あの映画をもう一度 「春との旅」 | 悠志のブログ

悠志のブログ

ぷくぷくぷくぷくぷくぷく。

 冒頭から只事ではない。北国の晩秋の海。突然海辺の貧家の戸が開き、老人が飛び出してくる。鬼の形相で杖を地べたに叩きつける。つづいて家より出てきた娘が、杖を拾うが、構わず老人はまたも杖を叩きつける。思わず息をのむこの場面。台詞も老人の「ついてくんな!」という怒声の一語を除いてほかにない。春(徳永えり)は脚の悪い祖父忠男(仲代達矢)と貧しい二人暮らし。小学校の給食室で働いていたが、廃校が決定し失業。悩んだ末忠男を親戚に預け、上京したいと言い出した。忠男はお荷物扱いに激怒し家を飛び出す(冒頭の場面)。だが立派なのは態度のでかさだけ、その実、人を頼らずには生きられないみっともない男である。ろくに金を持たない春に出費させ、自分の引き取り手探しの旅を続けることに、何の疑問も感じない。彼の失行の致命的な点は、そんな情けない男に、成り下がってしまっていることに思いが及ばないこと。忠男のあまりにも人をなめきった傲慢な態度は、大都会、夜の仙台で一層あらわになる。弟の家に泊めてもらうべきを、強硬にホテル泊りを主張。だが学会開催のためどこも満室。忠男は平然とホテルのロビーで弁当を食うが、「ホテルに泊まる」という大義名分のため、春にはもう何を食べる金もない。弟道男(柄本明)の行方もわからず、挙句フロント係に摘まみ出され、晩秋の公園で野宿。祖父に寄り添う春のけなげさがあまりにも哀れでならない。旅路の果てに訪ねた生き別れた父の牧場で、祖父を引きとってもらえる話が持ち上がりかけるが、父への感情的しこりを抱えていた春は、彼を頼ることができず、祖父と二人して逃げ出すように立ち去ってしまう。そしてラスト、帰りの列車内で忠男は急死。映画は終わる。

 忠男は年金をもらっているはずだが、それを飲み代に遣おうとはすれ、春にはびた一文与えない。旅費もだ。こういうところからもわかるが、この老人、相当にあくどい。この映画で、もっとも嘆かわしいのは、春が人生を犠牲にしてまで、自立しようとしない祖父を支えているところである。春には旅先でいろんなことがあった。幾度も願ってもない人生の転機があったのに、せっかく得たそのチャンスを、春は祖父の世話の為に擲ってしまう。

 窓を開け部屋に冷風を入れる。反対に窓を閉めカーテンも閉める。繰り返し描かれるが、これは人物が自らの人生に向き合っているか否かを暗示している。高間賢治の撮影は出演者の演技を誇張も歪曲もしない。名優を存分に演じさせ観客に監督の深意を伝える。説明の一切ない映像表現(すぐれた映像は説明の必要がない。観客は役者の演技を、映像を通して観ていればわかる。〈映像〉が物語を説明する必要はないのである)。見事なカメラワークに拍手を送りたい。

 日本の資本家は話題作でないと出資しない。話題性に欠け、集客の見込めない名作に金を出し渋るのである。残念なことだが、そんな現状に苦しんでいる名匠がここにもいる。この映画、当初出資者がなかった。苦慮の末仲代達矢に脚本を送ったところ、仲代の絶賛を得たが、その後も撮影に入れず、制作・監督とも完成まで辛酸を嘗めつくした。鬼才小林政広監督の渾身の想いがこもっている。映像のはしばしにそれを感じずにはいられない。たとえ賞を獲ろうが獲るまいが、この映画が大変な力作であることに変わりはないのだ。