吉田正音楽記念館

戦後日本歌謡を代表する作曲家

 

 

今日(2020年8月9日)、日立市にある吉田正音楽記念館に行ってきました。

吉田正音楽記念館

http://www.yoshidatadashiongakukinenkan.org/

 

私は若い頃、ある金融機関の日立支店で働いていました。日立市はとても好きな街で気に入っていました。海岸と山が近く、高台に上ると海を行き交う大型の船が見えます。仕事を終えて、友人や恋人と海の見えるレストランや灯台の近くの喫茶店で、ロマンチックなひと時を過ごしたことを懐かしく想い出します。写真は、神峰公園にあった当時のレストランです。

 

 

吉田正は、1921年1月に茨城県日立市出身で、戦後の日本歌謡を代表する作曲家です。1998年に死亡するまでに、2400を超える作曲を残しました。国民栄誉賞を受賞しています。ムード歌謡から青春歌謡、リズム歌謡まで幅広く手掛け、鶴田浩二、三浦洸一、フランク永井、松尾和子、橋幸夫、吉永小百合、和田弘とマヒナスターズなど多くの歌手を育てました。

 

8月9日は、75年前、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)に、アメリカ軍が長崎市に対して原子爆弾「ファットマン」を投下した日です。この原子爆弾は、8月6日に広島に続いて、人類に実戦で使用された最後の核兵器となりました。それから6日後の8月15日、日本は連合国に無条件降伏し、戦争は終わりました。しかし、戦争が終わっても外地に派遣された日本兵は、直ぐには故郷に帰還できませんでした。予科練平和記念館では、旧ソ連軍によるシベリア抑留の歴史の特別展示していますのでご来館下さい。

予科練平和記念館

https://www.yokaren-heiwa.jp/

 

吉田正もまた、1942年(昭和17年)、召集を受け満州に出兵し、苦しい軍隊生活を送りました。1945年(昭和20年)10月、ソ連(現在のロシア)のシベリア地区に抑留後、1948年(昭和23年)8月に復員しました。

 

 

以下は、吉田正音楽記念館のプロフィールから

はじめに・・・

幼少より音楽が好きだった。作曲も独学で覚え、趣味で歌をつくっていた。帰国後、軍隊生活の中で作曲した「昨日も今日も」が「異国の丘」として歌われていた。あまりの意外さに、自分の作品だという実感さえなかった。

 

以後、日本ビクター(株)の専属作曲家として活動、日本レコード大賞受賞曲「誰よりも君を愛す」、「いつでも夢を」など、生涯作曲数は約2400曲(歌謡曲1800曲、校歌など600曲)。ヒット曲が200曲を超える偉業も成し遂げました。

 

吉田メロディーは、荒廃していた戦後、すさんだ人々の心を和ませ、生きる喜びや希望を与えました。また、戦争の体験は、メロディーに乗せて、現代の人々に平和の大切さ・尊さなど、多くのメッセージを残しました。歌が永遠の命を持ち、未来を照らす光となり、人々が心豊かに、平和に暮らす世の中になることが、先生の願いであったように思います。

 

こうした充実した記念館が、入場無料というのは、日立市が運営を全面的に行っているからでしょう。是非一度、足を運ばれることをお勧めします。