前回の記事

『苦しんだ思い』への、
たくさんのコメントをいただき、
ありがとうございました。 



まさに吐き出したと言うような
愚痴ブログに対して、
不満いっぱいな負の感情に、
共感と一緒に、
僕の体調を気遣ってくださる言葉が多くて、

それだけでも、
ブログを始めて良かったなぁと、
思える程、嬉しかったです。



本音では
ひとり、ひとりに
返信したいと思うのですが…
思ったより大変でしたので、
このような形でのお礼となり、
失礼いたします。



やはり…
違和感を感じておられる方が多かったこと、
行動を読み取られている方も、
何なら僕よりもっと細かいところを拝見されていて、
納得しつつ、
読ませていただきました。


僕が思いの丈を書いたところで、
夫さんには伝わることはないだろうし、

彼はもう、
押しも押されぬ、
堂々の記事ランキング上位を占めていて、
こんな言葉一つで、
動じたりはしないだろう。


辛いことを吐き出す、
というブログだと言われているが、

彼はもう、
吐き出すためではなく、
楽しんで書いてるのが伝わってくるから。


妻さんの症状をネタにして、
自分への称賛を
やめはしないだろう。


自分の命が、
もしも、
妻さんのように
自分への自己顕示欲に使われてると思うと、
いたたまれない。

子どもと会うための手段を模索する時間より、
自己満足のために
ブログを書く時間のほうが
大事だなんて。


妻さんの消えそうな命の時間より、
見えない読者からもらう
自分への称賛のほうが、
大事だなんて。


常に『1位』を強く意識する
その投稿のあり方に、
夫さんの心理が、見え隠れするのが辛い。


『そんな人もいる』と
コメントもいただいて、
確かに、そういう後手後手に回ってしまう、
そんな男性も多いだろう…と
それも思った。

そんな人を責めるのは、心が痛む…。


でも、
夫さんのブログからは、
それは伝わらない。

後手後手に回る行動力の遅さや、
段取りの悪さとは裏腹に、

毎度、毎度、
誤字脱字の少ない
きれいな感情文を、
定期的に仕上げてくるマメさ。

その行動から読み取れるのは、

闘病支援中である現実よりも、
ブログの世界の自分を優先させてないか?

ブログ人気が、上がれば上がるほど、
妻さんへの支援は、
おざなりになっていくのではないか?

大事なのは、
『いい夫』
『頑張る夫』
『悲劇の中でも健気な夫』
という、
他者からの称賛のように伝わってくる。

自己称賛が第一なのだとしたら、
妻さんへの対応が遅くなるのも、
頷ける気がした。


闘病はネタ元で必要だが、
大事なものではないのかもしれない。

それはまるで、
典型的な、
モラハラ心理だな、と思ったんだ。
いや…宗教的な心理?

今、そのブログは、
まるで、新興宗教の教祖と、
信者の心理が出来上がってる。

信者は、信じてる。
ただ、教祖は素晴らしいと信じてる心は
教祖の行動など見ない。
言葉だけに心動かされ、
『行動』という事実は関係ないのが、
そういうカルト的な宗教心理だ。

それに似てるのかも。

事実が知りたいときは、
言葉だけでなく、行動を読むのだ。

行動を見れば、
その者の心理は見えてくる。

体を動かすのは、意識だから。



例えば、
もしも、その闘病中の内容が
努力を重ねていたら、
本気の応援を
今もしてたと思う。

『治したい、神様助けて』と、
言いながら、
誰の記事も参考にされず、

妻さんの命に関わる重大なことも
『次はこうしよう』と、
いつも先延ばし。

命が尽きるのは、
明日かもしれないのに。
次はないかもしれないのに。


心あるコメントも虚しく、
彼の中では響くことはなく、
妻さんは、
もう何ヶ月も
子どもと過ごす時間を失ってる。
生きて、
我が子を抱きしめる時間を
失い続けている。

これが『事実』だ。
彼の『行動』だ。

事実だと考えると、
 
苦しい。


だが、
詐病かもしれないと考えると、
ちょっと楽になる。

…ということに気づいた。逆に(笑)


幸いにもそのブログには、
妻がガン闘病中…だという
証拠は、
ひとつも載せていない。


子供の写メは、すべて日常的で、
普通の家庭の風景。

『闘病』の証拠がどこにもないことが、
希望でもある。
(希望っていうのもどうか?だが…)


まるで、
小説志望の夫さんが、
小説ぽく書いてるだけかもしれない。
(もちろんそうなら、
小説ブログに移動してほしい)


若い年齢にしては、言葉が文学的だ。
文学小説みたいで
『癇癪』や『生憎』など、
小難しい言葉や漢字をサラリと載せることから、
そういう言葉が
日常に溶け込んでる生活なんだろう。

CDとかも、珍しい。
わざわざCDを探して、
わざわざデッキを持って
病室を尋ねるのは大変だ。

僕なら、
前に渡したタブレットで聴くように
フォローするだろう。

そんなもの探す苦労するなら、寝たい(笑)


そんなふうに考察をする。

小説だとしたら、才能はないんだろう。
本当に小説に才能があれば、
こんな偽りなどなくても、
小説部門で1位だろうから。

もしそうなら、彼は、
自分で自分の才能を侮辱してることになる。
それも、
きっと気づいてないんだろうな。



ここからは、僕自身の問題だ。


自分の心を穏やかにたもつには、
思考を変える努力が必要だ。


最初は詐病か?!にも
腹が立ったけど、

今は、
詐病か?そうでないか?
を、
まるで
ONE PIECEの考察をするかのように考える方法も、
自分の心をなだめるには、
いい方法だと思いついた。


そして、

自分は何が原因で苦しかったのか?を
考察した。


この愚痴ブログを書くきっかけは…
実は、
妻の一言だった。

『感情を言語化することは大事やから』
って。


ブログに初めてのせた内容だったけど、
実際の生活では、
いつも妻が愚痴を聞いてくれていた。

妻にも、
思い当たるフシもあったようだが、
全然気にもとめてないようだった。




昨日の愚痴記事は、
実は、妻の提案。


そして、
記事を載せたあとで、
僕は、
妻からのマジ𠮟りを、受けていた(笑)


叱られた内容は……


長くなるから、
またいつか書きたいと思います(笑)



聴いてくださいよ…
うちの妻の言葉……

厳しすぎるんだから(笑) ←妻の愚痴?(笑)