東京日記 | 悠志のブログ

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ぷくぷくぷくぷくぷくぷく。

 「東京日記」は内田百閒が昭和十二年の十二月、東京ステーション・ホテルに二週間ほど缶詰になって書きあげた、二十三話からなる短篇小説である。昭和十二年と言えば日中戦争の始まった年。それゆえか、本作は時代の抱えていた未来への不安を十二分に反映した、怪奇小説の傑作となっている。一篇平均二、三頁の超短篇ばかりであるが、これがどうしてどうして、一篇たりとも気を抜いた作品がないところは、漱石以上の文章家と言われた百閒の面目躍如といった感がある。まずはその「東京日記」の「その一」を読んだ印象から書かせていただく。

 「その一」

 大雨の夜、三宅坂を降りてきた電車が日比谷の交差点に停まり、車掌が故障だから客に降りるようにと言うところから話は始まる。空は暗いのにお濠の水が明るい。安全地帯に立っている群衆がお濠を見つめている。お濠の水は大きく揺れていて、波打っている。と思っているうちに水が電車道に溢れ出した。その水がお濠に戻らぬ前に、牛の胴体より太く巨大な鰻が出てきて数寄屋橋の方へ伝い出した。主人公は驚いてタクシーに乗り込むが、運転手がいない。仕方なく辺りをうろうろしていると、大鰻の後から次々小さな鰻が現れ、方々の建物を這い上がって階上の部屋に這い込んでいった。

 

 一体これは何なのか。この鰻は何を意味するのだろう。考えられるのは、この時代が抱えた言い知れぬ不安感を、鰻の姿を借り、具象化させて見せたものではないだろうか。百閒のこの奇怪な小説の怖いところは、原因や理由づけなど、一切の説明がない点である。意味もなく奇怪な現象が起き、収束する事もなく物語は終ってしまう。夢を記述したものか幻想なのか。それもはっきりしない。考えれば考えるほど戦慄はつのってゆく。

 

 「その二」

 夏の防空演習の晩、裏道は真っ暗で明りがなく足元も見えない。そこからいろいろの匂いがしてくるような気がする。

 不意に私の横を駆け抜けた者があったが、誰なのか分らないが防護団の者だろう。靴底の鳴る音がいつまでも聞こえて、何だかずっと同じところを踏んでいるのではないかと思った。足音はそのうち靴音ではなく、草履か草鞋のようなもののような気がし出した。

 大きな屋敷の前まで来ると、門が開け広げてあるらしく、そこへと足音が列を作って入って行くもののように思われた。大勢いるようであった。何のことだかわからないので、立ち止まってみたが、人いきれがそこからむんむんするのに物音は全く聞こえない。

 不意に向うの森の警報解除のサイレンが鳴った。と同時に、お屋敷の格子から薄明りが洩れ出した。お屋敷の門は開け放ってあるけれども、辺りには誰もいなかった。塀際を列になって待っているように思われた人影もない。ヘッドライトを覆った自動車がのろのろ通りすぎたり、防護団が二、三人かたまって歩いていたり、辺りの様子に変わったところはなかった。

 

 暗闇の中を走っていた者は誰だったのか。次々入ってゆくお屋敷の中の人いきれは、一体何の集まりだったのか。何も分からずに話は終ってしまう。しかもである。明りがついてみるとそこには誰もいないのだ。どういうことなのだろう。その後のヘッドライトに覆いをした車が、ことさらのろのろ走っていたり、防護団の人が歩いていたりすることが、余計いらいらするような気持ちになって、不安感をかきたてるのである。百閒の描き出した不安の正体とは何なのか。

 

 「その三」

 永く三井の運転手をしていた人が、退職して今は食堂のおやじになっている。店の常連である私に自動車の話をしてくれるが、免許の番号が十何番という早い番号であってさすがだと思った。今日は彼に招かれて車に乗せて貰うことになった。二重釦の制服を着ている。古風な自動車であった。

 後部座席には肘かけのある席が一つあるだけなので、眺めが広々として、いつもの車と違う気がした。四谷見附の信号で停まった時、横に緑色のオープンカーが停まったが、不思議なのは、その車には誰も人が乗っていない。なのに信号が青になると、私の車と並んで走り出した。半蔵門を左に曲がり靖国神社の横から九段坂を下りて、神田の大通りに出た。そこには大勢の人が歩道を歩いていたが、誰もこの無人の車を見て、不思議に思っている様子はなかった。それから両国橋を渡ったが、その辺りから私の車が少しずつ遅れ出した。私の運転手は前を向いたまま、顔を横にも振らない。錦糸堀の近くまで来た時、私の車は横町に急旋回した。その時緑色の車の後姿が見えたが、何だか車輪と地面との間に、向うの屋根の低い工場が見えた。無人の自動車は少し宙に浮いているように思われた。

 

 東京日記その三は現代に話を置き替えても、十分通用する話である。無人の車が横を走っているのに、運転手も街の人も、誰も不思議に思っている様子はない。しかもこの車、少し浮きあがったまま走っているのだ。この話、星新一が書く短篇などとは違って、絵空事の印象がない。非常に現実的であり、実際に百閒はこんな光景を見たのではないかと思ってしまうほど、具体的に描いている。これも百閒独特の緻密な情景描写の妙なのだ。確かに、街を歩いていてそんな車が過ったような気がする事がぼくにもある。日常の中の非日常。

 

 「その四」

 東京行きの最終の省線電車。広い車室に二、三人しかいなかった相客はみな降りてしまって、東京駅に着く頃には一人になってしまった。駅を出ると変な所に半月が浮いていた。

 月が浮いている所には、丸ビルが建っていたはずなのだが、いつも見なれたその白いビルが消えてしまっている。そこらを歩いてみたが、丸ビルのあった所は一面の原っぱで、水たまりがあちこちにある。丸ビルには地下もあったから、地面が平らになるはずはない。

 翌日、車を拾って、丸ビルまでと言ったら、運転手はいつも通る道を通って東京駅の前へ出た。車を降りても丸ビルは無い。柵を打って針金を張ってあるが、錆びていて、昨日今日のものではない。往き来する人は全く意に介しないように見えるので、そこに立っている人に訊いてみたが、私が何を言っているのか、言葉の意味が分らない様子であった。帰りに有楽町の新聞社で友人に丸ビルが消えた話をしても信じてもらえなかったが、東京駅へ連れて行ったら、驚いて膝をがくがくさせているのが分かった。

 翌日、昨日と同じ用事があって、丸ビルまで行ったら、今日は元のままに丸ビルが建っていた。だから用のある法律事務所まで行って所用を済ませたが、弁護士に昨日はここにいたかと訊いたら、休んだと言っていた。

 外へ出たが、目の前にあるのはどう見ても丸ビルで、変わった所もない。恐らく丸ビルほどの建物になれば、そんな不思議な事もあるのだろうと私は思った。

 

 東京日記その四はそんな馬鹿な、というような話である。だがあるはずのものが消えてしまうというのは、今世紀、世界貿易センタービルの事件があるから、非常識な話とは言えない。これも日常の中の非日常をテーマにした作品で、現実認識というもののあやふやさを思い知らされるような気がした。

 

 「その五」

 今は亡き友人甘木の妻が場末の二業地で女中をしている。訪ねてゆくと工科大学教授の那仁さんも来ていたので話をした。那仁さんは戯れに三味線を鳴らす。私は聞くのが嫌なのでやめてほしいと思ったけれど、途切れると急に淋しくなって、たまらない気がした。甘木の妻が頻りに故人の話をするので、那仁さんは身を固くしている。そのうち周りに何か出て来やしないかという気になった。先日の告別式の時も遅れてしまったので、火葬場から皆が帰ってくるのを待とうと思ったが、場が暗いので、蠟燭を灯そうと思うのだけれど、マッチを擦っても、蠟燭の芯に触れる前に消えてしまう。そして消えた後が一層暗くなるようで、ぎょっとして振り返ると、先日亡くなった別の知人が影となって立っていた。甘木の妻の話でそれを思い出したので、やめてくれればいいと思ったが、向うは更に真剣な様子になったようだった。話というのは甘木所蔵の皿を売ろうと言うのだが、故人に済まないので模造品を作り、それを売ろうと言うのだ。私は何か言おうとしたが、那仁さんが固くなっているので、言葉を切り切り話していたら、妻が急に後ろを向いた。「あれを見てください」。そこを見ると、間境の襖が開いていて、向うの部屋に、甘木が何年か前に死んだ時のままの姿で寝ていた。胸の辺りから裾が見えるのだが、もう冷たくなっていることは、ここから見ただけでわかった。

 

 これまでの話は夢と解釈すれば済むようなものだったが、これは違う。話が現実的で生々しく、とても夢とは思われない。恐ろしい話である。死者の世界の話をしていると、自分までその世界に迷い込んだような気がする、そういう恐ろしさである。ずっと前に死んだはずの甘木の遺体が何故部屋にあるのかはわからない。夢と思いたいが思えない。現代では死者をエンバーミングする技術も進んでいて、この作の甘木のなきがらのように、遺体を保存するひともいる。百閒がもし生きていたら、彼らのことをどう言うだろう。夜ごと遺体が歩きだす話など、彼は書くかもしれない。

 

 「その六」

 私がまだ行ったことがないと言ったら、友人が銀座裏の豚カツ屋へ案内してくれた。静かな通りで、店内も相客がいないので、テーブルに向かい合って座ったが、奥に腰をかけたから、自然と店の暖簾から往来が見えた。

 豚カツを揚げているうちに雨が降り出したらしく、音は聞こえないが稲妻が走り出した。

 料理が運ばれてきたので、早速食いかけたが、旨いので夢中になっていると、気づかぬうちに客が入ってきたらしい。辺りがざわつき、そこらで皿の音がしたり、コップの音が聞こえたりしたが、中に得体の知れない物音が混じって聞こえた。それが一つではなく、辺り全体がそういう気配に満ちている。稲妻は一層激しくなったが、雷鳴は聞こえない。周りがざわつくので気づかないのかもしれない。雨は表を流れており、また次々と客が入ってきた。友人が私の顔ばかり見るので何かと思ったが、何も言わない。人いきれがして、周りの空気が迫ってくるように思われた。

 その時誰かがくんくんと犬のような声を立てた。一瞬、凄い稲光がして、店内に青い光が射し込み、途端に屋根の裂けるような雷鳴がした。驚いて立ち上がると、店内の客が一斉にこちらを向いた。が、その顔は犬なのか狐なのか、とにかく獣が服を着て、中には長い舌で口の周りを舐め回しているのもいた。

 

 ぎょっとする話である。百閒の小説には、時々獣が人間の格好をして現れるのがある。動物として描くのではない。ある種の物の怪として描くので、読者の読後感は動物に対するものとは明らかに異なってくる。怪物を見ている気持ちそのものなのだ。こういう恐怖を彼は好んで文章にした。それは人間が原初の時代から抱いてきた恐怖に近いものなのかも知れない。狂気を狐憑きと言って恐れた昔の人の恐怖の出発点がここにある気がする。

 

 「その七」

 市ヶ谷の暗闇坂を上った横町から、四谷塩町の通りへ出ようと歩いていた。暑い日であったが、通りの家は皆表の戸を閉ざしている。そこから五、六歩歩いた時、急に向うで物凄い気配がしたので、見ると横町が四谷の大通りに出る真正面を、色んな色が重なって非常に速い筋になり、新宿から四谷見附の方へ矢のように流れていった。辺りがさあさあ鳴っているから、その筋の流れから出る響きであろう。それは人の背丈よりも高く、分厚く向うの家並みを遮っていた。凄まじい流れなので、見ていて息が止まりそうであったが、その時しゅっと一番仕舞の端が通りすぎた。

 大通りに出たけれど電車はのろのろと走っており、車は信号のところに停まったまま、静まりかえっていた。

 床屋に入って頭を刈って貰いながら、尋ねると、職人はそんなものは見なかったと言う。どうも聞いていて気に留めている風ではなかった。暫くして私も眠くなってうとうとしていると、不意に胸がざわついて目を覚ました。私の前の鏡をさっきのような色々の筋が、非常な速さで斜めに過ってゆく。「今年は本祭なので大変な騒ぎですよ」。鏡を流れていた筋はさっき見た時の通りに、尻尾が飛ぶように行ってしまうと後は何もない。

 夏祭の御神輿の行列だというのは解りかけたが、何故あんな速さで走るのか意味が解らない。

 

 夏祭の御神輿はゆっくり過ってゆくものである。が、百閒の見た御神輿は戦慄的な速さで街を駆け巡ってゆく。何なのだろう。ぼくが思ったのは、この御神輿、人が担いでいるのではない。狐か何か、物の怪のようなものが担ぎ回っているのではなかろうか。夏の真昼だが、冷水を浴びたような怖さがある。戦争前夜の不安感が百閒にこんなものを書かせたのか。彼の文章にある種の狂気を感じた一篇。

 

 「その八」

 仙台坂を下りてゆく途中で、若い女と道連れになった。夕闇だが、人の顔はわかった。女は首が綺麗で可愛いから肩を抱いてみた。行き先の話をしたら天現寺へ行こうと言う。古川橋から石垣沿いに川辺を歩いたが、いつまで歩いても景色は変わらない。女の家があるから覗くと座敷の前も後も水浸しだが、人が大勢いて平気で歩いている。荷車も自動車も通るが物音が全くしない。女と向き合っていると、その顔は鼻が膨れている。首が綺麗なので抱きたいが、言いづらくてもじもじしていたら、女中のような女が二、三人、目の荒い籠を座敷の隅に積んだ。川で幾らでも捕れると言う。中の物を摑むと毛の生えた物が縺れ合って、這い出すと周りを走り出した。鼠を二つ繋いだような細長い獣で、足がないようだが、それが手首に噛みつく。歯がなくて、痛みはないが人の手をちゅうちゅう吸うのだ。さっきの可愛い女が天現寺橋の方へ行こうと言う。だがそこは下水の匂いがして、滝になっているから危ないと思っていると、そこじゃないわ、帰りに蕎麦を食べましょうと言う。それで女と身体を押し合っていると、さっきの獣が脇の下から背中へ廻り、足の方からも入って、方々に噛みついてちゅうちゅう吸うので、痛くはないが変な気持ちがした。

 

 ここで話は終ってしまう。何のことだかわからない。気色の悪い、生理的嫌悪を感ずるような、変な話である。「東京日記」には、この手の奇妙な話が満載されている。しかし、どの話も話そのものは世界がしっかり構築されていて、破綻がない。しかし「その八」は一体何だろう。水浸しの家、歩いても、歩いても変わらない風景。人の肌に噛みつく歯のない獣。そこから汲みとれるのは、現象に対する違和感である。百閒は夢にも現実にも、しっくりこないものを感じているのではないだろうか。ぼくにはそんな気がしてならない。

 

 「その九」

 雑司ヶ谷の盲学校の前を通った。真夜中、背後から若い男たちがやってきた。酔っている様子である。軍歌のような歌を歌いながら、門の扉を乗り越え次々中へ入ってゆく。歩き方が変なので、目が見えないのだろうと思ったが、学校の生徒ではなさそうだ。彼らの歌う軍歌は寮歌のようでもあり所々調子外れで変な気がした。

 全員が中に入ると園児のように丸い輪を作って踊り出した。踊りの輪はあっちへ寄りこっちへ寄りしていたが、そのうち私のいる門扉の近くに寄ってきた。みな若者のはずなのに、年寄りのような顔をした者もおり、女のようなのもいたが、その中に異様に顔が長い、顎髭を生やしたのがいた。山羊に違いないので、思わず私は叫びそうになったが、何一つ声にはならなかった。周りが月光に照らされ、陽炎のように揺れる中、時折山羊の眼がぴかぴかと光った。

 

 これもまた獣の話であるが、登場する山羊は明らかに人間の飼っている山羊でも、野生のものでもない。何か得体の知れない妖怪、物の怪のたぐいのものに思える。山羊の周りの者たちは何であろう。年寄りじみた者がいたり、女のような者がいたり。そう言えば百閒は琴を趣味にしているだけあって、その師匠筋の付き合いから、目の不自由な琴の演奏家との交遊が深い。その中にあの宮城道雄氏もいるわけだが、こういう人々を種に怪談を執筆することはあまりなかった。よってこの超短編は百閒には珍しい作かも知れない。

 夜中に盲学校の校庭で踊りに興ずる山羊の化身たち。月光に照らされて歌など歌っているところは、別に怖くはないが、彼らの正体がはっきりせぬまま終わってしまうこの話。謎が謎を呼びいくら考えても不思議さは尽きることがない。

 

 「その十」

 東京日記のその十は黒澤明によって映画化もされた、富士山が噴火する話である。

 とうとう噴火してしまった富士山。それは東京からも地響きが聞こえるほどである。夕方、日が富士山の向うに隠れ、町明りが点り始めるころ、九段の富士見町通を市ヶ谷の方へ歩いていたら、富士山の影がくっきりと浮かんでいたので、思わず見とれていると、山には雲が湧いてそれが富士山にまつわり出した。空との境目がわからなくなりかけると、頂がにわかに赤くなり浮雲が燃えるようである。行き交う人は誰も気に留めていないようだ。そうしているうちに空が広く赤くなりだして、合羽坂の向うの方だけでなく、士官学校の森の上の霧までが赤くなりはじめた。大変だと思っていると、香木を焚くような匂いがして、赤い火の色が麓の方に降りてゆくのが見えた。頂上は瑪瑙のように輝いており、私はこのままだと富士山は裾野の方まで真っ赤に燃えてしまうのではないかと思って、呆然と夜明けまでかの山を眺めて飽きなかった。

 

 この作で百閒は、純粋に富士山の様子の一部始終を克明に描写している。百閒文学の真髄とは写生文にあると言っても過言ではないと私などは思っているが、それにしても、彼の、俳句に根ざした写生のありようは、単なる描写にとどまらず、日常をどこか突き抜けており、それが迫真の文章となって、読者の心をとらえずにはおかない。

 特にこの話での白眉は後半にあると思う。頂上が瑪瑙のように輝き出し、溶岩流の光が、富士の山肌を覆ってしまうのではないかと危惧するくだり。しかも、ありきたりの言葉を嫌う百閒は最後まで「溶岩流」という言葉を使用していない。あくまで「自分の眼で観たもの」を自分の言葉で描くことに徹しているのだ。

 

 「その十一」

 東京日記のその十一は「上」と「下」、つまり前後編に分かれている。

 発車までまだ間があるので、東京駅の食堂で麦酒を飲んでいると、向うの席に誰かが立ったまま、私の方を窺っている。それは学生で、見覚えのあるような気がしたので、軽く会釈すると向うもお辞儀して、すぐ真向かいの席に座った。見覚えがあると思ったのは、二十年も前の学生のことなので、その頃の学生が今も学生でいるわけがない。首をかしげていると、学生は麦酒瓶を持って私のコップに注ごうとする。もうそろそろ切り上げようと思っていたので、嫌な気がしたが学生は意に介さず、煙草まで注文して持って来させた。頻りに煙草をすすめるが私は吸いたくないし、酒を飲むとき吸う趣味はない。断ったが向うは言い出すと聞かない。学生は言った。

 「僕は満州国のものです。友人が国へ帰るので見送りに来たのです。あなたは今どちらですか」。そしてまた煙草や麦酒をすすめるのには閉口した。

 後ろに様子の違った顔に痣のある学生が現れ、今の学生の横に割り込んで座った。二人で話しているが言葉がわからない。暫く話をしているうちに、私の顔を指ざしし何か言い始めた。後から来た方が特に腹を立てている様子で、喧嘩腰で今にも飛び掛かりそうである。急に短い言葉を発し燐寸で彼がテーブルの端を弾いたら、さっき零れた麦酒がはねて、私の顔にも飛び散った。恐ろしくなって席を立とうとすると、またわからない言葉で私を指ざしするので、元からいた学生までがいきり立ってきた。二人で喧嘩をしているようにも見えた。麦酒は痣の学生が注いでは飲み注いでは飲みしてすぐに無くなってしまった。周りが方々で騒がしくなったと思ったら、食堂にいた客が皆立ち上がり、相席同士で罵り合っていると思ったら、私の方を向いてみな指ざしして私に叫んでいる。

 それに応えるかのように後から来た学生が、奇声を発して立ち、濡れたテーブルを敲いて私の返答を待つような顔をした。

 

 「その十一」は、当時の世相を考えるとあまりに生々しい話である。どこかで逢ったような赤の他人に逢うというのは、誰にでもあることである。だがそれがきっかけで、主人公はわけのわからない厄介事に巻き込まれる。人違いなのに、向うは勘違いしたまま、頻りに私が飲みたくもない麦酒や煙草をすすめ、後から来た痣の学生が、元の学生と話し合っているうち(わからない言葉というのがミソである)、だんだん二人は激してきて、主人公をわからない言語で罵り始める。それだけでも何のことだかわからないのに、店にいた客がみな立ち上がり、私に向かって罵声を浴びせ始める。

 肝心なことはこの作で百閒は彼らの言語を、どこの国の言葉か、明らかにしていないことである。そして言葉の正体をぼかすだけでなく、冒頭のところで学生に「満州国の者」と名乗らせているところも重要である。二人の学生はどこの国の人間かはわからない。わからないが、読者は誰もがうすうす気づいている。もしここをはっきり書いてしまったら、あの百閒でさえ特別高等警察に睨まれ、強制連行されて事情聴取を受けたかもしれない。だが、百閒の思いが向かうところはそれだけのことではないことは明らかである。彼は言葉がわからないことの恐ろしさを説いているのだ。目の前で何を言われているのかわからない恐怖。また、店内のすべての客に罵声を浴びせられる場面は群集心理の恐ろしさを言っているのだろう。先の日本の戦争が集団ヒステリー的なものだったことと、この作品を照らし合わせてみると、止まるに止まれない時代の気分がくっきりと浮き彫りになっているように思われてならない。

 

 「その十二」

 私は箏を出し、自分の部屋で「五段砧」を弾いている。家の者はみな出かけていて留守である。外を歩く人の足音が気になって、中々箏に身が入らない。仕方がないので箏を脇に押しやって、もう一つの長磯の箏を出してみた。音はいいが手がうまく動かない。

 気分を変えて弾いているうちにだんだんいい音が鳴りだした。気がつくと、脇に押しやったもう一つの箏を、いつの間にか見知らぬ人が弾いている。この人と話し合って調子を合わせ弾いているうちに、いい演奏になってきた。弾き方が白熱して酔ったような気分になってきたので、少し横になろうと箏に寄り添うように寝てみた。次第にうつらうつらして表の足音や風の音だけを聞いていた。

 いきなり家の者の大きな声で目が覚めた。慌てている。「まあ、何ということでしょう。箏の周りが泥だらけではありませんか」。

 

 百閒に箏にまつわる短篇は多い。が、怪談は意外と少ない。本編は怪談というにはちと怖さが足りない。が、百閒らしいユーモアを感ずる。百閒は大まじめに狸や狐、貉の話を信じていたふしがある。超常現象の多くは彼らの仕業だと信じていたのであろう。今日のように科学が進歩していた時代ではない。それゆえということでは必ずしもないが、当時は不思議な出来事があると、物の怪の仕業にされることが多かった。信じない人も一部にはいたが、多くの人はそれを信じた。この話に登場する貉か何かの物の怪は人に危害を加えようと出現したのではなさそうだ。悪戯をしに来たのでもないような気がする。ただ、主人公の弾く箏の音が気がかりで、ついちょっかいを出したくなったのだろう。実に人間味あふれる妖怪である。こういう温かみを感ずる妖怪の世界。のちの水木しげるの漫画の世界とも相通ずるものがあるような気がする。

 

 「その十三」

 寝苦しい夜、犬が庭の一所で吠え続けてやめない。うとうとしかけたが、起き出して庭に下り梢を見上げた。梅雨空である。木兎の声が動いている。よく見るとその眼が方々に散らかっている。どうやらものすごい数の木兎が私の庭に集まってきているようだ。その内にも頭をかすめて飛ぶ木兎の数は増えているが、何の音もしないから、風の塊で顔を敲かれているような気がした。振り返ると雨戸から外に洩れる明りが明滅し、息をしているように思える。中に入ってみようと、縁側に足をかけたら幾つもの無音の黒い影が私の耳をかすめるように庭の闇へ飛び出した。驚いて家に入ると床の間にも箪笥の上にも鴨居にも木兎が留っている。その中に飛び立つのがあって羽を広げると恐ろしく大きな鳥に思える。音もなく家を出入りし、知らないうちに数がどんどん増えてゆくようであった。

 

 梅雨時の話である。恐らく東京日記の殆どの話は、プロットをその年のうちに書いてまとめ、十二月に東京ステーション・ホテルに籠り、短期間で一気に執筆したものであろう。ここまで読むとそれが薄々分かってくる。

 当時、木兎が街中にいたかどうかはわからない。少しならいたかも知れない。だから木兎そのものはさほど不思議ではない。問題はその数である。尋常な数ではなさそうだ。しかも、雨戸を開けたら家の中まで入ってきた。怖いと言えば怖い。木兎は猛禽類。肉食である。鷹や鷲に比べれば一見迫力に劣るように見えるが、実際は嘴も爪も鋭く、普通の人が簡単に仲良くなれるような、人懐っこい生きものではない。無数の木兎が主人公の家にだけ集まってくるという意味の分からない出来事。しかも殆どは音も気配もない。何とも言い知れぬ不安感。戦争が始まることへの不安を象徴的に表したものだろうか。

 

 「その十四」

 植物園裏の小石川原町の通りを、夜の十一時過ぎになると裸馬が走り回り、植物園の茂みに隠れ込むという話が、まことしやかに語られている。毎晩の事だというので、仕舞にはこの界隈では夜間外出する者が誰もいなくなった。その内に、昼間でも人通りが絶えると馬が出没すると言われるようになった。

電燈会社の集金人が生垣の前で殺されているのが見つかったのは、それから間もない日の午後で、棍棒のようなもので殴られたようだという話である。八百円余り入った鞄を奪われ、付近の生垣が生々しく荒らされているので、そこを通るのはあまり気分のいいものではない。私の家の並びに老女と大学生の息子だけの家があって、二、三日後、その家から悲鳴が聞こえたので、近所の人が駆けつけると門は閉まっている。少し遅れて私も駆けつけると、間もなく悲鳴がやんで、内側から門を開ける音がした。老女が立っていて言うには、例の馬が飛び込んできて家の中を駈けぬけていった、姿を見なかったかと言う。

 

 馬の奇談である。馬には牙も恐ろしい角もない。他の猛獣に比べてとりわけ恐ろしいものとも思われないが、この作における馬は、殺人事件も絡んでいるだけに、話が尋常におさまらない。夜ふけ、不意に住宅街に現れる馬。或いは昼日中人通りが絶えるとだしぬけに現れる馬。ほとんどの人は不意を突かれることに馴れておらず、それがどんなものであっても怖いものは怖い。それでも馬が人殺しに関わるわけもないし、ましてや金品を奪って逃げるなどありえない。とは言え、二つの出来事にまつわる百閒の書きぶりは、明らかにこれらを関連付けていて、当時の東京の住宅街の事情に詳しくない読者にも、不思議な現実味を与えつつ読ませてしまう。文章の達人たる由縁かも知れない。

 

 「その十五」

 官立学校を辞めた時、恩給をもらったから、それで酒を飲み歩くようになり、馴染みの店ができた。飲みすぎて寝てしまったらしい。目を醒ますと、芸妓の膝枕で寝ている。その芸妓が彼の髭を引っ張る。痛い。向うにいた別の芸妓が彼の起き抜けの眼球を美味しいといって舐める。こっちは何でそんなことをされているのか分らない。目も醒め切っていないし、辺りが騒がしく、何人いるのか分らない。周りは散らかっていて、卓袱台から水がぼたぼたこぼれる。その内芸妓が彼の耳を噛みはじめた。眠る前と芸妓の様子が違うようだがよくわからない。あんまりやりたい放題されるので、彼が怒鳴ると「乱暴な先生。筋が釣っているんだわ」とわけの分からないことを言う。その内三味線を弾き出し、歌いはじめ、彼に酌を始めたが、ちゃんとやっているようでも、節回しも、振る舞いも何か変であった。

 

 東京日記は奇妙な話が多いが、この十五はその中でも極みとも言うべき話である。目を舐める話は鈴木清順の「ツィゴイネルワイゼン」にも出てくるが、あの奇怪な映画でさえちゃんとした脈絡をもって説明的に描いている。が、原作であるこのエピソードは、そんな脈絡のちゃんとした話ではない。何せ眼が醒めると同時に、芸妓が主人公の眼球を美味しい、美味しいと言って舐めはじめるのだから、何のことだか分らない。おまけに黙っていたら耳まで噛みはじめる。しかもだ。この話、最後まで彼ら芸妓が何者なのか正体すらわからない。いつもの東京日記なら、狐か狸か、豺の仕業と分って終るのだが、今回はそういう「落ち」すらないのである。ただ三味線の音や歌の節回しが妙だとか、そういうことでしかない。常軌を逸しているし、こういう事を真面目な顔で執筆する、百閒の人間性に狂気の片鱗を見た気がしたのは確かなのである。

 

 「その十六」

 日比谷の公会堂に遅れてきた主人公は空席を探したが、客席は石榴の実のように詰まっていて、だんだん上の方を探していたら天井に近いところにやっと一つだけあった。あんまり高くて、目がくらんで前にのめりそうな席である。一人で現れた演奏家だが、あまりに小さくて驚いた。こちらの席が遠いから小さく見えるという程度の話ではない。背丈が二尺ほどしかない。頭は禿げていて夏みかんくらい小さい。遠いのにはっきり見えるのが奇妙であった。バイオリンを弾きはじめると、その音色が下の方からよく響きわたり、うっとりするようであったが、時折舞台の方を見やると曲の緩急に合わせて演奏家が伸び縮みするような気がする。等身大にまで伸びたり、また横に広がったり。合わせてバイオリンも大きくなったり小さくなったり、幅広くなったり、分厚くなったり。

 曲が終って、喝采が起こったが、曲の調子でバイオリンが曲がっており、持ちはこぼうとすると伸びてしまうので、運ぶのに苦労している様子である。さらに激しい喝采は終わらず、バイオリンをもつ、その手の様子が見えたが、手の甲に豊かな毛がふさふさと生えているのがはっきりわかった。

 

 百閒は音楽に造詣が深い。自らが箏のアマチュア演奏家であることもあるが、音感のいいのは生まれつきのようである。クラシックの名曲についてもよく知っているし、あのサラサーテ自ら演奏した奇盤を題材にした有名な小説もある。

 この作はバッハの無伴奏の曲が題材に採られている。けれども読み進むうちに感じられてならないのは、怪談とか奇談とかいうものではなく、まるで童話のようなほのぼのとしたユーモアである。最後の落ちは百閒らしく物の怪のようであるが、そこまでの展開は賢治の童話のようで、愛らしくさえある。

 

 「その十七」

 神田の須田町は区画整理の後、道幅が広すぎて夜遅く歩いているとまるで曠野のようである。冷たい風の中九段の方へ行く安全地帯で市電を待っていたが、遅いので車も人も通らない。風のせいで砂ぼこりが立ち、向うの街灯が赤茶けた色に変わってきた。寒いので足踏みをしながらぐるりと身体を一まわりした時、町裏の広瀬中佐の銅像の辺りから狼の群が現れ九段の方へ走っていった。恐ろしくもなかったから、気づかれぬよう身動きせずに眺めていると、薄暗い砂塵の中から次々狼が現れる。先頭の狼は、もう淡路町の停留場の方へ行っているらしい。疲れたような足取りでどこへ行くのか。一心に見つめていると辺りが明るくなって、車掌が昇降口から声をかけた。「乗るんじゃないんですか。お早くお早く」。

 

 はっきりとした「落ち」のある、東京日記の中でもっとも短い話である。日本の狼は明治38年に絶滅したと聞いている。明治43年にも捕獲の記録があるというが、確固たる情報ではない。ともかく、百閒の生まれた明治22年当時、狼は生存していたことになる。百閒が肉眼で狼を見たかどうかは知らない。少なくとも随筆にそのようなものは見かけないから、見ていないと考えるのが妥当だろう。

 東京の神田須田町に現れた狼。ヒントは広瀬中佐の銅像のあたりから現れたということで、戦争と関連づけて考えてみたくなる。広瀬武夫中佐は海軍の軍人だが、多少疲れたような足取りで急いでゆく狼の様子は、日中戦争での日本軍の行軍を思わせる。狼は滅んでいった種族である。もし百閒が日本陸軍のことを狼に譬えているのだとしたら、彼は日本の敗戦を予感していたのではという気になる。これはかなりうがち気味の推理である。当時ちょっとでも日本軍の行く末のことを語れば特高に捕まったであろう。暗い時代である。

 

 「その十八」

 飛行機の査証のため急ぐ用事ができたので、夜になって麻布の大使館に出かけた。大使の家に寄ってくれとのことで、タクシーに乗った。もう幾日も続いている秋雨がその夜は特にひどく、車に乗っていても体のどこかが濡れているような気がした。和風の玄関を入ると思いがけぬほどの大広間で、薄明りのため隅々が暗い。艶めかしい衝立の物陰から、紫の縞の着物に紋付の羽織を着た、変な男が現れた。日本人だが気味が悪いほど色白で、白粉でもつけているのか疑っていると、いま大使閣下が見えますと女のように優しい声で言った。その手を見ると本当に白粉が塗ってあるらしい。応接間に通された。長椅子にアンゴラ猫が寝ている。さっきの男は長椅子に体をすりつけ、こんなところで日本の方にお逢いすると懐かしい気がしますと言う。雨はいよいよ激しさを増してきた。帰りが心配でならない。するとノックもなく入口が開いて、別の日本人が入ってきた。やはり着物に紋付を羽織っている。女のように色白なのは同様だが、こっちの方が存外美しく、若い。二人は意味不明な言語で話しはじめた。というより言い争っているようだ。若い方が言う。

 「ゆっくりなさってゆくのでしょう、先生」

 「いえ、私は急いでいるのです。大使はもうお見えになりますか」

 「さあどうでしょう」

 話し声が途絶えると、アンゴラ猫の鼾が聞こえだした。

 

 土砂降りの秋雨。言い争う女のような男たち。眠るアンゴラ猫。大使は現れる気配もない。一言で言えば、「東京日記」その十八はたったそれだけの内容である。帰りが心配なので、雨が激しくならないうちに帰りたいのだが、大使はどうやら居留守をつかっており、変なホストのような化粧をした男たちに接待されている。同じ日本人なのに、意味の解らない言葉を聴かされる不安。どこの国の大使館なのかも解らない。急ぎなのにのんびり待たねばならない苛立ち。当時の日本人が身を置いていた奇妙で理不尽な世界。その縮図のようにも思われる。

 

 「その十九」

 夕空が晴れ渡っているのに、夕日の明るさに比べて物の影や道端の並木が暗いようであった。山王下の料亭に行くと、もうすっかり夜であったが、家の中は明るく障子まで白く輝いていたから、気持ちがはっきりするような気がした。卒業以来何十年も逢っていない初めての同窓会なので、部屋に入っても誰が誰だか即座に分らなかった。大体集まったところで酒を飲みはじめたが、酔うほどに顔がはっきりしてくるようだった。隣の男は、学校でも隣の席だったが、卒業以来逢ったこともない。商売は何かと聞くと、泥坊をやっているという。だが詳しく聴こうとすると、人には言えないような事ばかりだという。

 ところで、二三人先に座っている男がはっきりしない。顔を思い出し、久闊も述べ合ったが、彼はずっと以前農大に通っているうちに玉川上水に落ちて死んだはずなのだ。泥坊は平常、下谷で葬儀屋をやっているというので、彼に例の男のことを訊いてみた。すると確かに玉川上水の土左衛門だという。だが、他の奴だっておんなじだ。僕等のクラスは不思議とよく死んだからな。

 それから随分時間が経ったが、賑やかなのは私のところだけで、他の席は酔うほどに暗く沈んでゆくようであった。

 

 同窓会に行ったところが、出席者のほとんどが故人。死んだはずなのに同窓会に出ている。そういう話である。しかも生きている者もそれを知っていて、平気で飲んでいる。いや、ちょっと待てよ。生者と言っているがほんとうに生きているのだろうか。主人公のことも、読者は生きているという前提の上で読んでいるが、話の相手をしている泥坊を自称する級友も、主人公も実は死んでいるのではないのか。自分の立っている地平が実は冥途ではないと何故言えるのだ。不思議な話である。

 

 「その二十」

 湯島の切通しに隧道ができて、春日町の交差点へ抜けられるという話なので、そこへ行ってみた。まだ人力車が盛んだった頃、私はよく本郷から小石川へ帰るのに俥に乗った。車夫がその坂道をすべるのを防ぎながら、長い坂を下り、そこからまた伝通院の側の富阪の急坂を、息を切らして上ってゆく。車夫の苦労が思われて、気が気ではないが、この苦しさを別にして考えても、ここは三角形の二辺ということになり、もし真砂町から富坂上にかけて空中線に陸橋をかければ、その方がずっと近い。ならば俥屋も楽だし、荷車引きも助かるだろう。何故そういうことをしないのかと、気にかけていたが、最近になって、四谷塩町と市ヶ谷合羽坂の間にそういう橋ができるそうだ。しかしそれより、高台の底に隧道を掘って、向うの低地に結びつけるというのは、一層いい考えである。まだ日が高い日中に私は、湯島天神の下からその隧道に入ってみたが、入口は狭くて窮屈だけれど、しばらくすると、暗がりが広がってきた。愛宕山の隧道などとは違って、向うが見えるような短い穴ではない。湯島の穴には明りがないので、外からは暗いけれど、中に入ると明りがある。しばらく行くと外とは違うべつの明りが射してくるのだ。そこいらのものがみな光を放っているので、それで十分明りがとれるのである。水たまりに金魚が泳いでいたが、金魚自体が光っているので、鱗のかたちまでわかる。

 さらに奥へゆくと、穴はさらに広くなって、茶店を出しているところへ来たから、休んだが、お茶くみ娘は美しく愛嬌があり、肌から光を放っていてことさら眩しく感じられた。茶碗や菓子皿も光っている。それも鋭い光というのではなく、物のかたちがわかる程度の光なので、見ていて疲れることがない。

 茶店のさきには公園らしきところがあった。樹の枝にも葉にも光が感じられ、地上の景色より美しい。小鳥もいて光のかけらのように飛び回り、噴水はまるで花火のようであった。

 方々歩いたが春日町へ行く道がわからないから、少し心配になってきた。誰かに訊きたかったが、人もいないし、空がないので方角がわからない。その内、穴はさらに広がってとりとめがつかなくなってきた。気がつくと自分の身体も手もうっすらと光を放っていた。

 

 これは幻想、というより現実に即した夢、のような話である。漱石の有名な著作に「夢十夜」があるが、それとの共通点を若干感ずる。

 湯島にできた隧道。その中に入ってみると、あらゆるものが内側から光を放っており、明りが何もないのに隧道は不思議と明るい。奥には茶店や公園や噴水があり、樹々の間を小鳥が光りながら飛び交っている。ある種のユートピア的な世界だが、出口がわからない。出口を探せば探すほど穴は広がってゆき、しまいには自分の身体、手や足まで光りだしてきた。

 よく迷宮のような夢を見ることがあるが、出口のわからない不安というのは、いくら世界が平和裏に収まっていても、不安なものである。言ってみれば東京ディズニーランドで迷子になるようなものだ。そのディズニーランドで出口を聞きたいが、人々の話している言葉がみな日本語でない異国語だったら。これも何とも言えぬ不安な結末を迎えるが、自分自身も光りだすくだりには、百閒のおちゃめないたずら心のようなものも感じられて興味深い。

 

 「その二十一」

 ホテルの食堂へ晩飯を食べに行った。私の席のすぐ前に後ろ向きに座っている西洋人の年寄りがおり、向かいに洋服の日本女性が厚化粧をして、不自然に笑顔で話しかけている。西洋人は七面鳥のような皺の寄った首に真白な長髪がかぶさっている。受け答えしながら首を縮めるたびに白髪がおっ立ち、見ていて気持ち悪くなった。私は皿を突っつきながら、そっちに気を取られていると、履いているスリッパが脱げるので、気になるのだが、向うの話は熱を帯びてきたようで、西洋人が女の顔の前に手を出して見せたりしている。何となく私には相手をしている女の様子が、自分の気を惹くような気がしてきた。よくすべりおちるスリッパを探りながら、食べているものの味もわからなくなりかけた時、とろけたような表情で、女がちらっと私の方を見た。そのとき西洋人の首の色が急に変わって、皺まで赤みを帯びていたのが、一度に紫になったようであった。

 ボーイがその卓にきて何か言っていたが、途中で西洋人が立ちあがり、席を離れ、女の腕を取って、吊るし上げるように立たせたかと思ったら、身体を軽く小脇に挟んで入口へ歩き出した。支配人やボーイが大勢腕組みをしているが、みな平然としている。私の勘違いかもしれないと思われたので、落ちつこうとお皿を見つめてフォークを動かしていると、皿にある骨のついた鳥の肉や、小さな帽子をかぶったトマトなどが興味深く、さっきの騒ぎもこのお皿の中の匂いだったような気がしてきた。

 

 東京日記その二十一は、百閒のまさに日記の一節のように語られる。怪談でもファンタジーでもない。現実の光景(たぶん東京ステーションホテルで見た光景)を、多少脚色して、描いた書下ろしのようなムードを感ずる。怖くはない。怖くはないが、目の前の光景を脱げかかるスリッパをもぞもぞさせながら見入る、文章のリズム感とでも言おうか。遅すぎもせず早すぎもしないテンポの良さと、それをお皿の中の匂いだったのではないかと結論付ける、その決着の仕方が昭和の文豪らしい非凡さである。何事もないような話であるが、何だろう、見過ごしにはできないような、見ていたいようなおかしさがある。

 

 「その二十二」

 日比谷の交差点に二つ並んでいる公衆電話の手前のに入って、相手を呼んでいると、隣にも誰か入ったらしいが、硝子が汚れていてよく見えず、初めはわからなかったけれど、目が馴れてくると、髷(まげ)に結った非常な美女の姿がありありと見えてきた。

 用件は人と逢う打ち合わせで簡単に済むのだが、なかなかつながらず、ずっと待たされているのだが、こっちとしてはこれは好条件であって、お蔭でこの美女を好きなだけ見ていられる。もっと見ていたいと思った。

 向こうの女は頻りに喋っていて、身体をこっちにねじまげているせいで、唇の色も見えるし、手がらの色も目に沁みてくる。何の遠慮もいらないので電話を留守にして眺めていたが、向うの会話も次第に生き生きしてくるようで、それも電話に向かってではなく、硝子を隔てた私に向かって話しているように思われ出した。

 私の電話は未だ混線していて繋がらない。その合間に、雑音の向こうから、綺麗な女の声が聞こえてくるような気がした。

 「そうは行かないわ、でも仕方がないわ、ええ構わないわ」という、切れ切れの声が聞きとれる。

 「それでどうなの。あなたは今すぐでもいいんですか」と言ったようであった。それで私も雑音の向こうへ、

 「こっちは構わないよ」と言ってみた。すると、

 「それじゃ、もう電話を切るわね、すぐ出てくださる」と言った。

 「いいよ、それじゃ僕も切るよ」と言って、受話器をかけた途端に、隣も受話器をかけた。私を見て笑ったようであった。

 ばたんと音たてて、隣の女が出てきたから、私も出ようとすると、こっちの扉は上手く開かない。押したり突いたりしていたら、人影がさしたので、目を上げると、今の女が立っていて、私の箱に入ろうとしている。うつくしいのはその通りなのだが、驚くような大きな顔で、赤い唇の間に舌のひくひく動いているのが見えた。

 

 「東京日記」の中でも印象的な、美女の話である。公衆電話の隣の箱に入った大変な美女。男なら誰もが見とれてしまうだろうが、この美女が箱を出た時、その顔の巨大さに驚くという「落ち」は、簡単には忘れられない。

 何故ならその光景が具体的にありありと目に浮かぶからだ。どんな女だったか。おそらく厚化粧ではない。すっぴんでもないだろうが、顔の作りのいい、適度に化粧をした、品のいい女だ。こういう女と付き合ってみたいと、男が誰でも思う、そういう女。だが近づいてきて気づいた顔の巨大さ。その女が自分の箱に入ってこようとする。そして女の口のなかで舌がひくひく動いているのが見えたという描写が最後にある。現実の女とちょっとだけ違うことが、どうしてこんなに恐ろしいのか。

 この短篇でも先述に「落ち」と申し上げたが、これは厳密に言えば落ちでもなんでもない。結論を言わずに匂わせただけだ。余情・余韻の渦に読者を巻き込んで、涼しい顔の百閒は憎らしい限りである。まあ、それはいいとして、それにしても人間の想像力というものは、時に読んだ印象を増強・増殖させ、おそろしい怪物に変貌させてしまう、脳内に存在する驚異のスパイスである。そして百閒は読者の想像力をかきたてる名人であることが、このような短篇を読むとはっきりしてくる。

 

 「その二十三」

 私は仕事で半月ほど、東京駅の鉄道ホテルに泊まっていたが、その間一度も外へ出なかったので、だんだん鬱屈とした気分になってきた。またホテルの食べものは窮屈で、そんなものばかり食べてもいられないから、毎日昼か晩の一回、時によると二度とも乗車口の精養軒食堂へ降りて、いろんなものを食った。

 精養軒食堂はいつも繁盛していて客足が絶えない。夕飯の時は客でごった返しているから、酒を飲みながらの食事も落ちつかなかったが、酒がすすむうちそれも気にならなくなった。

 そんな時に食堂のどこからか、決まった同じ調子の声が聞こえてきた。聞きおぼえのある声なので、辺りを見回したが、誰がその声を出しているのかわからない。

 その声はしゃがれていて重みがあり、年輩の男性の声かと思うけれど、話している内容は聞こえてこない。それでも毎回期待してゆくと、やはり聞こえるので、一度もがっかりしたことはない。

 一週間か十日ほども過ぎたころ、その聞きなれた声が咳をした。普段なら気にもならないが、それを聞いて私ははっとした。それは三十数年前に死んだ父の咳払いにそっくりだったのだ。だが、考え直してみると、父が亡くなったのは、現在の私より年下のころであり、こんなに年輩の声ではないはずである。もっと若いはずだ。そのように気を取りなおすと、間もなく咳も止み、また重みのある調子で会話が聞かれるようになった。

 

 東京日記の最後の話はおそらくはホテルでの書き下ろしであろう。東京駅のホテルに泊まっている当時の「現在」の体験を書いているが、この話は誰でも似たような経験をしたことがあろうかという話である。死んだはずの父の声。それが聞こえてきた。それも死んだときより年をとった様子で聞こえてくるというのは、ちょっとおもしろい。

 百閒は岡山の老舗造り酒屋「志保屋」の一人息子として生まれた。本名を栄造といい、これは祖父の名をもらって付けられたという。百閒は幼い頃からおばあちゃん子で坊っちゃん育ち。幾分甘やかされて育てられたようで、幼時は意気地なしで泣き虫のところもあった。この志保屋では代々一家の当主に「栄造」「久吉」の名を代わる代わるに付けて代を継がせたというが、百閒の父久吉は彼の中学在学中に夭折。それと時を違えず志保屋は多額の負債を抱えて倒産した。百閒は金の使い方が常軌を逸しているところがあり(一円の借金をするために、十円のタクシーに乗ってくるようなことを、やらかしていたらしい)、その後も借金に苦しんだ。作家生活を始めてからも、原稿料が入るのに、楽な生活はしたことがないらしく、そのやりくりは「錬金術」と自称したが、家計は火の車だったようだ。

 晩酌に毎日鰻を食べ、ちょくちょく鮨を頼み、夜遅くまで飲んでいる。明け方まで飲んでいることもあったようで、その昼夜逆転した生活を邪魔されないために、晩年は「日没閉門」を宣言。知己以外誰も家に寄せつけなかった。

 怪奇小説家としても、随筆家としても一流だった百閒。しまいには芸術院会員に推されるが、「嫌だから」「気が進まないから」と辞退。会員になれば年金だってもらえるのに、なったらいろいろ煩わしい思いをするから嫌だ、などという言い草聞いたことがない、と世間の人に呆れられたが、こんなエピソードも百閒ならではであろう。

 百閒の息子久吉は夭折。もうひとりの息子唐助は戦後日記によると精神を病んでいたようで、百閒の身辺はあまりしあわせではなかったようだ。

 だから、本妻清子のところには寄りつかず、もっぱら内縁の妻佐藤こひとの毎日に、ささやかな歓びを見出した百閒。こひさんの作る酒の肴に舌鼓を打ち、夜遅くまで野良猫ノラやクルツと語らう生活に、淋しいながらもしあわせを見つけたのかも知れない。

 そんなことを背景にして、東京日記その二十三のエピソードを、いろんな面から眺めると、百閒の作家人生そのものの光と影のようなものが、大きくクローズアップされてくるようで興味深い。