てつそうです。


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こちらは、
肺がんステージ4と診断された
自分の生活と、
その心の変化を
日記として書いています。



6月11日
朝起きてから
早く寝たから昨日よりはしんどさが
やわらいでいた。
まだましか。

時間差でランマークの影響出てくる。
レットヴィモの副作用はないのに、
これだけは厄介だな。

その時の体調にもよるだろうけど、
無理せず元に戻っていくのを待つしかない。


おばあちゃんの葬儀場
葬儀、火葬、初七日まで1つの会場で出来るので、
待ちの多い葬儀場だ。

息子だけは小さい時に、
遊んでくれたおばあちゃんやから、
『どうしても参加したい』
と、言っていた。
ので、学校を休ませた。

長女は小学校へ
次女は様子見て1日休ませたので、
熱は36.8℃まで下がったのでこども園へ
調子悪くなったら電話してもらうように頼んだ。

自分と妻と息子で、
10時からなので葬儀場へ

葬儀場に着いて母親に一応確認した。
『連絡とれてない孫2人来るの?』

母親
『長男がなんとか連絡して伝えたみたいで、
今日は曖昧やけど来るって聞いてるから、
弁当を追加で頼んであるよ。』

自分
『来るんや。』

自分なら行きづらい状況やけどなあ…

喪主(母親)に連絡も返さんと…

来たら相当なメンタルやわ…

通夜か葬儀のどちらかは参列すると思ってたけど…


10時前にスタッフに会場に案内されて
『間もなく葬儀をはじめさせて頂きます。』

10時になり葬儀が始まった。

予想通りというか、
長男1人だけでやっぱり来なかった。

あれだけお世話になった
おばあちゃんは何て思うだろう。

母親も納骨やお墓の話が進んだから、
来ても来なくてもいいとは言っていた。

自分もそう思っていた。

来なかった人は、
言い方悪いけど人としては終わってるわ。
これで完全に縁が切れる。

おばあちゃんと数回しか会った事無いのに、
参加したいと言った息子が誇らしく
頼もしく成長したなあと思った。

葬儀場から火葬場へ
食事をしながら、1時間半程待って
スタッフに案内されて、
骨を拾い骨壺へ
葬儀場へ戻り初七日が始まった。

食事会場
施設では、青いカーディガンしか着なかった。
こだわりの強かったおばあちゃん


初七日法要が終わりお坊さんの挨拶で終了した。


介護問題の時に縁を切ろうと思ってたけど、
おばあちゃんの存在があった。

なんとか繋がってはいたけれど、
もうこれで完全に切れた。

スッキリした。

妻は本当なら今日は施設で、
おばあちゃんの口腔ケアだった。
『そういう日を選んだんやね。』
と、言っていた。

息子は初めての葬儀に子供1人だけで
よく参加して頑張ってくれた。

自分の身体はしんどかったけど、
おばあちゃん最後を
ちゃんと見送る事が出来て
本当によかった。