てつそうです。

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とても、励みになります。

こちらは、
肺がんステージ4と診断された
自分の生活と、
その心の変化を
日記として書いています。




10月25日
朝方、
あまりにも腰が痛くて眠れないので
ヘッドホンを付けて
携帯で、
音楽を聴いていた。

痛みをまぎらわしたかった。



その時、
流れてきた曲に、

衝撃が走った。



Superflyの『Beautiful』

という曲である。


その歌詞は、

今の自分を、
そのまま歌ってくれているようで、

全身が震えた。

まるで、
電気が走るかのように、

本当に衝撃だった。

 
言葉たちが
身体の中にスッーと入ってきて、

自然と涙が溢れてきた。


音楽はもともと好きで、

車を運転する時は、
必ずと言っていいほど聴いている。


Superflyは好きだし、
きっと、
この曲も聴いたことあるはずだ。

でも、心には残ってなかった。



今なんだ。

8年前の曲なのに、
今の自分にこんなに合っている歌詞。


何度も、何度も、
リピートして聴いた。


聴けば聴くほど、

心地がよかった。



自分の、今の気持ちを、


心の奥底の、
言語化しづらかった言葉たちを、


言葉にしてくれたような歌詞で。

嬉しかった。


その歌詞の中の一文、


『世界で一つの 輝く光になれ
私でいい 私を信じてゆくのさ
遠回りしても 守るべき道を行け
私でいい 私の歩幅で生きてくのさ』




まさに、今の自分が目指して行く場所

今の自分の
オープニング曲が決定した!


そう思って、
妻にすぐにLINEで報告をした。


妻は、
その曲を聴いて、
すぐに共感してくれたようで、

しばらくしてから、返事がきた。

『この曲やぞ!ってメッセージやねぇ。
たぶん、本当にたくさんの方々に
支えられながら、
動いてるんやって思う。
想像以上に、たくさんの神様がたにも。』


って、返事がきた。


気づいたら、
朝の6時半位になっていただろうか。

腰が痛かったけど
病室を出て、
朝日を見ながら、リピートして
この曲を聴ていた。


何度も。

何度も。


朝日を瞼に焼き付けながら、

曲を聴き続けた。



『悲しみの先に 孤独が押し寄せても

息をしてる 今日も 息をして生きている』




朝の検温と酸素濃度測定の時間になり、
病室へ戻った。


看護師
『おはようございます。
検温と酸素濃度測定します。
昨日は眠れましたか?』

自分
『腰の痛みがひどく眠れなかったです。』


看護師
『そうですか…。
その他の痛みや咳は、どうですか?』

自分
『背中や肋骨の痛みはほぼないです。
咳もあれだけ苦しんでたのに、
出なくなってきました』



看護師
『よかったです。腰は日にち薬ですので、あまりにも痛かったら、また言って下さい。』

自分
『わかりました。』


看護師
『今日も、検査があって
甲状腺の機能検査がありますので、また案内します。』


また検査かーーーーーーー!!

いつまで続くん〜…。
(心の声)

心のなかでは、うんざり気味(笑)


朝食を終えて、しばらくすると
看護師さんに呼ばれて、
検査に向かった。

甲状腺をエコー検査して
機能が低下していないかを見てもらった。

その場で結果は言われた。

医師
『軽症で、今の所は問題ないですが、
薬を処方します。悪化させないないように、
補助していきましょう。』

自分
『わかりました。ありがとうございました。』


病室へ戻る時、

また薬が追加か〜。って、
心のなかでぼやいてしまう。

自分の体は色々と検査すると、
想像以上にボロボロになり、

悲鳴をあげていたんだだなあ。…と、
改めて思った。、

それに気づいてあげる事が出来ず、
誰かの事ばかり考えて、
自分の事は考えもせず、

自分を愛する事、なんて、
当然出来ていなかった。


この病気になり、

神様が、
チャンスをくれて、
教えてくれたんだ。

『自分の事を愛しなさい』と。


妻が、以前に東洋医学で、
肺は「悲しみ」
と教えてくれた。

けど、
自分で気づいてあげる事は、
出来なかった。


人は、悲しいから怒り、恐れる。

体を悪くしていった自分に
すべて当てはまっていた。

喜び思う事が出来なくなっていた。


癌になって、
その事に初めて気づいた。


癌になったから、
僕は、自分を見た。

見ることができた。


癌が、知らせてくれた。

『自分の人生を、生きてるか?』を。



河野修一さんという方に教えて頂いた

『体を悪くした自分が、
体を治す方法も自分が知っているですよ』

『すべてを受け入れて、
自分を愛してあげるといいですよ』


その言葉たちを、
あらためて思い出し、

今の自分なら出来ると、感じた。

この日を境に、入院生活が、
特別な時間となっていった。