選挙には付きものの「怪文書」(肯定しているのでありません)が、牛久市長選挙でも撒かれているようです。この怪文書は、特定の候補者を攻撃しているもので、文書作成者の名前も日付も書いてないものです。だから「怪文書」と言われる所以です。

 

私の長い政治経験の中では、多くの怪文書に出会いました。結論から言えば、最近では、「怪文書」を出した陣営が勝利したことはありません。

 

私が那珂町議会議員だった37才の時、町長選挙に挑戦した際に、私の政治団体名を語った「怪文書」が大量に撒かれたということがありました。その選挙では、私、現職と経済界の大物、の3人が立候補しました。

 

私が町長選挙に立候補した動機は、当時の現職に対する不信感でしたので、そうした主張を繰り広げていましたが、さすがに証拠や確証のないことを文書にすることはしませんでした。それに対して「怪文書」は、発行人として私の政治団体名を一部変更して、具体的に業者名等を上げて贈収賄疑惑をチラシにして大量に撒いたものでした。

 

さすがに、「良くやった」という意見はなく、「見損なった」という意見が大半でした。私は、直ちに弁護士を通じてチラシを撒き団体名を語った人物を「氏名不詳」で警察に告訴、記者会見も開きましたが、告示数日前という反論が出来ないタイミングでした。

 

結果は、現職が61票差で当選、私は3,300票余りで最下位となってしまいました。

 

その後、「怪文書」の裏側を教えてくれる方々がありました。通常、一騎打ちの選挙戦では「怪文書」は、どの陣営が出したのかその内容で分かりますので、出されることは少ないと言われます。それに対して、A、B、Cの3候補者以上で戦われる選挙戦では、A陣営を攻撃するあたかもB陣営が出したものと思われるものが、実はC陣営が出していたということは良くあることです。

 

今回の牛久市長選挙での「怪文書」が、いったいどの陣営が出したものなのか、まったく判明しません。しかし、出されたタイミングも含めてプロのなせる業だと思います。

 

市長選挙を議論する、あるグループ・コミュニティで、B陣営が出したものであるという前提で議論されていることを見聞きすると、「怪文書」の意図は、完全に成功していると思いました。そんなに単純ではないというのが政治(選挙)の世界です。世論をコントロールすることが目的ですので、吟味することが必要です。