ドラマ「Stranger 上海の芥川龍之介」 | 悠志のブログ

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 制作統括:勝田夏子。原作:芥川龍之介「上海游記」。脚本:渡辺あや。演出:加藤拓。

 この撮影。中国で行われている。中国政府と撮影所の協力なしにはこのような大規模な撮影は行えなかったことを思うと、これは中国政府と国民の皆様に、撮影所の皆様に、感謝せずにはいられない気持ちになる。そのくらい、この上海の映像は、よくできている。それだけでなく、出演者もほとんどが中国人である。

 1921年。芥川龍之介(松田龍平)が上海へやってきた。大阪毎日新聞社の特派員としてである。滞在期間は約4ヶ月。まず懐中時計を取り出し、港の大時計に時刻を合わせた。ここで芥川の書いた文章がテロップで流れる。「僕はどういう良心も持っていない。僕の持っているのは神経だけである」。自分の狂気一歩か二歩手前にした、繊細な感性。それをこういう文章で表したのだ。明治と昭和のはざまにあった、自由な十五年足らずの日々。大正とはそういう時代であった。明治にも昭和にも戦争はあったが、大正時代、日本は直接的な戦争には関わっていない。平和と言えば平和だ。そんな時代に夏目漱石の門下生として頭角を現したのが芥川だった。当時彼より3歳年上だった内田百閒は、やっと処女小説集「冥途」を出したばかり。一方の芥川は作家として一流と言われ、読者や批評家から絶賛を浴びていた。到着するなり上海支局の村田に迎えられる。ずっと腹をこわしていたという。馬車に乗ったが、その馬車がいきなり塀に激突。思わず身の危険を覚えた芥川は、「ここ上海ではいつどこで命を落とすかも知れない。それすら不透明な世界だ」というようなことを考えた。大都会上海。街は平屋建てがほぼなく、どちらを見ても3階か4階のレンガ造りの建物ばかりの国際都市だ。だから支那人のほかには白人、インド人も多く見かける。

 その夜。西洋料理屋にて食事。大音量でジャズを演奏しているが、その上手さは浅草なんぞよりずっと上だ。テーブルとステージの間には広間があって、西洋の紳士淑女が踊っている。上海にモラルらしきものはない。カオス。退廃の極みである。

 芥川が上海に来たのにはわけがあった。女から逃げてきたのだ。しげ子(中村ゆり)という女が、芥川につきまとって離れない。芥川はこの女と別れたいが、思うに任せないのでたまらず、この特派員という仕事を柄にもなく引き受けたのだ。芥川は当時横須賀にある海軍機関学校の英語の教官をしていたはずである。1923年の関東大震災で学校が倒壊し、舞鶴へ移転するまで、そこで教えていた。その教官暮らしをこわすほどにつきまとった女がいたのだろう。

 この料理屋で、薔薇を売る婆さんが演奏を眺めている。絵になる光景である。そこへ酔った外国の水兵たちが飛び込んできて、薔薇の入った鉢を蹴とばし、せっかくの薔薇がそこらに散乱。こうなってはもう売り物にならない。芥川は気分が悪いといって帰ると言いだした。そしてそこに落ちている薔薇を一輪拾い、婆さんに代金だといって小銭をくれてやった。帰り道。芥川は村田に「人生とは薔薇を撒き散らした道である」と、彼らしくもないことを言った。煙草に火をともす芥川。彼の喫っていた煙草はゴールデンバットだったと内田百閒が言っていた。ゴールデンバットはいろんな銘柄の煙草を少しずつブレンドしてつくった俗な煙草で、これを好んでいたというのは、芥川の感性の何かしらに触れられる思いがする(蛇足的なトリビアを申し上げれば、漱石は〈朝日〉という煙草を、百閒はそれより高級な〈敷島〉を喫っていた)。街をそぞろ歩いていると、寄ってくるあやしい売り子に村田がしきりに「不要(ブーヤオ)」といって撃退する。「不要」という語は覚えておかないと、要らないものをどんどん売りつけられてしまう。こういうところもカオスの都会ならではだ。さっきの花売りの婆さんが追いかけてきた。薔薇を全部やるから2角ほどくれと薔薇を押しつけられた。不要といっても聞かない。この婆さん夢の中にまであらわれて芥川を苦しめた。

 芥川は2日目も体調不良を訴え、3日目にはついに入院。肋膜炎であった。3週間入院し、退院後、劇場で京劇のようなものを観た。特徴は鳴り物である。銅鑼(どら)をはじめとするさまざまな鳴り物をけたたましく鳴らす。やかましいことこの上ない。それが芥川の神経に障る。狂気の沙汰としか思えない世界。だが観客が大声で話をしていても、こどもが泣いていても顰蹙を買わないのは楽だ。ステージに村田が贔屓にしている役者、緑牡丹が現れ、歌を歌いだした。うつくしい青年である。役者の楽屋を覘いたが、怪しげでにんにく臭く、まるで百鬼夜行の図だ。

 章炳麟(ショウ・ヘイリン)氏に会見。孫文とともに辛亥革命を起こした革命家であるが、壁には巨大なワニがぶらさがっている。芥川は話を聞きながらワニを見つめていた。寒い。ストーブをつけてくれとお願いしたいが、革命家で著名な学者である彼が、書斎にぼかぼかと暖房を焚くようなまねをするわけがないと、村田を制した。

 上海は美女の宝庫だ。人身売買も横行していたから、自然とこの都会には金で買われた美女があつまり、春をひさいでいる。つまり売春だ。中華料理屋の女将、林黛玉(リン・タイギョク)。中国のここ20年にわたる政局の裏事情に通じているという。愛春(アイシュン)。利口そうで品のよさそうな美女。日本の女学生のようだ。時鴻(ジ・コウ)は田園の匂いがする素朴さのある美女。美女が料理のように次々現れ思わず目移りしてしまう。秦楼(シン・ロウ)。まだ12か3かという、あどけない美少女である。金の腕輪、真珠の首飾り。いろんな飾りを身につけてはいるものの、そのどれもが玩具にしか見えない。眠いのかうつらうつらしているようだ。玉蘭(ギョクラン)。湖南の大悪党の愛人だったというが、男が処刑され上海に逃げてきたという。この中では際立ってうつくしい。薄幸の美女の雰囲気を醸し出している。芥川は上海の美女を評して、「耳がうつくしい」と言った。日本の美女とは大違いだ。日本の女は堕落している。そのとき芥川はしげ子との情事の幻想に苦しめられていた。ルールーという青年が入ってきた。林黛玉には逢えないという。ルールーは耳と口が不自由。だが占いができる。芥川を占ってくれるというから、芥川はしげ子と別れられるかと訊いた。そのとき、うつむいていたルールーがいきなり顔を上げた。鬼気迫る表情をしている。そしてしゃべれないはずのルールーが口を利いた。「いや。彼女、あなたとは別れない。死ぬまで、別れない」。しげ子の貌がルールーに重なって見えた。うしろの美女が笑いだした。先生。これ全部インチキ。占いなんかじゃない。ルールーは口パクパクさせているだけ。台詞は後ろの女が扇に隠した口で言っている。案内の余という中国人がルールーに、お詫びのかわりに先生に煙草を買ってこいと言った。芥川はルールーに小銭を握らせた。ルールーは出ていった。

 その夜。ここは売春宿でもあった。案内された芥川は、林黛玉に逢った。玉蘭が相手をしてくれるものだと思っていた芥川は、騙されたのかとうろたえるが、林黛玉は笑って、玉蘭なら後から来ますよと言った。林黛玉も若い頃は凄い美女だったろうが、いまは50過ぎの女。昔日の面影はない。玉蘭がドアをノックした。ごゆっくりと去ってゆく林黛玉。その夜の玉蘭との情事。夢のなかで小説のタネを模索する芥川。アメリカと日本の戦争はいつ始まりますか。答えましょう。1、9、4……。一方で玉蘭に抱かれながらしげ子の幻影に苦しむ芥川。

 朝。村田が階下の中庭で唱歌を歌いながら、身体を動かしている。朝からうるさいよ君。よくお休みになれましたか。いんや、眠れなかったよ。カルモチンを倍量飲んで明け方やっと寝つけたんだ。こういう場面の描写でもわかるが、芥川は実際、眠れないひとだったようだ。カルモチンを常用していたのは、死にとりつかれていたからだけじゃない。

 ルールーは結局戻って来なかった。金をくすねたんですよという村田に、半信半疑の芥川。ルールーは男娼。美貌を売りにして春をひさいでいるんです。そんな輩に金を渡したらどうなるか。昨日の一件がそれを証明していますよ。

 朝食の準備ができた。ルールーが帰ってきた。煙草を渡された。お釣りも返してよこした。口が利けないルールーは、紙片に漢文を書いて芥川に渡した。中国語の発音がわからない芥川も漢文なら読めるし意味も分かる。達筆だった。「近くの店に煙草がなかった。遠くの店に買いに行ったが、戻ってきたら先生はおらず、渡しそびれてしまった」と書いてある。過分な働きに済まなく思った芥川は、多めにチップを渡し、これでうまいものでも食べなさいと言ったが、ルールーは固辞して受け取らない。これはぼくの感謝のしるし。受け取ってくれ。そう言ったらやっと通じた。まじめないい若者じゃないか。誰だ、彼をごろつきのように言ったのは。これでわかった。ルールーは読み書きもでき教養もある中国の立派な若者だ。金持ちの出だったろうが、没落して男娼に身を落としたのだろう。口が利けないのだからそうするしか上海では生きてゆくすべがなかったのだ。

 その日。芥川はひとりで上海を歩いた。犯罪の街。混沌の上海。いたるところに物乞いがいて、哲学者のように街を見ている。村田に逢った。ルールーのことを話したら、驚いていた。饅頭を食って煙草を喫っていたら、目の前で立小便をする男がいた。ひどいものだ。衛生面もモラルも最低の都会だ。だが仙人然として街を睥睨している物乞いの背後には、まるでいにしえの書家、王羲之(オウ・ギシ)を思わせる達筆で漢文が書かれている。白墨で書かれたその文字。まさか、ルールーが書いているのでは? ルールーの字も達筆だった。

 清朝時代の政治家、鄭孝胥(テイ・コウショ)氏に会見。清朝改革をもくろんだが西太后に追放されたひとだ。現在俗世を離れ、貧乏暮らしを楽しんでいるというが、案内されたのは豪邸。中国の政治家はこれを貧乏というのか。彼はいまの中国は絶望を絵に描いたようで救いがないと言った。この状況を打開するには、英雄の登場を待つしかない。奇蹟を待つほかはないというのが実情なのです。そう言って彼はスタスタ歩いてゆき、マッチを擦って、芥川の煙草に火をつけてくれた。歴史に残る大政治家が、客とは言え日本の一作家の煙草に火をつけてくれるなんて、日本じゃ絶対にありえない。芥川はすっかり恐縮してしまった。案内の青年が、至極当然のことですよと言って表情一つ変えなかったのが印象的だった。

 上海では売春が公然と行われている。彼ら娼婦はみなメガネをかけていて、寄ってきては「サイゴ、サイゴ」と言う。何でも日露戦争の頃、日本の軍人が女に声をかけ、「さあ行こう、さあ行こう」と言ったのがなまったらしい。むかしから日本の軍人は他国のひとにひどいことをしてきたのは、歴史の授業で僕も教わっている。

 貧民街を歩いた。みな阿片を喫っている。思わず吸い込むと芥川も阿片中毒になってしまうから、ハンカチで鼻と口を押え、ときどき息を止めながらゆく。

 林黛玉の店へ行った。ルールーと筆談をする芥川。本を貸してやるから読みなさい。君は学問を学んだ方がいい。本は好きかい? はい。阿片を喫わないように。あれは危険な麻薬だ。にっと笑うルールー。わかっているのだろう。君は若いから勉強すればいい仕事にも就けるはずだ。これからの中国は君たち若い世代が作ってゆく。そうでなければいけないんだ。そう書いていたら、ルールーは場を離れてしまった。

 「アグニの神」という小説のタネを思いついた芥川。手帖にそのアイディアを記すが、その物語のなかでルールーを自由にしてやる芥川。名所旧跡を訪れるより、中国の人間を見ていた方が僕にはおもしろい。革命家には湖南生まれが多い。玉蘭はこんなことを言った。斬首刑にされた愛人の、その血だまりに、何枚かのビスケットを血に浸して食べ、残りを持って帰った。そして近しい者にも食べてもらったというのだ。中国独特の愛の表現なのだろうか。むかし中国の皇帝が自害し、王妃が後を追ったとき、ふたりの血が地面の上でまじりあい、流れていったという文章があった。そこに僕は想像を絶する愛の表現と独特の美学を感じたのだが、この血染めのビスケットにも、同じような美意識を感ずる。玉蘭。この端正な美女の体内に、いまもある愛する男の血。芥川は羨ましいと思った。

 湖南の女子師範学校を見学。授業で鉛筆を使わない生徒。鉛筆は日本製だからだ。寄宿舎の見学は断られた。先日、日本の軍人が数名闖入し、強姦事件を起こしたばかりだからだと言う。無理もない話だ。こんな輩が日本を駄目にしていったことを思うと、現代日本はそれよりずっとましなんだろうなと思う。いまでもときどき少数の恥さらしが現れるが。

 教師だろうか。校長だろうか。質問に答えて言った。私がもっとも憎む日本人は、桃太郎です。隣の島に住む生きものはほんとうに鬼だったのでしょうか。桃の旗を振り、三匹の動物を従えて、桃太郎が鬼ヶ島でしたことは、侵略行為でないとなぜ言えるのでしょう?

 車で移動中、芥川が目にした光景は、暴動であった。警官隊が来た。発砲。降りましょうと村田。このまま乗っていたらこの騒ぎに巻き込まれてしまう。

 そのあと、平然と食事をする村田をよそに、食事に手を付けない芥川。ショックだったのだろう。不眠を訴え、不安な表情を隠さない。

 李人傑に会見。日本で永く遊学した青年で、日本語が流暢。今回は村田の通訳が要らない。非常に頭の切れる共産党員で、未来の中国を担う人物かも知れないという。しかも芥川の小説のファンだというから芥川も驚きを隠せない。

 李人傑が質問。芥川先生、中国の印象はいかがですか。

 それが……実はいささか困っているのです。普段は政治のことなど考えない僕が、こっちに来てから考えるのは、小説のタネより政治のことばかり。

 そうですか。それは中国の政治が混沌の中にあるせいでしょう。

 そうですね。ひどいものだ。国民は堕落しみずから学ぼうともしない。芸術も文化もすべてが退廃のなかにある。こんな中国を李さん、あなたはどう変えてゆくつもりですか。

 革命です。そのためにはプロパガンダが必要だと考えます。民衆は堕落していますが、多くの若者には向上心があり、学ぶことを切望しています。そのための本や雑誌がまったく足りていない。

 それを聞いて芥川は言った。それはあなたが書くべきだ。書きなさい。

 李人傑は答えた。種は手にあります。やればできますが、しかしいかんせん、中国は広すぎる。広大すぎて私たちの思想が行き届かない。私一人ではできないことですが、やるほかありません。困難は覚悟の上です。ただ、私の力がすべてに及ぶかどうか。私の肉体が、心が耐えられるかどうか。それはわからない。

 この若者は死を覚悟したうえでものを言っていると思った。

 人力車で帰る途上、芥川は何かを思いつき村田を先にやって、自分は俥を降りた。本屋で何冊か中国の本を買った。そして例のごとく林黛玉の店へ。だがルールーの姿がない。林黛玉が言った。ルールーなら死にました。労働運動の集会場で殴り殺されたんです。なんであんな物騒なところへ行ったのか。近くにルールーの頭から流れ出た血がたまっていた。玉蘭はそこへ行き、例のごとくビスケットを血に浸し、持って帰ったという。テーブルの上にそれを出す玉蘭。林黛玉がその血染めのビスケットを口に含んだ。バラバラになったビスケット。みんなで分け合って食べようと言うのだ。玉蘭もそれを口に。芥川はそれを見て、たまらなくなったのだろう、ビスケットのかけらを手にし、それを口に入れた。ルールーを教唆したのはこの僕だ。ビスケットを口にしなければルールーの霊が浮かばれないと思ったのだろう。この場面、芥川の「上海游記」にあったかどうかわからないが、非常な感動をもって観たのは確かだ。

 その夜、芥川はまた緑牡丹の京劇を観た。騒々しいだけの代物にしか見えなかったそれに〝癒し〟を感じている自分自身がいることを、芥川は気づいていた。

 李人傑が第一回共産党大会を、自身の邸で開いた。集まったのはわずか13名だったが、その中に湖南代表として、のちの国家主席、毛沢東の姿もあったことを記さないわけには行かない。政治家として有能だったか疑問の残る彼だが、圧倒的なカリスマとして近代中国を牽引していったのは確かなことだ。

 李人傑はその後共産党を離れ、6年後軍閥の銃弾によって惨殺された。そしてその5ヶ月前の1927年7月24日、芥川龍之介は睡眠薬の大量服用によって、35歳の短い生涯を閉じた。

 本作。中国ロケがものを言った傑作ドラマであることを強調したい。