北の廓で西山先生の解説・深く理解することが出来ました。小雨の中、参加された皆さんご苦労様でした。

 

塙城跡北の廓は、2重掘り、3重土塁で、全国の城址マニア人気の城跡です。

 

今日は小雨模様の一日でしたが、阿見観光ガイド恒例の秋の史跡ウォーキングが実施されました。今回は、地元のボランティアによって見事に蘇った「塙城跡」を中心に、塙地区にある史跡を巡ってきました。

 

今回は、観光ガイドの案内に加えて、美浦村在住で県内外の「城跡」に詳しい専門家で、阿見町が作成した「塙城跡」のパンフレットで「塙城の周辺地域―中世都市としての塙を想像してみるとー」を解説した西山洋先生、縄張り図を作成した岡田武志先生、いぶきの丘開発を担当し吉原地区の歴史を周辺地域の歴史と関連付けて盛り上げた石塚政宏さん、地元の「塙城跡保存会」の方々にもご案内していただきました。

 

コースは、君原公民館を出発し、塙城本城跡、鹿島神社、北の廓、塙不動尊を巡るほぼ2時間のコースでした。最後には、君原小学校の近くにある小動物園「ふれあい動物園」を見学して、無事事故もなく終了しました。

 

私もこれまでに何度か、塙城址を歩きましたが、歩けば歩くほど新しい発見がありました。今回は、特に西山先生の解説を聞き、当時の周辺の自然環境や戦国時代の小田氏と土岐氏の勢力争いなどの理解が深まりました。「普通の山を歩くのとは全く違う雰囲気を感じる」、「人々の気配を感じる」と参加者の方々も仰っていましたが、私も、塙城址域全体にそうした気配を感じました。

阿見の城跡を訪ねる 中世戦国時代の国盗り物語 | 海野隆ーひと・まち・くらし・しぜん通信 (ameblo.jp)

 

また、北の廓に向かうスギ林や竹林は畑だったと保存会の方々にお聞きし、歴史は繰り返されると思いました。もともと林だった土地は、食糧増産のため開墾され、そして役割を終えればまた山に戻るということですね。

 

初めて参加する方々もいて、「もう一度、天気の良い日にゆっくりと歩いてみたい」と感想をお話しいただきました。

 

江戸時代の阿見地域の支配者は、仙台藩、徳川直轄領、多くの旗本領が複雑に入り込んでいたようです。今回訪ねた堀跡、土塁跡、城跡は、中世戦国時代(1500年代)のもので、当時の阿見町域は、信太地方といわれ、現在の稲敷地方の領有権をめぐって、土岐氏、小田氏、岡見氏などが、その背後にいる佐竹氏や北条氏、上杉氏、多賀谷氏などの複雑な政治状況の中で、国盗り物語を繰り広げていたということのようです。

 

塙城跡は、塙城址保存会の方々のふるさとの歴史を残そうとする地区内外の会員50数名の熱心な活動によって下草刈りが行われ、見学コースや案内板も手作りで整備されていました。すべて民有地ということですから、利活用の交渉も含めて、ここまで来るには大変だったと思います。敬意を表したいと思います。歴史を大事にする地域は発展します。

 

次は、桜の満開の季節に阿見町の史跡をご案内する予定です。阿見観光ガイドでは、新しい仲間を募集しています。住んでいるけど・・・阿見町のこと、あまり知らない。私たちとご一緒に、阿見町の「文化・自然・歴史」を体感しましょう・・・

 

ご連絡は、090-8478-5415(安部)まで

定例会は、毎月第4水曜日 9時から10時半

阿見町役場の会議室で行っています。

阿見観光ガイド|公式ホームページ | プラットフォーム阿見 (plami.jp)