全力疾走しないという選択 | 言葉の力

全力疾走しないという選択

全力疾走しないという選択

 

昨日、40年ぶりにソフトボールの練習に参加して、改めて感じたことがあります。

 

キャッチボールなど、結構体が覚えていたこともありましたが、わずか1時間足らずの練習でも息が切れるような場面がありました。

 

普段仕事で体を動かしていますし、毎朝ストレッチをしていますが、今ここで無理をするときっと怪我をしてしまうのではないかという恐れがありました。

 

だから

 

ボールを全力で投げることができず、ボールを全力で追うこともできず、全力で走ることもできない自分がいました。

 

それは体が言うことをきかないのではなく、気持ちがそうしないようにブレーキをかけているのだと感じました。

 

それは我を忘れて無茶をし過ぎないという良い面がある反面、我を忘れるまで何かに打ち込むことができないという悪い面の両方が、今の自分にはあるのだと思いました。