声低く語れ-佐川一信追悼集

 

 

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             写真は追悼集より

いま、手元に「声低く語れ-佐川一信追悼集」があります。日付を見ると昨年の8月1日発行となっており、発行から半年以上を過ぎて手にしたということになります。6百頁を超える分量で追悼文は縁(ゆかり)の方々83人から寄せられていました。写真とともに、ひと時、佐川さんに再会したような気分にとらわれました。改めて、佐川一信元水戸市長の遺した業績を再確認いたしました。追悼文には、知っていることも、知らないこともたくさん書いてありますが、そのどれもが佐川一信という人を深く愛し志半ばで逝ったことの愛惜の念で埋められていました。自民党茨城県連会長の山口武平氏は「佐川さんに一度茨城県の知事の座に就き、ユニークな県土づくりを見せていただきたかった気もします」と書いていますが、誰もが共通した想いではなかったかと思うのです。

佐川さんの水戸市長在任中は、私自身はちょうど那珂町議会議員として地方自治に関わり始めたころで、隣接県都の首長であり高等学校の先輩ということもあり、また佐川市政が打ち出す自治体政策の先進性には多くのことを学ばせていただき、多大な影響を受けました。地方自治を担う先輩として大いに尊敬もしておりました。

佐川一信元水戸市長の追悼集が編まれているという話は、昨年初あたりから聞き及んでいて、友人にも原稿依頼があったと聞いておりました。

もし原稿依頼があれば、どうしても書いておきたいことがあり人伝に伝えてはいたのですが、残念ながら私への原稿依頼はお呼びがかかりませんでした。これまでも佐川さんに関しては、何度か新聞への投稿などで「想い」を書いてきましたので心残りというわけでもないのですが、93年の知事選挙に関して3党3団体という枠組みで県知事選挙をめぐる非自民の各党各団体の協議に参加しておりましたので、そのことは是非とも書き記しておきたいと思ったのです。誰がどのような言葉を発し行動をしたのか、協議は延々と続きながら明確に「佐川外し」が行われていったことなど、追悼文をもってしても書けないことがたくさんあるということでしょう。


http://www5.ocn.ne.jp/~umino/ikensyucho.htm#8

今回の追悼文でも、現参議院議長の江田五月氏がそのあたりの経緯について若干触れております。江田さんとお会いした佐川さんの苛立ったような姿が目に浮かびます。しかし、この点に関しては、また改めて記録として残そうと思っています。

されば,われを揺り起こすなかれ・・・・・
          物曰ふなら,声低く語れ!
            -- ミケルアンジェロ