「行動力」。
自分では、割と行動力があると思っています。
思いついたら、あまり考えずに「即、行動」みたいな。
それが、良いのか悪いのかは別にしてですが。
色々と考えると、これは面白いことです。
人が行動するのは、「何らかの目標や目的を達成するため」です。
人は誰しも「変えなければ」という問題意識があって、
解決のために行動したいけど、行動が出来ない。
こんな矛盾があると思います。
私にも、そういったことはあります。
「だらだらと時間を過ごすのは止めたい」と思っても、
自分に負けてしまい、結局、やるべき事は出来なかった。
変えたい、良くしたい、行動を起こしたいと思っていても
心の中にある”何か”が怖くて、変えられない。
行動が出来ないということは、
”怖がっている”、”不安に感じているだけ”なんだと思います。
好きな人に告白をするにしても、ビジネスをするにしても、車や家を
買うにしても、結果を恐れるから、変えられない(変わらない)のです。
でも、結果を変えたいのに、結果が出るのが怖いなんて、
何だか矛盾していますよね?
”矛盾を抱えて生きる”のが、人間です。
現実を直視するのが怖い。
その恐怖は、どこからやってくるのでしょうか?
『現実を受け入れることが怖い』という事があります。
正直に言えば、私たち人間が生きる理由なんて存在しない訳です。
それは、人間だけではなく、全ての生き物、物質に言えることです。
「犬が存在する意味は何ですか?」と聞かれたとき、どう答えますか?
可愛いから、癒されるから?
宗教的なことを言えば、
「命は神さまが与えてくれたものだから、尊ぶべきもの」。
そう言った意味のことが言えるでしょうか。
(神さまの存在の有無は別として)
実際問題として、動物は放っておくと大量に産まれてくるのです。
”そもそも、生きている(存在している)根拠”はない。
自分が誰で、何をするために生まれて、どこへ向かえば良いなんて、
誰にも判らないし、生きている中で、これが正しいと言った、
絶対的な根拠を見つけ出すことは、出来ないと思います。
自分でも解らないことを、他人が理解できるはずもありません。
現実をありのままに受け入れると、怖いことが連想されるわけです。
『自分って、別に生きて無くても』と。
現実だけを考えると、生きてる根拠がないし、行動する理由もありません。
自分が死んだところで、他の多くの人は生きてる訳です。
「生きたくても、生きられない人もいるんだよ」と教えられても、
「死にたくても、死ねない人もいる」と反論したくなる。
結局のところ、あまりにも多くの人が本気で
“現在(今)を生きる”ということをしていないのです。
「死ぬのも嫌だし、取り合えず同じようなことをしていれば、
それなりに生きれるだろう」と。
私は、行動できない理由は、
『本気になって、生きる意味を持たないから』だと思っています。
歴史を見れば、結局は繰り返し。
人間は生まれたり、死んだりを繰り返します。
そんな流れの中、「自分には、何が出来るのか」を考えてみる。
そうすると、”生きる意味なんて無い”と思いつつも、
”意味を創って生きていくしかない”のだと。
誰も、自分たちの意味や理由を教えてはくれないし、知らない訳です。
答えは、先(未来)にしかないし、遠い先を考えると、
自分がとった行動や出来事は消えてしまうのでしょうけど。
そうは思っていても、それでも何らかの理由を持って生きなければ、
現実は、あまりにも不安が多く、恐怖ばかりです。
「仕事に誇りを持って」生きる人もいます。
「父親、母親として」生きる人もいます。
「新たに何かを起こそうとして」生きる人もいます。
”ただ、生きているのが怖すぎる”から、
自分の存在意義が欲しいわけです。
”誰かに”、”何かに”愛されなければ。
”誰かを”、”何かを”愛さなければ。
そうしないと、生きている根拠なんて無いのかも知れません。
『根拠がないなら、自分で創る』
根拠があれば、行動することは楽です。
自分を直視すると、自分は本当に存在価値があるのだろうかと思います。
ご飯を食べ、トイレに行って、二酸化炭素を出して、ゴミを増やして、
エネルギーを消費し、他人に手間をかけています。
それだけの存在でしかありません。
考えれば考えるほど、絶望的な生き物に思えます。
だからこそ、自分は価値のある人間になるべきだと思ったのです。
実際のところは、自分が思っていることをやるだけで、
結果にも無責任な人間です。
究極は、”単なるゴミ”か、”価値のある人間”になるかの
選択肢しかありません。
(言い方が良くないかも知れませんが)
普通の人は、”ゴミのような人間”、”普通の人間”、”価値のある人間”の、
3択がありますが、私には、”普通”に生きる。という選択肢はありません。
”単なるゴミ”のままでいたら、それこそ家族もいるので生きていけません。
「死ぬのが勿体無い」。と思っている自分としては、
”誰かに価値を提供できる人間になる”と言う選択肢しか、残っていません。
生きてるだけで、迷惑な存在だから‥。(笑)
でも、幸せなことに道はまだ残されていて、
江戸時代だったらとっくに捨てられているんでしょうけど、
今の時代は、私みたいな人間ですら、価値を提供する側になれるのです。
毎日を意味も無く、漠然と生きている人よりは、現実を直視して
現在(瞬間)を生きることが出来ている。
ある意味、”自分の生きる意味”を見出せたから、ツイているのです。
自分の生きる意味に直結した行動は早く、パワーがあります。
「行動できない」と、もし悩んでいるなら、
まずは、「人間」という存在が、いかにもどうしようもなくて、
無意味な生き物であるのかを認識して欲しいと思います。
その上で、『それを変えられる可能性は、自分にしかない』ということを
理解して欲しいです。
ダメなことをダメなまま放置するのもいいのですが、
人間には、それを改善する力がある訳です。
”その力を使わないと、勿体無い”
先にも述べましたが、私たち人間の持つ選択肢は、
・ゴミのような人間になる = 何もしない人
・普通の人間になる = 受動的な人
・価値を提供する人間になる = 能動的な人
この3つしかない、ということを忘れないで下さい。
「ただ溺れる、流れに身を任せる、どこかへ泳いでみる」
行動できる人と、出来ない人の違いは、
『どの選択肢を選んで生きているか』と言う事です。
最も楽で安定していて、間違いのない選択肢は、
流れに身を任せることです。
人は「安定」を求めますが、
今の時代における「安定」とは、普通に生きることなのです。
普通に生きていれば、普通に楽しいし、普通に辛いし、
同じ仲間は、日本だけでも1億人ぐらいはいるので安心です。
1番理想的なのは、
「普通でいながらも、器用に自分のポジションを確立すること」です。
サラリーマンで出世する人は、おそらくこのタイプでしょう。
私は、器用に生きることは出来ないので、
溺れるか、泳ぐかしかありません。
泳げば、自由に生きられるのです。
「安定」と「自由」は、似て非なるものです。
多くの人は、「安定」と「自由」の両方が同時に手に入ると
勘違いしていますが、自由な人生に、「安定」は存在しません。
他人と同じでいることが、”本当の安定”で、
他人と同じではないことが、”自由”だと言う事です。
「自由」を求めれば、「安定」を失い、
「安定」を求めれば、「自由」を失う。
私たちは、この事を本能的に知っているのかもしれません。なぜなら、
「行動が出来ない」と言うことは、「変えることが怖い」という事だから。
「安定」を失うのを、本能が拒絶しているのです。
人間は、群れて生きる動物です。
本能的に、他の人と違うことをすることに恐怖を感じることは、
不思議ではないと思います。
文明が発達して、「死ぬ」という事をすぐ近くで感じることが無くなった今、
群れから離れることに対して、恐怖を抱く必要があるのでしょうか?
「死ぬ」という事以上に恐怖はありません。
それに人間は、そう簡単には死にませんから‥。
安全や安定に執着する必要は、どこにもないのです。
行動が出来ないと思うなら、現実を見直して、安定的に生きるか、
自由に生きるか、はたまた溺れて死ぬか、どれかを選ぶ必要があります。
どんな言い訳をしたとしても、
私たちは、今を生きる必要があるのですから‥。
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とある記事を読みまして、ふと、”自分の生きる意味”を考えました。
やはり、「考えない(向き合わない)よりも、感じたことに向き合い、
自分なりの答えを探すのが大事なプロセスだと思ったからです。
とは言え、現実を見ると言う事は、自分の弱さや、至らなさを浮き彫りにし、
痛みを感じる事なので、気持ちの良い作業ではありません。
出来ることなら避けたい、見たくないというのも本音です。
しかし、今(瞬間)を生きていないと、何も出来ないのです。
今ここで、現実を見る。
そうすると、間違いなく崖っぷちに追い込まれます。
後は、開き直って前へ進むしかありませんから(笑)
理由も意味も根拠もない世界なら、自分の好きなように生きたっていいし、
それが許される時代なのです。
「ありがとう」。