阿見第二小学校校歌制定記念式典と丘灯至夫

 

篠崎五郎右衛門初代校長と校歌作詞者の丘灯至夫

 

今日は、以前から気になっていた阿見第二小学校に出向いて、校長先生や教頭先生から校歌に関する話を伺ってきました。

 

阿見第二小学校のホームページには、校歌のページがあり、作詞者の丘灯至夫のプロフィールや自筆の歌詞、作曲者の古関裕而のプロフィールや原譜(手書き)が置いてあります。

http://www.town.ami.lg.jp/0000002840.html

 

 

1981年2月に朝日中学校の校歌制定記念式典があり、古関裕而と丘灯至夫がともに参列し、屋上で記念写真に納まっています。同じコンビで作成された阿見第二小学校では、1984年11月30日に行われた阿見第二小学校の校歌制定記念式典には、何らかの事情で古関裕而は参列できず、丘灯至夫だけが参列し挨拶をしています。これは、PTAが作成したアルバムの写真で確認しました。

 

校歌作詞者の丘灯至夫

 

この記念式典の日が、阿見第二小学校の創立記念日となっています。それだけ、校歌というのは学校にとって重要なものだということが分かります。

 

現在、阿見第二小学校の児童数は、2019年(令和元年)5月現在で184名、2020年(令和2年)では172名となっています。阿見小学校に指定校変更制度により通学している児童数を合わせると200名内外の児童数となります。

 

体育館にあふれる様な児童数ですね

 

阿見第二小学校は、阿見小学校から1984年(昭和59年)に学区を分離し開校しました。当時の児童数は、458名、14学級だったということです。

 

阿見第二小学校は、町内小中学校の中で地域の支援を最も受けている学校(コミュニティスクール)の一つです。「二小サポーター」や「おやじの会」など、地域のいろいろな方が学校の環境整備を行っています。伸びてきた雑草の草刈りや木の剪定、百葉箱の修繕、グリーンカーテンの設置など、一声かければ十数人がすぐ駆けつけてくれるという頼もしい学校です。

 

ただ、校歌制定の経緯にかかわる資料は、残念ながら見つけることは出来なかったということです。