ドラマ「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」(加筆しました) | 悠志のブログ

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ぷくぷくぷくぷくぷくぷく。

 放送当時、僕はTVを持っていなかった。 携帯はガラパゴスで、ワンセグは電波が悪く、観ることが叶わなかった。当時パソコンはVistaの末期。辛うじてドラマの評判をそれで知った。熱烈なファンを生んだ坂元裕二の隠れ名作。 それがこの正月、やっと観られた。お正月に放送されたものを全てパソコンに録画して、幾度も繰り返し観ている。

 杉原音(有村架純)という女性の人間性がどんなものか。

 彼女は自分個人の幸せのみによって、真の幸せを手にできるような人物ではない。むしろ、自分がたとえ犠牲になろうと、おのれの大切な人が幸せになれるのであれば、自分の不幸の落とし前はいくらでもつけられる。そういう女性である。

 そして曽田練(高良健吾)。彼も同じタイプの人間。似た者同士。

 静恵(八千草薫)の生活を花でいっぱいにしたのも、震災に傷つけられた小夏(森川葵)の心の病を受け止め、彼女の夢を叶えようと必死になるのも、祖父(田中泯)の病ゆえの苦悩、憎しみを全身で受け止めてしまうのも、彼が馬鹿正直なほど純粋に人の幸せを第一に考える人だからである。

 佐引(高橋一生)が言っていたが、ほんとうに馬鹿である。

 けれどもこれほど愛すべき馬鹿は二人といない。

 

 坂元裕二がこの二人に、場面を違え、立場を入れ替えて同じ台詞を言わせている。同じ状況に立場を入れ替えて、どんな風な態度に出るか。そう言う場面が2パターン、計4回登場する。

 最初は観覧車に乗ろうと二人が同じトラックに乗る晩(第3話)。

 練が木穂子(高畑充希)のことを「やさしいし、尊敬できる人」と言う。その時音は、「それは〝好き〟とは違う」と言って練を責めてしまう。

 この練と音が言った台詞とそっくり同じ台詞を、二人が立場を違えて言う場面がある。

 この逢えなかった5年の間に起きたこと。

 いま音が朝陽(西島隆弘)にプロポーズされていること。音が朝陽のことを「尊敬してるし、感謝している」と言う。その時は黙って頷く練だが、後で彼は音に言うのだ。

 「杉原さん、幸せなんですか」。

 二人のシチュエーションを入れ替えることによって、二人がいかに双子のようにお互いを必要としているか。暗に描き出している気がする。

 もうひとつは、祖父の病ゆえの罵倒を、その死を真摯に受け止めてしまった練が、自分を責めさいなんだ挙げ句、人生に投げ槍になって悪の道に足を踏み入れてしまう。

 その練を自分の身も顧みず助けに行く音。

 それとそっくり同じシチュエーションはドラマのラストに用意されている。

 あの苫小牧のファミレスで、デミグラスソースとトマトソースのハンバーグを間違えて頼んだのに、希望通りトマトソースのハンバーグが運ばれてくる場面。

 すっかり心を閉ざしてしまった音の心を和らげるべく、練が根気強く音に接してゆくあの場面。お互いに閉ざされた心を解きほぐせる間柄であることを、二人が自覚していたこと。そのことが、双生児のような二人を寄り添わせることになるし、互いの窮地を救う素因にもなるのだ。

 

 群像劇だが、脇役でもいい演技をしているひとがいる。ひとりは柄本明。ひとりは八千草薫。あの死んだ母の遺骨をトイレで流してしまう、極悪非道の仕打ち。里親でもやっていいことと悪いことがある。一方、坂元裕二のドラマ“anone”では、赤の他人の〈母性愛〉を濃密にえがいていたが、このドラマでは正反対、里親の立場に立っただけで、何一つ親らしいことをしない、そのくせ音には「恩だ恩だ」と〈恩〉とやらをふりかざしふんぞり返っている。こんな憎たらしい男を演じさせたら、柄本明は一級品だ。名優の面目躍如たる演技を存分に披露している。

 一方、八千草薫はおちゃめでかわいいおばあちゃん。彼女に言わせるセリフがまたいい。「片思いも50年経てば宝物よ」と言いながら、音には同情だといってにこにこしている。こんな無邪気な老女を演じさせたら彼女は一級品だ。

 こういう場面もあった。音に贈ったネックレス。「こんなすてきなもの、私には似合いません!」と言うと、「似合う女性になってください」というところ。言わせる脚本も脚本だが、演ずる彼女も彼女。すばらしいシーンになっていた。

 もうひとりいた。曽田練の祖父を演じた、田中泯だ。農業に生き、すべてを失って死んだ祖父。その祖父の心の温もりが伝わってくる会津の家での場面、そして種まきを終えて、ワンカップの酒を畑に撒く祖父の姿が、服に沁みた体臭のように感じられる。臭くなんかない。麝香みたいにいい匂いのする老のやさしさが滲み出ていた。

 

 小夏という娘がいる。

 小夏は自分に嘘がつけない。そして目の前の嘘を看過できない人。間違ったことを目の当たりにして、口をつぐんでいることができない。震災前夜、練は小夏を赦せず、会津の家から門前払いしてしまう。彼がもう少し大人だったら家の中に入れてあげたはずだ。これが原因で小夏は震災の被害を直接目にし、心がこわれてしまう。

 晴太(坂口健太郎)は嘘つき。正直に自分のことを話したことがない。ある時小夏は晴太を見て言った。

「こどもが嘘をつくのは、本当のことを言って、信じてもらえなかった時」。

 泣いたことのない晴太は、自分の本心を見事に小夏に見抜かれて、初めて涙してしまう。嘘つき晴太は小夏のためならどんなこともできてしまう青年。晴太は少年のように小夏のことを思い詰めているし、彼女しか見えていない。

 高畑充希演ずる木穂子がいちばん大人に見えた。けれども彼女も恋をすれば、ただのか弱い女の子になってしまう。芋煮会の時の傷ついた彼女がまさにそう言うときの木穂子だった。優しくデリケートな人ゆえに、だろうか。日々の理不尽に黙って耐え、身勝手な男の不倫相手と知りながら、人生を半ば諦めている木穂子は、男の慰みものになってしまう自分を、練の思いやりを受け止めることで支えている。哀しい、哀しい娘なのだ。

 この木穂子、高畑充希が最高の演技をする場面がある。5年後、練に再会した木穂子が静恵の家の茶の間で、スイーツを食べながら、練の顔を覗き込む場面である。練にいまも音のことを思っているのかどうか、聞きただす。練は話をうやむやにしたくて、スイーツの箱に手を伸ばすが、その手を叩き伏せて、木穂子が練を見つめる場面である。

 ここ。高畑充希の役者としての度量がはっきり現れていた。並の器ではないことが窺えた場面だった。

 それにしても脚本の描き込みが緻密で、ほんとうに人物がよく描けている。こんなに人の心が見えるドラマも珍しい。

 

 主演の有村架純の演技でいいと思ったのは、練との出逢いの場面。練を泥棒呼ばわりしたものの、彼が泥棒ではなく、母親の手紙を持ってきた善意ある青年であることがわかって、まるで犬のきょうだいのようにむつみあう一連の場面である。ここは見事に〝板について〟いた。相当演出家と綿密に話し合ったのだろう。杉原音のきっぱりとした性格がよく表れていて印象的であった。ここは今でも思い出すことができる。それと介護施設〈春寿の杜〉の仲間と洋風居酒屋のようなところで飲む場面。「杉原、一杯だけ飲みます」と言って生ビールを頼む、凛とした表情が印象に残っている。

 

 最後に印象に残った演技をもうひとつ挙げておく。ドラマでいちばんの名演だと思った場面がある。

 第7話。練の祖父の変わり果てた姿を、罵倒を、練が一身に受け止めてしまう。それを佐引が東京のカフェで、淡々と音に語るくだり。あのシーンの高橋一生の演技が、心に刺さって消えない。彼、ここ数年で別人のようにいい役者になった。それがこの場面にありありと表れていた。