資本主義社会で生きる限り、お金の心配は常についてまわる。 

社会構造を冷静に考えてみれば、一部が富を独占していることは明らかだ。

 金持ちは私たちとは違う世界に生きている。 

だから私たちは、「もっとお金があれば」なんでもできるのに、 

「金持ちの一員になれば」 豊かに暮らすことができるのに、と思ってしまう。

 

とはいえ 私たちから見たらとんでもない金持ちですら、

自分が豊かだと思っているとは限らない。

 金持ちの世界では金持ち同士で相対化が働くので、

結局は 「あの人に比べたらまだまだ」 という感覚はあるだろう。

 

では豊かさとは一体なんなのか。 それは不足を感じない心だ。

 

億万長者で大豪邸に住んでいても、金を失う恐怖に常に怯えていれば、彼は貧困者だ。

 金を失っても構わない、なんの問題も無いと思える人がいれば、それがもっとも豊かな人だ。

 困っている人が現れた時、気前よく助けてくれるのは後者だろう。

 そして後者のような人を見た時、私たちは彼に豊かさを感じる。

 

つまるところ、 

「まだまだ足りない」という思いが人を貧困にし、

 「これで満足だ」という思いが人を豊かにする。

 

こうするとまるで言葉遊びのようなので、 

「そういうことじゃない。実際に、目に見える形で、断固としたお金がなければ、豊かさも感じられない!」 

と思うかもしれない。

 

では今度風呂に浸かった時にでも目を閉じてみるといい。

 目を閉じてみれば、高級宿のプライベート温泉と、ユニットバスの狭いバスタブと、何も違いはない。

 目を開けたら現実に戻されるというのなら、 その狭いバスタブがファーストクラスの乗客のみに許される専用バスなのだと思ってみればいい。

 

安いハンバーガーを買ってきたら、 包みを開けて広めの皿に出して、ナイフとフォークとナプキンでも添えてみたらいい。

 

キャンドルを灯して小粋なジャズでも流してみたらいい。

 

投資は金持ちがするものだと思っているのなら、 証券口座を開いて、1株だけ数百円で買ってみたらいい。

 

少額でも寄付をしてみたらいい。

 

その時、あなたは豊かになる。

 

馬鹿馬鹿しいと思うだろうか? 

もしそうならば、結局は豊かさなどその程度のものだ。

 あなたは一人で妄想しているが、 金持ちは集団で妄想している、その違いだけだ。

 

そもそも、回り回ってくるお金は、どれひとつとして「自分のもの」だと言えない。

 私たちは誰もが価値を納得した政府公認のお金が欲しいのであって、 

自分だけの、手作りの、オーダーメイドのお金など欲していない。 

自分のものではないのだから、お金は流れ込んでくる時期もあれば、出て行く時期もある。

 

お金があろうとなかろうと、あなたは豊かであることができるし、貧困であることもできる。 

豊かさを望むのなら充足を、貧困を望むのなら不足を見ればいい。

 

誰もが宝くじが当たった妄想をしたことがあるだろう。

大抵、自分の楽しみを考え尽くした後、 

親しい人にプレゼントをしたり、寄付をしたり、 何かをしてあげたい、という気持ちが出てくるものだ。 

その時、自分のやりたいことを考えているのとはまた違う、 明るく優しい気持ちを感じたかもしれない。

 

それは価値ある体験ではなかっただろうか? 

豊かさを考え尽くした後に出てくる、他者へ分け与えたいという気持ちは、 さわやかで清廉なものではなかっただろうか。

 

それが「本当に豊かな人」が見ている世界、感じている気持ちなのだとしたら、

 そこにお金は必ずしも必要ではないことがわかる。

 

豊かでありたい、貧困になりたくない、 という思いすら捨てた時、彼からは奪えるものが何もない。

そして他者に何かをしてあげたいという思いに宿る、内側から溢れるような豊かさが、彼を真に豊かな人にしてしまう。