すてつそうです。

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ありがとうございます。 
とても、励みになります。

こちらは、
肺がんステージ4と診断された
自分の生活と、
その心の変化を
日記として書いています。





以前、妻に聞かれた事がある。


「肺はね、
東洋医学で悲しみの臓器って、言われてるの
てつそうは、小さい時に、
何か悲しかった事はなかった?
たとえば…お母さんと、とか。」


その時は、
少し考えたが何も思い浮かばなかったから、

自分
「ないよ」
と答えた。

「わかった。それじゃ、質問していくから、
答えてみてくれる?」

自分
「わかった」



それから、
問い掛けられる様に、
質問と、答えを繰り返し、
自分の中に眠ってた感情を導いてくれた。


『悲しみ』は
顕在意識ではなく、
潜在意識にあるものだから、と。

すぐに答えられないものだし、
すぐに認められないものだ、と、
妻は言った。


ほとんどの潜在意識は、
幼少期か、
前世期に記憶されてることが多いらしい。

深く、入り込んでるのだと。


妻は、僕の幼少期について、
質問を重ねた。


想えば、
絵に書いたように酷い家庭環境だった。

それは、
地域でも有名なほどの機能不全家族。

それは認める。

実家にいた時は、
ロクなことなかった。


父親は基本は家に帰らず、
たまに帰ったら
車が新しくなってて、
借金はいつもツケにしてて、
結局支払いはしないから、
実家に電話が来ていた。
最終的に、祖父が払う。

母も、家族は何も言わず、
みんなが、そんな父親を放置してた。

父方の祖父母と同居してて、
いつも誰かが家で怒鳴ってた気がする。

酷い貧困で、
欲しいものも我慢してきた。
野球選手になりたい、っていう、
将来の夢さえ、
貧困であきらめてきた。
(野球の道具は高いから買えないと言われた)

スポーツは得意で、
よくホームランを飛ばしていた。
才能は…あったと思う。
近所からは、言われていた。

でも…あきらめた。

中学からバスケを
はじめたきっかけになる。
(高校で全国大会出場)


小3のとき、
家に帰宅するとご飯も何もなく、
『卵焼いて食べといて』と、
よく言われてた。

ソーセージをかじったり、
卵を使ってなにか作ったりして、
お腹を満たした記憶。

いつも、家ではひとり。

友人達が、その寂しさを和らげてくれてた。


そんな話を、
妻としていった。


会話を繰り返していて、

自分の中に見つけたのは、
幼少期のこと。

母親と過ごした思い出が少なく、
いつも、
おばあちゃんと一緒にいた記憶だった。


母はいつも、
弟の相手をしていて、
自分と一緒いてくれなかったな。

それを『悲しい』と思ってた。


ある日、
弟を連れて実家に帰ってしまった母。

学校から帰ると誰もいなくて、
自分は置いてかれて、捨てられた、
と、
不意に感じた孤独の心。
(結局は帰ってきたけど)

何で、
自分ともっと、一緒にいてくれなかったんや?

何で、
自分だけおいていったんや?


…思い出してきた。

幼少期に灯していた
心の『悲しみ』を見つけていった。


父親の家庭不参加。
母親に認めてもらえない孤独。
小学教師の暴力暴言と、いじめ。
(当時は体罰も当たり前の様に許されてた)

思い出し、
感情を外に出して、
さらに、
自己対話を続けていく。

大人の自分自身が、
子どもの自分自身の悲しみを理解し、
寄り添っていく。認めていく。



妻は、
そのカウンセリングを
誘導していってくれた。


『それがずっと悲しみとして、
自分の胸の中に残っていて、
潜在意識になってる。

それに、貧困への辛さ。
悔しかったこと、
悲しかった事が、
今の病気を作ったんやね。』

『正確には、
潜在意識が病気を作ったんじゃなくて、
病気が潜在意識と行動の歪みを、
教えてくれてる、が正しいけど。』

と、言われた。

『もう、
あなたの心も、体も、限界やったんや。
もう、
自分の生きたかった人生に、戻ろう。』


自分の妻は、
本当に勉強して色々な視点から教えてくれる。

そんな事は考えたこともなかった。

インナーチャイルドのケアというらしい。



『100メートル走のスタートをきったら、
後は、ゴールを目指すだけ
今のあなたなら出来る』

とも、言っていた。



そんな妻とも、
きっと、

出会うべくして、
この世に生まれてきたのだろう。



そんなふうに思えた。


僕の人生も、
癌になったことも、
意味のないものはない。
理由のないものはない。

そう、想えて、嬉しかった。



世界の見方が、変わった気がした。

自分にとって理想の家族が出来たからこそ、
もう一度、生きていこう。


妻には、
『入院期間は、
自分の時間。
特別な時間。
だから、自分とたくさん会話してきて』


そう言って、
入院に送り出してくれたんだったな。


大事にしよう。
この入院の時間も。


そう思えた。