今回は初めての愚痴ブログになります。




こういった内容が苦手な方は、

どうぞ、そっと放置ください。




最近、バズってる闘病ブログ。

知ってる人も多いかもしれない。

見なければ良いと言われる方もいるが、

上位に何通も記事がランキングしている為、

目に着いてしまう。

闘病ブログでほぼ1位におられ、

大体の記事が上位にランキングされている

ブロガーさんです。



まだ30代と若いのに、

子供が4歳と1歳。

奥さんが胃がんのステージ4。



子どもが小さいという自分の心境と重なり、

妻と2人で、年末頃から、応援してた。



なんとか幸せな時間を過ごしてもらいたい…!

という思いで、

何通かコメントをしたこともありました。





それが……



ある時から、違和感を抱くようになりました。



治療についての違和感。



夫さんの妻を想う愛情文とは裏腹に、

全く関心のないかのような

治療や生活改善への内容。



治したいと切望しながら、

進歩への努力が見られない行動記録。



文章や投稿から読み取れる

現実の生活設定に

無理がありすぎるところ。



また、つい先日は、

まだ昼だと言うのに、

その日の夕方の出来事と、

その時の感情も書かれていたこと。




ブログは、

真実を追求する場ではありません。



だから、

間違ってもいいし、

時系列が違ってもいい。



実際に僕のブログは過去の出来事を、

今起こっているように描いているし。





真実でないことを書く…。



でも



それがもしも、

『癌の闘病』そのものだとしたら…?







…まさか!!



まさか…そんなことはないだろう。



今も、はっきり真実が、わかるわけじゃない。





でも、

考えると苦しくて、辛くて、

苦しくて。



ずっと言えなかったことを、

この場で

吐き出させてください。







【闘病が真実なら】



こんな悲しいことはない。



妻さんの腹水を何度も抜き、

痛みと苦痛と明日もわからない命の中、

子供にすら会わせてもらえない。

こんな酷いことあるか?

在宅介護にもならない。

緩和にも移れない。



方法はたくさんあるのに、

何一つ進まず酷い状態が続く。

口先だけ想われても、

実際に変わらない状況に、

苦しくて涙が出る。

自分がそうだったら……



どれほど酷いだろうか。

どれほど悲惨だろうか。





夫さんの癌への理解のなさを

何をやってるんだ…!と

切なくて仕方ない。



妻を死なせたくないと嘆きながら、

その対策には無沈着。



あまりにも無沈着で、愛を感じない。



私の妻は厳しいが、

その行動に必ず愛がある。



その真逆なのだ。



もしも、妻がこの夫さんのようだったら…



全く愛を感じれない。

腹水4キロためながら、

まだ癌と戦えという。

生きろ、という。

それは、自分のためだろう?



闘病の苦しみをわかってはもらえないのか?

ギリギリを保つ命を、慈しんではもらえないのか?

もう、生きて子供には会わせてもらえないのか?



夫からお願いばかりされて、

自分の命すら支えられない程の身体で、

その上に、

夫は期待を乗せてくる。





でもブログで夫は、

苦しむ顔、想ってる顔、愛してる顔。



まるで、ヒーローだ。

悲しみを耐えるヒーロー。



その向こうの

本当に戦い抜いている

妻さんのことなど、

何人の人がみていようか?



それが、悲しくて、苦しい。





治療については調べず

胃がんの者に

それも腹水が貯まるほどの重度の胃がんに、

お菓子を食べさせ、



スマホを持ってないのだろうか?

調べるツールがないのか?

Googleを知らないのだろうか?

現役の医師や看護師のアドバイスを聞かないのか?


胃がんに良い食事とか、

調べたりはしないのだろうか?



その努力はしないのだろうか?



いつも、嘆き悲しむ心の声ばかりで、

夫さんの知識は乏しい。



乏しいだけでなく、

努力が見られないのだ。



弱音を履け吐ける場(ブログ)は、大事だ。

それを否定したいわけじゃない。



でも、

弱音ばかりで、癌や、治癒には、無断着。



治したいと豪語しながら、

その取り組みは、描かれない。



ただ書いてないだけかもしれないだけか?



抗がん剤は何クール目か?

オプチーボはどうなった?

適合して使ってたんじゃないのか?

切除も嫌だからしなかったのか?

安易にオペを断ったのか?

なぜその時必死で、

一緒に生きたいからと説得しなかった?



助けたいといいながら、

その『助け』に成るための行動はどこだ?





僕は、あくまで同じ闘病者として妻さんの味方だ。



夫ではなく、

闘病を生きる妻さんの。



その妻さんに焦点を当てると、

夫さんは、

まるでモラハラ級の行動にみえてくる。



中心動脈栄養でしか、

カロリーを摂取できない体になった妻の側で、

お菓子を食べる無神経さ。



持っていくなら、

せめて妻さんが『食べたい』と

いい出してもらえる期待を込めて、

胃に優しい食材を選んで上げてほしい。



なぜ、おかしなのか。

なぜ目の前で食べるのか。



自分ならつらすぎる。

子どもと会えないだけでも苦しいのに



子供のこともそうだ。



会わせてもらえないと悲しむ前に、

ブログより熱い想いで、

病院に訴えかけてみてほしい。



緩和病棟や、在宅ケアと、

コメントは山程、

すでに届いてるにも関わらず、

その一切を受け入れない姿勢。

介護休暇もやっと出てきたほどだ。

(ここはさ、金銭的なことも難しいだろうけど…)



でもさ、

心あるコメントを参考に動いていたら、

今頃、家族で過ごせていたかもしれない。



まるで、引き伸ばしたいのか?と

思わせるほどの行動の遅さ。



自分は悲しいアピールばかりで、

応援するものの心理をくすぐり、



実行に至らず、また嘆く。



そんなに、不幸な俺をみてほしいのか?



そこじゃないだろう!!



妻さんにとって、

子供に触れられる、会える貴重な時間を

どうか作って上げてほしい。



1歳と4歳じゃないか。

まだ…どれほど恋しいだろうか。



妻さんを想うと、

苦しくて悲しい。



こんな末期の状態で、自分は動けないに、



夫は、その妻への願いに動きはしないこと。

言い訳ばかりで、

行動ないのなら、してないのと同じだ。



もう、命もいつまでかわからないのに。

そこに慈しみはないのか?



妻さんの心が、

自分と重なり、苦しくて仕方ない。



読まなければいいのに、

日本のどこかに、

こんなにむごい思いをしている女性がいると想うと、

目を背けられずにはいられない。



どんなに口惜しくても、

その役は、夫さんにしかできないのに。





最初、

夫さんは、モラハラ系なのかと思ってた。

それなら納得がいくと、

そんな人も居るのだな、と。



文章では弱気なのに、

文章から読む行動は、自分本位だったから。



実際は努力しないけど、

他人には『良い人』に見られたいという

様子が伺えて。



そういう人も居るんやな、と。



子どものことも、そう。

僕は絶賛子育て中だ。



仕事を休んで子育て中。



夫さんは、

仕事しながら、

子育てして、

闘病を支えて、

1日役2通の投稿を書いて。



ごはん、洗濯、掃除…家事の時間はどこにある?

ブログかくにも

時間はかかるのに。



その間、子どもたちはどうしてるんだろう…?



読者は読むだけでええけど、

書く方は大変だ。



読んでるうちに、

妻さんのことが気になった。

子どもたちのことも。



読めば読むほど、

妻さんのことをないがしろにしてる行動に

苦しくなってきた。



夫さんは、ヒーローでいいかもしれない。



気持ちいいかもしれない。



でもその向こう側で、

腹水に苦しみ、子どもにも会えず、

我慢し続ける妻さんがいる。



ブログではまるで、ヒーローだ。



皆に慰められ、応援され、

気持ちの良いヒーローだ。



その『感情語り』は

闘病ブログで、毎度上位を占めていて、

さぞ、ヒーローだろう。



締めくくりではいつも『頑張れ俺!』



癌は妻さんでしょうが。



がんの苦しみを知ってるのか?

本当の痛みを知ってるか?



ヒーローになりたいなら、



読者のヒーローではなく、

妻さんのヒーローになってくれ!







詐病の噂も出てきた



むしろ、

詐病であってほしい。



現実なら、酷すぎるやろ…



何度も思ったわ。



妻さんをなんとか良い方向に持っていけないか?

夫さんに自分の無能さを気づかせたい。



真剣に考え、

コメントもした。



妻さんを助けたかった。

こんなブログ越しでも。



妻さんに、

頑張れ頑張れという要求でなく、

ありがとう、という感謝と愛を送ってほしかった。







でも、読んでいると、



あまりの酷さに

違和感を覚えるようになった。 

辻褄の合わない内容や言葉も

チラチラみられるのも感じてた。



そしたら、 

詐病を指摘するコメントがみられた。







【詐病だったとしたら】



……実際にはどうか知らない。



自分なら、疑われると辛いから、

証拠になるような写メを貼り付ける。



妻の名誉のためでもある。



夫さんは感情と心理に訴え、

集団圧力を利用するのがうまいが、



詐病疑問を終わらせるための

対策はとろうとしない。



写メこそはその大きなポイントになるんだろうけど、

例えば点滴とかね。

疑われるのは、辛いものだ。



それを妻さんも知ってるのなら。

なお、

弁明したいところだろう。



でも、それはしない。



常に感情論と、心理戦を主に、

素人でもわかるような流れ。



そこに医学知識もなければ、

実際の個人の治療経験談もない。

専門家には違和感を感じる闘病。



もし、

もし詐病なら、



そんな妻さんはいないという、

どこか『よかった』という念と、



人の命を平気で弄ぶ、異常性に驚く。



闘病ブログだぞ?

実際に、

自分と同じように、

今も日本のどこかで

命と向き合っている闘病者がたくさんいる。



その土台に上がり込んで、

お涙頂戴な物語を書き続ける。



その異常性が、本人はわからないのか?



人の命を、愚弄する罪が、

わからないのだろうか?



闘病者は、

日々、自分の身体と向き合い、

命と健康に気を使って生きている。



誰かの経験を参考にして、

取り入れたいと思っている者、



自分の経験を役立ててほしいと、

誰かの治癒を願う者。



姿は見えなくても想い合ってる。

だから詳細な治療経緯を載せる傾向にある。

誰かの役に立つように。



だが、夫さんのブログにはそれがない。

いつまで経っても、浅い治療知識。



詐病を使ってまで自分の気持ちよさを求めるなら、

ブログではなく、

精神科のカウンセリングにいけばいい。



まぁ…もしも、詐病なら、

それは許されないし、許されてほしくない。





小説部門に行け。

ここは、

命を守りたいと願うものの集う場だ。



あざ笑うなら、

よそに行ってくれ。









……と、

長々と、うっぷんを書いてみた。





発熱の間、

ブログを書くほどの元気なくても、

読者としてはいたから。



余計に負の感情が溜まってしまってました(笑)



お見苦しい内容で、すみません。



ただの、愚痴でした。





また、つぎは、体調も良くなってきましたので、

自分のことを書いていきます。