てつそうです。

いつも、
いいね、やフォローを
ありがとうございます。 
とても、励みになります。

こちらは、
肺がんステージ4と診断された
自分の生活と、
その心の変化を
日記として書いています。




入院初日の夜は、
色んな事を思い出して

やっぱりなかなか寝れなかった。


だからか、ついつい、
昔のことを思い出してしまう。


身体に症状が出てきてたのは、
いつからだったろうか…?

ごまかしてきてしまった、
体の痛みは…

一体いつから自覚してた?


それを考えていたら、
ちょうど昨年の親族騒動のことを、

ふいに思い出した。



2022年の年末から、
2023の年が明けるまでの
わずか3ヶ月の間で
起こった
いとこ夫婦との絶縁騒動だった。


母方の祖母の介護問題で
いとこ夫婦と
すごく揉めた。

母方祖母は、
夫や同居してた息子夫婦とも
先別れて、
長く独居をしていた。

祖母はもう97歳
同居するには高齢だった。

車で片道1時間半の道を、
母が週1で食材買い出しとか行っていた。
もう、10年以上。
母も今年は70歳になる。

独居中の家や土地の相続は
いとこ夫婦だったため、
近所の集会的な集まりは、
家を継いだ
いとこ夫婦がしていた。

いとこ夫妻の自宅からは、
20分の距離にあった。



97歳祖母にも認知症があり、
すでに近所から苦情があったそうだ。


…にも関わらず、
母も、いとこ夫婦も、別親族も、

扶養義務の持ち得る人たちが全員、
見てみないふりしてきた状態だった。



それが突然。

2022年の秋、
妻に電話が入った。

いとこの妻からだった。

それまで年2回ほどの交流はあった
いとこ夫婦。

コロナ禍で
3年はあってない。

本当に珍しい突然の電話だった。


妻は気がいいので、
2時間は話を聞いていた。

色々きくと、
97歳祖母を施設に預けたいのだという
電話だった。


自分
『いとこ妻さん、なんやって??』

『うん…。なんかな、
祖母さんが施設行く話になってるのに、
てつそう母さんが手続きをすすめてくれなくて、
ケアマネさんが、困ってるんやって』


自分
『げ…。そらあかんやん。
でも、他にも、お金の話とか言ってなかった?』


『あ、そうやねん。
なんか、固定資産税がどうとか。
かなんっていうてた。』

自分
『…で、それでなんで、
君のところに電話あるの?』


『うーん…たぶん、
訪問の仕事してて介護に詳しいから?(笑)
つまり、私になんとかしてほしいっていう
話やったよ(笑)』



つまりは、
近所から苦情のきてた
97歳祖母の独居について、

ケアマネジャーさんからも打診があったが、
主介護の母がうまく立ち回れておらず、
事が進んでいかない。

それがいとこ夫婦に連絡が入り、

てつそう母の落ち度なのだから、
てつそう母の保護者が責任持ってよ、

…という、電話だった。


いとこは自分の家のことを、
いとこ妻に丸投げしてるようだな。


それでなんで、

僕の妻に電話くる?


なんで、妻が尻拭いを?
妊娠9ヶ月の臨月やぞ?
2人子持ちで臨月の女性に丸投げするか?

一瞬、イラッとした気持ちにもなったけど、
妻が頼りになることは
自分が一番良く知ってる。

その気持ちはわかる。


自分
『断らへんの?』

『…うん、力になれそうやし。
それにな、
てつそう母とか、いとこ夫婦より、
近所の人が辛いやろから。
わかるでなぁ、うちの実家も田舎やからさ。
お年寄り、独り田舎に置いてって、
本人は子供にはええ顔して、
大丈夫!とか言うのに、
近所やからて、私の父に
屋根登って修理とか、テレビ壊れたとか、
無償で直してって頼んでくるねん。
…やから近所の人のキツイ気持ち、わかる。

まぁ、手続きすればええだけなら
てつそう母さんより私のほうが早いやろし(笑)』



妻なら、その道(介護)のことも
うちでは一番良く知ってる。


いとこ妻も看護師だから、
母では話にならへんと、
こっちに助けを求めてきたのかも…

そうとう困ってるんかな、と思った。




主介護者である母が
電話やら書類やら、
またします、と言って返信がないらしく、
何も手続きが進まず、
その繰り返しで、

困っていた。


それに関して、
引き継いだ妻は、

各関係者に謝り、
自分が引き継ぎます、と
伝えて連絡していた。


僕は仕事でいなかったけど、
昼間、家にいた息子から聞いた。


息子
『お母さん、なんかずっと電話で何回もかけて
1時間以上謝っとったで。なんかあったん?』



そんなに負担なことなら、
断るようにもっと強く言えばよかったかな…

少し後悔した。


いや…でも、
たぶん、誰もできない。


妻がいなければ、
周りに迷惑をかけるばかりで、
何も進まないだろうから…。

この状況で、
妻抜きで解決させるって、
可能なのか?

自分の母の事だから、
本来なら自分がすべきこと。

でも、僕は介護の世界はわからない…

結局は妻だよりだ…。

申し訳ない気持ちで、
サポートに徹して、見守った。


てっきりこの時は、
母の行動力の遅さに、
みんなが迷惑をしてるんだと、
思ってた。

自分では動いても力になれやんから、
妻のサポートに徹して。

妻が出れば、
すぐ終わるやろから。



って、

そう思ってた。


それが、



年末に、とんでもないことになった。




『やると決めたら、まずは状況把握から!
ケアマネさんに
今の状況聞いてみるわ〜』

と、慣れた感じで始まったはずだった。


最初は、
母が手続きを滞らせていた。

母は、話も理解できてなかった。


結局は妻が

施設入居で、
市が変更になることへの対応もして、

現在の市のケアマネさんと
新しい市のケアマネさんとの間に入って
やり取りを繰り返し、

次に施設との間に入って
日を調整し、

逐一、いとこ夫婦に報告LINEして、
母にも報告入れて、


産休で仕事を休んだばかりなのに
また仕事をしていた。


今後、母がフォローしやすいように、
母の住所近くの施設に来れるよう、
手続きが始まった。

みんなが、
当たり前のように妻を中心に、
やり取りしていった。

当事者の母も、いとこ夫婦も
そういうやり取りに関しては、
『よろしくね』一言だった。

そのくせ、
『◯月◯日には、法事で集まりたいから、
その日はまだ施設いかないようにしてほしい』

とか、注文は細かった。

それに対しても、
妻はイラつく様子もなく、

『施設の場所は遠いから。
入所したらなかなか会えないかもしれない。
みんなで会える時間は大事にしてあげたい』と、

逆に、

その微調整に
必死になってるようだった。




そんな矢先、

突然、

いとこ妻からまた電話があった

いとこ妻
『祖母さんがね、行きたくないって。
無理に連れてくのも可愛そうかなと思って。
やっぱりこっちで独居が続けられるように
しようと思ってて』



妻も、ケアマネさんも、大混乱してた。


ケアマネさんからも動揺した電話が来ていた。
 
『あの…いとこ妻さんは、
訪問看護されてるんですよね…?
今の状況…わかるはずと思ってたんですが…』


母はこの頃になると、
さすがに、
臨月の妻に悪いと思ったのか、

珍しく意思は固く、
この問題は必ず解決させる!
という意思が出てた。



意見が分かれた。


今まで通り、
施設入所を希望する
母、ケアマネさん、近所の意向。

突然、独居のままにして、と、
周りことも考えずに言い出した、いとこ夫婦。


両者の意見に挟まれる、妻。



認知症の97歳が、
すでにご近所から苦情の出ている
自宅で、今後も独居していく?


限界やろ。

とっくに限界超えてたから、
みんな困ってたんやろ?

介護に素人の自分でも、
その異常な方向転換は、理解できた。



『認知症もあるから誘導が下手だと、
怖がられて拒否になるから!
そこを声掛けで上手に誘導するのが
プロの仕事やから!』

って、

僕には吠えてたけど、 

他の人には優しく言ってた(笑)




引き継ぎの日とか、
段取りも決まってきてて、

お迎えの車の手配もしてて、

それを突然、
白紙に戻せと言う。


自分
『どーゆーことなんやろ?』

『いや…なんか、結局は祖母さんを家に
おいておきたいみたいな話。
仏壇のこともあるし、
空き家になるのは困るんかも…
でも、
それは…もう限界や。
状況聞いたら、
ケアマネさんも、近所の人も
相当参ってるもん。もう限界や。
火事や事故になってからでは遅い。』


結局、ごねててまとまらず、

両者の意見を合わすために、

施設入居は、
数週間ほど、
先延ばしになった。

妻は、
日取りの変更や、なんやらでも、
各所、各所に
電話をかけては、頭を下げ続けていた。



雲行きが怪しくなってきた…。

こんな負担になるなら、
あのときもっと、
妻に、そこまでせんでええよ!って…
断ればよかった。


そう思っても、もうすでに遅い…。


妻は、臨月の身体で、

何回も、あっちこっち
電話で確認して、
お金のこと、
必要書類のこと、
主治医のこと、
転居のこと、
ケアマネジャー担当交代のこと、
事前調査の日程、
入所日の日程、
施設とのやり取り、
かかりつけ医のこと、
送迎の車の手配、

相談と報告を繰り返してた。


本来ならケアマネさんの仕事だが、
ケアマネさんだと、母が動かず、
結局、振り出しに戻ってしまうので、

妻が全ての間を取りもっていた。





すでにご近所から心配の声ある、独居の祖母。

認知症の祖母をどうやって施設に案内するか?
が、課題だったのに、

認知症の祖母の言葉通りに
『嫌がってるからこれからも独居で』
では、

そもそもなんのために
ここまでやってきたかすら、わからなくなる。


専門職なら今の状況は
わかるはずなのに…

と、
妻もケアマネさんも、
同じことを言っていた。

もともと
母といとこ夫婦は仲が悪い。

なんとかして祖母を
自分の近くの施設にと考えている母と

おばーちゃんが嫌がるからと
やっぱり辞めると言い出すいとこ夫婦。


また、対立していた。


それより自分が心配だったのは、妻だ。

臨月だぞ?

3人目で。

来月には、出産予定日だ。
もう、1ヶ月もない。


穏やかに過ごしていい時期に、
なんで、
こんな
頭を下げ続けて、
電話かけ続けて、
必死でLINE文を作成して、
(状況を伝えるためのかなりの長文)

おかしくないか?


流石に、いとこにLINEした。

状況を伝えた。

でも、
全く悪びれもなく、
夫婦で同じことを言う。

妻に任せてるみたいな。
よろしくね〜。
って、
そんな軽い感じだった。


胸騒ぎがした。 



祖母は認知症状がでて来ており、
介護もすべて拒んで独居。
ケアマネさんさえ
親族が一緒でなければ玄関にも入れない状況だった。




みんなが

妻に頼り切って動いてた。

自分も、
その一人だったかもしれない…。



そして、事件は起こった。


2022年、大晦日。




妻が、声を上げて泣いたのだ。




きっかけは、
義母の電話。
つまり、妻の実母からの電話だった。


心配で、
かけてきてくれた電話だった。

妻が、あまりに必死になってて。
責任を全うしようと。
出口の見えない問題に、
自分のことも、
お腹の子供のことも、
二の次にして、
解決させようと、
必死になってたから。

さすが、母親。
妻の弱みも見抜いてた。


電話での話は平行線。
妻は責任感を捨てられない。


そわな内容だった。

それに対して、
実母が、声を荒げて言った。

妻の母
『あんたがそんなにする必要あるんか!?
あんたが今、しやなあかんのは、
そんな認知症の年寄りのためのことやない!
生まれてくる子のために、安全に過ごすことや!!』


結構な咆哮やった。
電話越しに聞こえたほど。

すると妻が
咳を切るようにして、泣いた。

わぁーーーーーー!

って、
声を上げて泣いた。



自分はそれを聞いてて、

固まった。


あ、おれ、終わった。




って。


守れてなかった。って。




無理させてたって。



わかってたけど、

わかってなかった。


ここまで、おいつめたの、

自分もそのひとりやんか、って。



わんわん声を上げて泣く妻に、

2人の子どもが駆け寄って、


お母さん、お母さん、大丈夫…?

って、

2人とも、
泣きそうな顔で心配してた。
(長女は泣いてた)


その姿が、印象的やった。
この子達は、
こんなに素直に、優しい子に
育ってきてるんやなって。



『うん…やめる…。もうやめる……。』

妻を止めてくれたのは、実母やった。


自分は、このとき、
妻に掛ける言葉すら、
見つけられずにいたけど、

この件が片付いたら、
いとこ夫婦とは縁を切ろうと、決めていた。


妻は、それまで
4者の意見をそれぞれ聞きながら、
調整を重ねてきた。

その調整役をやめて、

とりあえず、
母のわかってないところへの
できてないことへの
サポートだけにする、と。

いとこ夫妻の希望を聞くのは、
もうやめる、と。


『お腹の子の事を一番に考える』
と。

責任感を、
出産への意識に、シフトしてくれた。


それでも、
ケアマネさんの担当変更、
入居までの日取りは、
すでに調整もしてくれていた。


あとは、お迎えの当日、
祖母さんに伝わる声掛けで誘導してきます、と。

ケアマネさんだけが、
妻に感謝の言葉をくれていた。


ちなみに、
認知症の祖母は、
行きたくないというわけではなく、
『行きたくないよね!?行けるの? 
遠い所で戻れないかもよ!』とか
そういう言い方をする
いとこ妻さんに押されて、
『行きたくない』といってたらしい。

だから、

警戒していた入居の当日は、
母とケアマネさんだけで迎え、
対応したようだ。

すると、
すんなり車に乗り、
施設に向かい、

あの騒動はなんやったんや?
…と、首を傾げるくらい

すんなりと、
スムーズに、
祖母はすーっと、動いてくれた。


今では、
あれから一度も帰りたいと言うこともなく、
穏やかに施設ぐらしをしている。



その後は、
自分がフォローの出番だった。

すべての状況をいとこに伝え、
今後一切、
妻にも、母にも、
連絡をしないでほしい、と。
連絡ある時は、
絶対に自分を通してほしい、と。

それを伝えた。


妻が泣いて、
年明けに少し引いてから、

いとこから初めて連絡が来てた。

『何で、てつそう妻さんはしないの?』

何度説明しても、

『何で?するって言ってたよ?なんでしないの?』

壊れたテープレコーダーのように、
そればかり言ってきてた。


97歳祖母は、
妻にとったら、
義理の母の実家の母親。

ほとんど他人だぞ?!
人生で数回会っただけの関係だ!

いとこは、生まれた時から
結婚して家を出るまで、
ずっと同居してた祖母だろ?


なんで、そんな平気で、
他人になすりつけられるんだ?

それも意見を二転三転させて。


むしろ、意味がわからなくて怖くなった。

まるでホラーだ。


いとこ妻も、
訪問看護師でありながら、
97歳認知症の祖母を、まだ独居させる、て。
専門家として、
その考え方は…どうなんだ?


それも怖くなった。


土地や空き家問題…
お金絡みのニオイがした。


もう、二度と、
母の実家の親族問題で、

妻を巻き込ませたくない、と
強く思ったから、

絶縁覚悟で、
いとこに連絡した。

案の定、
妻に対する御礼の言葉などなく、
無責任、みたいな言い方もあったので、

絶縁に至った。



この介護問題が片付いた頃、
不思議な出来事があった。


妻が、沖縄県のノロさんに
頼んで作ってもらった、僕の数珠。

まだ作成して数ヶ月なのに、
突然、切れた。

ただ、玉は一つも無くなる事なく、
糸だけが、静かに切れていた。



玉は一つもなくなっておらず、
ノロさんに確認しながら、
妻が、手直しをしてくれた。


そんな不思議な出来事があった。



数珠が切れた
1年前のこの頃から、

体のあちこちに痛みが出始めてた。

そうだな。
ちょうどこの頃から、
痛みを感じ初めてたな。




眠れない入院初日の夜。

昔を思い出して、

ちょっとだけ
長い夜を過ごした。