪爪家の電灯を見て思ったのだが、当時はもう裸電球に松下電器の二またソケットはあったのかな。もっと以前からあったのかなと、思った。

 女性政治家を呼んでの意見交換会。中心になったのは、市川房枝さんだろうか。この眼鏡の女傑は、市川さんじゃないかと思った。

 花岡に再会した寅子。彼はいま、東京地裁で経済事犯専任判事として、主に食糧管理法違反の事案を担当していると言っていた。当時闇米を買わずに暮らし、餓死した裁判官のことが報じられた時代だった。寅子は闇米を買い、それで何とか食べて行けていた。そうでもしなければ生きられなかった時代だった。梅子さんの話題が出た。梅子さん。涼子さま。崔さん。よねさんは死んだと言っていたけれど、それは嘘なんじゃないだろうか。どこかで生きていはしないだろうか。花岡は桂場さんの前で言った。「人としての正しさと、司法としての正しさが、ここまで乖離してゆくとは思いもしませんでした。」と。彼は苦しんでいるようだった。

 GHQのアルバート・ホーナーさんがライアンの案内で猪爪家を訪れた。ちょうどホーナーさんから頂いたチョコを分けあって食べていたところだったので、驚いてしまった。ホーナーさんが持ってきたのは、たくさんのチョコレートだった。ホーナーさんは戦争に傷ついた、日本人の痛みを察してくれた。彼は祖父母がユダヤ人で、ドイツに多くの親族を残してアメリカに亡命したひとだった。ホーナーさんも、寅子や花江やはるさん、猪爪家の家族が味わったかなしみと同じ感情を抱えて生きている。チョコレートによろこぶ、直人くんや直治くんを見て、涙ぐんだのはそういう意味だったのだろう。

 民法改正審議会会場にて。

 神保教授、穂高教授を中心に激論の火花が散った。だが結論は一向に見えてこないで、会議はいったん休憩となった。休憩中、穂高教授が妙なことを言ってきた。先生は自分が寅子を無理やり法曹の世界に引きずり込み、学びたくもない法律を学ばせ、すっかり人生を狂わせてしまったと思っている。それで、寅子に新しい仕事を見つけてきた、というのだ。家庭教師の仕事だ。高収入は約束されている。だが、教授は何故いまそんなことを言ってきたのだろう。はて?

 先生は何もわかっていらっしゃらない。私が桂場さんの許を訪ねたのは家族を養うためという理由はあります。ですがそれはいやいやながら選んだ道じゃない。私は、自分に無理強いして法律を学んだんじゃない。好きで選んだ道なのです。好きでこの場にいるのです。何故ならそれが私の生き方なのです。だから、先生のお言葉はご厚意だけ受け取っておきます。

 寅子の両眼がかっと見開かれた。まさに寅子の心にいまスイッチが入った。〈寅子開眼〉の一瞬だった。

 闘志満々の寅子の隣に優三さんが坐って、

 「寅ちゃん、深呼吸」と言った。

 いまでも寅子の隣には優三さんがいる。寅子はそれをつよく感ずる時がある。落ち着け。もう負け戦を闘わなくていい。われら女性には新憲法がある。この憲法が神棚にある限り、われら女性は、男性と対等な道を生きられる。

 再開された民法改正審議会で手を上げ、寅子は進言した。

 この戦争で私は夫を亡くし、戦争未亡人となりました。夫だけではありません。父も兄も亡くしました。

 前の民法で言う「家という庇護の傘の下において守られてきた」という部分が、確かにあるのだと思います。しかし、今も昔も思っております。個人としての尊厳を失うことで守られても、あけすけに申せば、大きなお世話であると。(神保教授に向かって)先生が大切になさりたい、家族を大事にするという美風が、おっしゃられた通りに私たち全員に備わっているのなら、一人一人の尊厳を信じ、守れば、何も言わずとも美風は失われないのではないでしょうか。

 もし、神保先生の息子さんが妻の氏を名乗ることにされたら、息子さんの先生への愛情は消えるのですか? 私は、もし娘が結婚したとして、夫の名字を名乗ろうと、佐田の名字を名乗ろうと、私や家族への愛情が消えるとは思いません。名字ひとつで何もかも変わるだなんて悲しすぎます。私たちは、多くのものを失ったのですから。憲法にある通り、よりよく生きてゆくことに、不断の努力を惜しまずに行きませんか?

 この場面、気持ちの入った伊藤沙莉の長台詞を心ゆくまで堪能できた。それとかつて花岡のねじ曲がった女性観を叱咤した、頭脳明晰な寅子が復活した気がした。そういう意味での痛快さを感じた。

 民法改正法案。寅子は家に持って帰り、はるさんや花江にも見せ、意見を聞いた。

 曰く、

 片仮名だらけで読みづらい。

 文語で書かれていて分かりづらい。まるで一般人に分らせまいとして書かれた文章のようだ。

 記載を口語体にする。この法案はやがて国会で認められ成立した。

 法案成立後の夜。ライアンがバーボンとクラッカー、苺ジャムをもって、桂場の所に来た。そこで明かされたのは、共亜事件の裁判の後、桂場は左遷され、水沼がA級戦犯になるまで不遇の身を託つ日々だったこと。

 ある日昼食休憩から戻ると仕事場が暗い。小橋に訊ねると、彼は言った。

 「花岡が、死んだ」。

  停電の都に月見びとひとり  悠志

 

 

 第11週「女子と小人は養い難し?」

 演出:梛川善郎。

 花岡が、死んだ。

 餓死。先週僕が話題に出した、裁判官の餓死は花岡のことだった。画家のゲルハルト・リヒターが言っていたけれど、「ひとは何故、イデオロギーのために死のうとするのか」。イデオロギーのための殉死。まさにこれだ。イデオロギーは主義という意味だが、法律のために殉死するのもこれと同じじゃないか。だが、法律は人間を死に追いやるためにあるんじゃない。人間が人間らしくしあわせに生きるためにあると、金曜日のセリフにあった。

 轟が生きていた。よねさんも。絶対死んでほしくない人物が、ふたりとも生きていた。そしてふたりが弁護士事務所をつくろうと結託するところを見、よかったと思った。

 家庭裁判所設立準備室。法曹会館の屋上に建てられたバラックが寅子の新しい職場となった。家庭裁判所が設立できたあかつきには、裁判官にしてもらえるという約束も、人事課長の桂場にとりつけた。

 多岐川幸四郎(滝藤賢一)。

 晩秋の空の下、七輪の火で、するめを炙って昼間から酒を勧めてくる人物、この多岐川が、室長であり、寅子の上司だった。この戦後の日本。民主主義国になろうともがいているその中で、これだけリベラルな考え方のできる人物がいたことに、正直驚いた。戦時中の日本全国民に、お国のために一人残らず死ねと謳った、軍国主義の政治家がみたらどう驚くだろうと思う。

 火曜日の放送。花江の味付けに、頷くはるさんの場面が控えめながらも描かれていた。猪爪家の味を花江がようやく覚えたのか。それともはるさんが折れたのか。家族が最近の料理の味付けに何も言ってこない処をみると、花江が賢くなったのだと思う。はるさんは賢い母であり、花江もはるさんの背中を見て何かしらを学んだのだろう、ということがほんの5秒ほどのこの場面に表れていた。

 少年審判所と家事裁判所。このふたつを合併して、家庭裁判所を設立する。そのことで2つの裁判所がもめている。

 家庭裁判所が設立できたあかつきには、裁判官にしてもらえるという約束。

 その話を寅子が多岐川にした途端、無理やり最高裁の秘書課長室へ連れてゆかれた。ライアンの部屋だ。ライアンが話してくれたのはアメリカのFamily Courtの話だ。家庭裁判所。家庭の問題と、少年少女の問題は、根が同じなのだということに気づいた寅子。さらに多岐川の名を、直明が知っていて、直明が活動している〈東京少年少女保護連盟〉の根幹にあるもの、Big Brothers and Sisters Movementを、日本に初めて取り入れた人物が彼だったことを知らされる。いちいち多岐川の見た目と業績が一致せず、彼のスケールの大きな人物像を捉えきれない寅子である。

 泥酔してしまった汐見さん(平埜生成)を多岐川と運んできた寅子だが、汐見さんの妻はあの、崔香淑だった。いまは汐見香子と名乗ってはいるが。そして妊娠していた。何があったのか、汐見さんから聞かされた。当時の韓国人は日本人より下に見られて、最低の扱いをされていた。関東大震災の時、当時の朝鮮人に何が起きたか。戦後も名を偽って、日本名で生きていた韓国人は大勢いた。「加倻子のために」という、在日朝鮮人の苦しみや苦い恋を描いた小説を、僕も読んだことがある。ヒャンちゃんを救う方法は当時の日本にはなかった。ほかの国民全てを敵に回して戦わねばならないのだ。そんなもの負け戦に決まっている。そんな無益なことをして何になる。多岐川の言うことはあたっていた。

 直明が間に立って、家庭裁判所設立の話がやっと整い、家庭裁判所が発足した。法律は人を救うためにつかわなくてはならない。花岡のような殉死者をつくってはいけない。

 今週、もっとも印象的だったのは、滝藤賢一であり、伊藤沙莉という唯一の例外を除いては、出演者はひとり残らず滝藤の演技に喰われてしまった。

  眦を決して滝に打たれけり  悠志

 

 

 第12週「家に女房なきは火のない炉のごとし?」

 演出:安藤大佑。

 家庭裁判所に必要な五大性格。

 独立的性格!

 民主的性格!

 科学的性格!

 教育的性格!

 社会的性格!

 多岐川が叫んだ五大性格。ところで、〈独立〉の〈独〉の字が、旧漢字の〈獨〉ではなく、新漢字に変わっていた。なるほどそういう時代なのだ。電報は歴史的仮名遣いで届いていたが、これもそのうち、現代仮名遣いに変わるだろう。

 星朋彦最高裁長官(平田満)から直々に、寅子に辞令が下った。東京家庭裁判所判事補 兼 最高裁判所家庭局事務官に任命。長官は言った。君なら戦争のいちばんの被害者である、戦災孤児たちを救えるだろう。護ってやってくれ。

 (浮浪児たちの顔が煤けていない。戦後間もなくの頃は焼夷弾の煙をまともに浴びたこどもたちが大勢いたから、みんな煤けて黒くなっていたけれど、もう敗戦から5年ほど経過しているから、土埃にまみれた子はいても、黒い子はもういないのだろうと思った)

 浮浪児と呼ばれるこどもたちは、大人たちを信じない。大人たちは暴力でもって、自分たちを捕らえ、施設に連れてゆく。施設では、寝起きする場所が提供されるだけで、満足に食事も出ない。あんな所にいたら、みな栄養失調で死んでしまう。たまらず逃げだす。そして掏摸や置き引き、ひったくりをしてその日をやり過ごす。孤児たちにとって、正しいこととは法律を守ることではなく、自分の命を守ること、生きることなのだ。だから生きるためにだったら何だってやる。生きることがこの世でもっとも大切で正しいことなのだから。

 その日上野で寅子が見たのは、カフェ〈燈台〉のあった建物に、〈轟法律事務所〉という看板が立っていたことだった。轟とよねさんが生きていた。お互い死なずに済んでよかった。よねさんはそう言ったが、そのあとこうも言った。もう二度と来るな。

 辛うじて手に入れた菜っ葉とうどん粉ですいとんを作り、よねさんはいつもお腹を空かしているこどもたちに、この炊き出しで心ばかりの、奉仕活動をしていた。よねさん自身、こども時代に酷い目に遭って生きてきたから、こどもたちの気持ちが嫌というほどわかるのだ。

 道男(和田庵)という少年がいた。歳の頃は17、8の掏摸やひったくりの少年たちの元締めをしている子だった。彼は自分たちが戦後、大人たちからどんな扱いを受けてきたか、その恨みを根にもって生きていた。こういう人間不信。こんな少年たちを人情で援けたものたちに、〈やくざ〉、暴力団があった。こういう反社会的勢力がどういうことをしてあれだけ勢力を伸ばしてきたか。それらの理由。それはすべて、この時代にルーツをもっている。道男も一つ間違えば、彼らの仲間になってしまっただろう。そうさせまいとする対極の勢力に家庭裁判所があるのなら、こんなこどもたちにとって、家裁の存在価値は大きい。

 家裁に連れて来られたこどもたちが、蚤や虱の駆除のために、次々頭からDDTをかけられた。戦後GHQが行った消毒のための方策だ。だがレイチェル・カーソンの「沈黙の春」にあるように、この農薬、やがて害虫の駆除に効果が失われてゆく。散布をどれだけしようとも、まったく死なない害虫がはびこるようになってゆく。それで更にすぐれた殺虫剤が開発されるが、それらにも負けない抗体をもった害虫が次々発生し、事態は鼬ごっこの様相を呈してゆく。その結果、死ななくてもいい蛍やミズカマキリ、タガメのような昆虫がほかの益虫もろとも死んでゆき、農地は害虫だけが栄える体たらくになってゆく。アメリカという国はこういう馬鹿を、知性をひけらかすことによって、展開してゆく独善的国家なのだ。……と、思わず脱線してしまった。本題に戻る。

 話の流れで、ただひとり引き取り手のいない道男を引き取ることになってしまった寅子。猪爪家の居候になった道男。食事の時、猪爪家のこどもたちの食べようとするおかずを奪うように食べる道男。彼はそういう環境で生きてきたのだ。遠慮していたら食いっぱぐれてしまう。生存競争は厳しいのだ。

 それはともかく、日中の猪爪家は女所帯だ。おかしなことにならなければいいが。さらに悪いことに、寅子は多岐川とともに、全国視察に向かい、しばらく家を空けることになった。心配。はるさんの財布を盗み見て、「ちっシケてんな」とぼやきながら、家の金を盗んで逃げようとする道男に、はるさんは言った。

 我が家にお金などありません。はした金盗んで逃げるより、この家の手伝いをして、三食食べて、温かい蒲団で寝る方がお得じゃありませんか?

 道男は思わずはっとした。その通りだった。

 留守中、花江を口説く道男。そんなことをすれば、直人や直治がどう思うか、まるでわかっていない。直人も直治も、直道を喪った花江を自分たちが護るんだと、日頃から思っている。彼らは必死なのだ。だがその結果、道男は出て行ってしまった。

 はるさんが倒れた。医師の診断では脈が弱く、今夜越せるかどうかということだった。日頃の無理がたたったのかも知れない。猪爪家の中心、扇のかなめのようなはるさんは危篤の床で、道男に会いたがった。寅子は捜しに行き、轟の事務所で見つけた。道男ははるさんに一目置いていた。それは見ていればわかる。はるさんは言った。

 よくここまで一人で生きてきたね。

 (中略)でも、すべてをつっぱねては、だめ。

 夜ふけ、寅子と花江だけを呼んで、いちばん新しい主婦之手帖に大切なことは書いてあるから。それ以外の手帖は焼いてください。恥ずかしいからと告げた。

 その夜、寅子は大泣きした。こんな駄々っ子のような寅子は初めてだ。けれど、そんな彼女を残して、はるさんは逝ってしまった。

 今週いちばん印象的だった場面は、はるさんの臨終の床で、蒲団に突っ伏して哭く、寅子の嗚咽だった。伊藤沙莉の、胸から絞り出すように哭く、この場面が心に残って消えない。演技者の世界では誰もが泣く演技が得意で、泣く演技のできない役者は、俳優として立ち行かないが、ただ泣くだけなら、役者なら誰にでもできる、とはいうものの、観客を共感させる、共鳴させる、感銘を与える演技は、誰にでもできるものじゃない。けれども、この場面での伊藤沙莉の演技は確かにそれができていた。根本的なことから言えば、声からして違っていた。演技者というのはこうでなくてはいけない。僕はそこに心から胸を打たれたのだった。

 道男の処遇について、寅子は悩んでいた。そういうとき、彼女はよねさんの処へゆく。よねさんは自分の思いとはまったく違うことを言ってくれるからだ。二度と来るなと言われても、幾度でも寅子はよねさんに大切なことを教えてもらいにやってくる。よねさんは冷静で、寅子の視野とはまったく違う見方をする。お前が引き取るのは無理がある。よねさんはそう言った。

 笹寿司の親父さんが生きていた。戦時中、田舎に疎開していたけれどまた東京でもう一度寿司屋をやろうと出てきたのだ。いい人を見つけた。親父さんは一緒に寿司屋で働いてくれる人を探していた。住み込みで働いて欲しいという話。寅子が仲介をして、道男の就職先が見つかった。よかった。ほんとうによかった。

 竃のところで、はるさんの手帖を読む寅子と花江。直人、直治、優未の進学のための資金繰りや10年後の計画までそこにはあった。直道の予測はかつて、一度も当たったためしはなかったが、こういうことを手帖に記している処をみると、猪爪家の家計が破綻せずにやって来られたのは、すべてはるさんのやりくりの所為だと分かる。そんな気がした。寅子の年収の予測まで書いてあった。

 私のお母さんが、お母さんでよかった。

 心からそう思う寅子だった。

  主婦之手帖に描く未来図天の川  悠志

 

 

 第13週「女房は掃きだめから拾え?」

 演出:橋本万葉。

 昭和24年春。寅子は特例判事補になり、東京家庭裁判所は晴れて独立庁舎をもった。だが、家裁の仕事は多忙で、まだ法律上助けられる人たちのことも、助けられていない。人材ももっと集めなくてはならない。そこで多岐川が一旗揚げようと独断で、〈家裁広報月間〉と言うものをぶち上げた。これから3ヶ月家裁の仕事を全国にPRする。多岐川いう処の〈愛のコンサート〉を行うというのだ。

 遺産相続の相談があった。遺言者・大庭徹男。……大庭徹男? 梅子さんの旦那さまの名前だ。あの高等試験の前日。梅子さんは一方的に旦那さまに離婚届を突きつけられ、試験を受けられなかった。家裁・別室に大庭家一族全員と、お妾さん・元山すみれ(武田梨奈)が集まった。そこに、いるはずのない、梅子さんが、いた。

 梅子さんは、徹男さんと別れたはずでは?

 遺言状が読み上げられた。それに曰く、「元山すみれに全財産を遺贈する」。唖然とする大庭家の面々。だが梅子さんは光三郎くんにそっと耳打ちした。光三郎君は言った。

 遺言のある場合でも、直系卑属及び配偶者が相続人であるときは、被相続人の財産の二分の一を相続。

 梅子さんは、新しい民法を知っていたのだ。

 大庭家の兄弟。殊に次男の徹次(堀家一希)に違和感がある。なんだ、あの髪型は。如何に荒んだ戦後を暮らしたとしても、大庭家は名家ではないのか。あの祖母の佇まいは、明らかに士族だ。商家や農家、職人の出ではない。なのに徹次の長髪は何だ。当時は耳が半分隠れた髪型でも、眉が髪で半ば隠れただけでも、〈長髪〉と言われた。家柄が長髪を許さないし、世間だって許さなかった時代だ。ありえない髪型だということをここに記しておく。(おそらく荒んだ生活を強調したくてこんな髪型にしたのだろうが。この髪型は戦後ではない。現代の髪型だ)

 梅子さんと再会を喜ぶ場面の寅子、伊藤沙莉の演技が、いい。すぐに抱きついたりせず、だんだん気持ちが込みあげてきて、思い出の数々がきっと一度に甦ったのであろうことは、実際に演出のフラッシュバックを行わなくとも、伊藤沙莉の演技だけで十分わかる。ここ。強調すべき名演のひとつとして記しておく。

 戦前の民法のような相続を主張する徹太。折り合いのつかない話し合い。結局話は、家裁の調停に委ねられることになった。しかし調停委員の仲介によっても話は片づかず、寅子が間に入ってみることになった。

 猪爪家に帰宅すると、道男のつくった稲荷寿司が夜食に出た。花江が笑顔だ。俺にはわかる。恋はひとを笑顔にする。と、直人が直道のようなことを言う。これはのちのちわかるが、花江は未だ直道に恋しているのだ。夢枕に立ってくれる直道が愛しくてならないのだろう。

 ある夜。仕事帰りに通った裏町で男女が抱きあっているのをみた。よく見るとそれは光三郎とすみれだ。

 翌日の家族会議は荒れに荒れた。もうだめ。降参。たまらず笑いだした梅子さんだった。彼女は負けを認めた。すべてから手を引くと言った。相続も、大庭家の嫁でいることも、このこどもたちの親であることも、すべて棄てる。あとは兄弟三人でよく考えて決めなさい。痛快な梅子さんの〈鶴の一声〉だった。結局話は兄弟で話し合い、円くおさまった。

 おめでたいことがもう一つあった。「竹もと」が復活したのだ。つらいとき、悩めるとき、うれしいとき、いつだって竹もとの甘いものがそばにあった。また浮き世の砂漠にオアシスがひとつ生まれた。

 愛のコンサートのあと、茨田りつ子さんがインタビューに答えて言った。

 「家庭裁判所の方と、お話させてもらったんですけどね、佐田寅子さんといったかしら、随分とおしゃべりな。彼女、まっすぐな目で、人助けを最高の仕事だなんて言うの。本気でそう思っていなきゃ言えない言葉よ。東京在住の困ったご婦人方は、是非佐田寅子さんをおたずねになって」。

 この言葉。来週につながるのだろう。

 〈縁の下の力持ち〉の主婦であろうとする花江だが、そもそもがはるさんになろうとするなんて土台無理。はるさんははるさん。花江さんは花江さん。できることとできないことがあるのは当たり前。だから花江は出来ることだけやっていればいいのだ。あとは猪爪家の家族がたすけてくれる。初めて「手抜き、させてくれる?」と言えた花江だった。

 酒の席でまた「モン・パパ」を唄う寅子。この歌がながれる間、香子が見覚えのあるおにぎりを噛みしめて食べる場面がある。きっとわかっただろう。みんな生きていてくれた。それだけでもうじゅうぶんなのだ。

  生きてゐてくれた若布のにぎり飯  悠志