丘灯至夫記念館

あの青春ゆめ・この詩うた

 

 

連休を利用して福島県と山形県、東北南部で遊んで来ました。GoToトラベルを利用し、東北の経済活性化に寄与してきました。紅葉には、まだ早い季節でしたが、何となく秋めいて気温も風景も夏から秋へ転換したような感じがしました。

 

まず、常磐道、磐越道を通って、福島県小野町にある丘灯至夫記念館を訪れました。記念館は、郷土史史料館や美術館、公民館などがある「小野町ふるさと文化の館」の図書館の2階にありました。図書館1階のエントランス階段口に柔和な顔つきの胸像がありました。丘灯至夫は、記念館オープンに際して貴重な原稿や褒賞、机や小物、レコードなど展示品の多くを寄贈し、1993年の記念館オープンにも立ち会いました。2001年には、小野町の名誉町民第1号となりました。

 

丘灯至夫の業績に関しては、以下の小野町のホームページをご覧いただくとして、今回記念館を訪れたのは、現在、NHKで放映中の福島県出身の作曲家、古関裕而の生涯を描く「エール」に関係があります。

https://www.town.ono.fukushima.jp/soshiki/13/toshio-oka.html

 

丘灯至夫も古関裕而も、歌謡曲だけでなく全国の多くの校歌や社歌などを作詞、作曲しました。

 

古関裕而作品で阿見町に関わるものでは、戦前の「予科練の歌(若鷲の歌)」が有名です。雄翔園内には歌碑が建立されています。作詞は西條八十ですが、丘灯至夫は西條八十に師事し作詞の道に入ります。

 

そして、阿見町の阿見第二小学校、朝日中学校の校歌を、丘灯至夫作詞、古関裕而作曲のコンビで作品化しています。この話を聞いた時に、両者あるいはどちらかが阿見町とご縁があるのではないかと思いました。古関裕而の弟さんが阿見町にいたことがあるという、情報はあったものの、詳細は判明せず、結局、予科練の歌(若鷲の歌)つながりかなあと思いました。

https://ameblo.jp/sougousenryaku/entry-12603715776.html

https://ameblo.jp/sougousenryaku/entry-12486761288.html

http://www.town.ami.lg.jp/0000002840.html

 

 

丘灯至夫さんの業績は輝くばかりで、小野町の名誉町民第1号にもなっています。何度も故郷で、多くの歌手を引き連れてコンサートを行うなど音楽文化の振興にも寄与しています。最大のヒット曲は、「高原列車は行く」、舟木一夫が歌った「高校三年生」でしょう。私も中学校などのバス旅行には必ず合唱した記憶があります。

 

郷土が産んだ先人や偉人を、しっかりと顕彰して、後世にその業績を伝えることの大切さを学びました。旧実穀小学校の校舎を利活用して歴史民俗博物館、先人館などの施設を整備することが、私の議員としての夢です。