思い付きでタイトルをつけましたが、この二つに相関関係があるかないかという話ではありません。ただ私が感じたことをつらつらと書き流していきます。
(つづく)
思い付きでタイトルをつけましたが、この二つに相関関係があるかないかという話ではありません。ただ私が感じたことをつらつらと書き流していきます。
(つづく)
Q.小学2年生の母親です。私は国語、特に読解問題が苦手でした。だから、我が子には今のうちに読解力をつけさせたいのです。
A.お気持ちはわかりますが、小学校低学年のうちから読解力をつけさせようとしないでくださいね。それより、たくさんの体験をして、体験を言葉にして、生きた語彙を増やしてください。そうすれば世界がどんどんクッキリと見えてくるので、子どもは世の中に興味を持ちますし、ゆくゆくは読解のための貯金になりますよ。
人間の脳には発達段階があります。物事を筋道立てて考えることができるようになるのは10才ごろと言われており、これは私も実感しています。9才より前は、子どもは主観と本能の世界の住民(要するに自由気ままということです)であり、客観と理性(自由を強く規制するということです)が必要な「読解」は脳の発達上難しいのです。
「栄養があるから」という理屈で歯が生えていない子どもにステーキを食べさせるお母さんはいませんよね。早い時期に本格的な読解を強いるのはこれと同じです。
そういうわけで、私が本格的に読解指導をするのは小学4年生から。それも長文を解かせるのではなく、短文要約などから段階的に読み方を教えていきます。
その前段階の小学1~3年生では、読解問題をさせる必要はありません(国語嫌いになる可能性が高くなります)。それよりも、生活体験と暗記に比重をおいてください。いろいろな物を見聞きし、友達や大人とたくさんふれ合って、数多くの体験をさせてあげてください。それが心の柱になりますし、国語力の源になります。
あとは体験と結び付けて暗記に力をいれてください。具体的に言うと「生活の中でたくさんの言葉を覚えよう」ということです。例えば当該学年の漢字や、教科書の音読で言葉を覚えるのはもちろん、日常生活で子どもの目に映る物について、まわりの大人が教えてあげるとよいですね。
語彙に関しては、「詰め込みすぎ」はありません。実際の経験、読書、読み聞かせなど、子どもの興味にしたがってどんどん言葉を覚えさせましょう。たくさん言葉を覚えるほど、賢い子になります。また、多くの言葉を知ることで、子どもが見ている世界にも良い変化が生じます。
まだ言葉をしらない子は、目の前の世界を漠然としか捉えることができません。「『ぶっぶー』がはしっているね。」と言う子は、四輪で音を立てて動く物を、全てそう捉えてます。動く物はすべて「ぶっぶー」であり、どんな車種かもわかっていません。靄(もや)がかかったものを見ているように、対象物を漠然と理解しているだけ。
そのうち、「くるま」を覚え、「赤い車、水色の車」「トラック、バス」「軽自動車、ワゴン車」「トヨタのプリウスα、ニッサンのスカイラインR33」など、より具体的に区別していくことで、対象物を明確に捉えることができます。ここまで語彙が増えると、車に関しては以前より正確に理解しているといえるでしょう。言葉を知るとは、物事を正確に捉えるということです。そして物事を正確に捉えることで、目の前の世界はどんどん明瞭になってきます。
世の中にあるものは、全て何らかの意味を持っており、それらを多く知ることで、子どもにとっては「世界」が広がっていきます。
また、言葉を増やす(=語彙力をあげる)と思考力も上がります。考える、とはすなわち自己との対話です。その対話に使われる言葉が豊富で、さらにいえば難しいものであれば自然と思考力は向上し、緻密な考え方もできるようになります。「賢い子は難しい言葉をよく知っているなあ」と感心した経験は、誰しもあるのではないでしょうか?
この頃までに覚えた言葉は、後々文章を正確に読むための手がかりになります。逆に、語彙力が乏しい子はそもそも書かれている言葉がわからない事が多いので、適当に流して読みます。こうなると読解力以前の問題ですよね。
語彙力のある子は、10歳を過ぎた頃には文章もだんだんクッキリと読めてきます。先程の「世界が明瞭に見えてくる経験」と同じように。ですから、小学校低学年の頃までは読解問題なんてさせずに、出来るだけ多くの生活体験をし、声をあげて本を読み、興味にしたがって、多くの言葉を覚える子に導いてあげてくださいね。そうすれば、そのうちに長文問題だけでなく、世の中を読み解こうとする子になりますよ。こうなれば国語力の土台はできたようなものです。ぜひ家庭でも語彙力アップに取り組んでみてください。
数年前の映像です。コロナ禍の動画ですのでみんなマスクをつけていますね笑。
今改めて見ると、私の塾がどんな雰囲気かわかるなあと感じます。
着飾っていない、普段の風景。
取材していただいたジュクタンさんに感謝です。
ご参考になれば幸いです。
本年度の合格実績確定版です。後期でお茶の水女子大学を受験した子からの合格連絡がきました。全員が第一志望合格というわけではありませんが、皆の進路が確定し、胸をなでおろしています。新たなスタート地点に立った皆さん。今後とも応援いたします。おめでとうね。
2026年合格実績
<大学> 計22名
■国公立
東京大学 法(昭和薬科)
お茶の水大学 理(昭和薬科)
東京外国語大学 言語文化(球陽)
東京海洋大学 海洋生命(コザ)
名古屋大学 法(球陽)
長崎大学 経済(球陽)
琉球大学 6名
国際地域 4名
人文社会(普天間)
教育(普天間)
沖縄県立芸術大学 音楽(開邦)
■私立
上智大学 法(カトリック)
明治大学 法(開邦)
立教大学 文(沖縄尚学)
中央大学 経済(球陽)
日本大学 芸術(コザ)
関西学院大学 商(球陽)
沖縄国際大学 3名
法(沖縄尚学)
社会福祉(陽明)
経済(普天間)
福岡大学 薬(沖縄尚学)
<大学院>
琉球大学大学院 人文社会科学研究科
<専門学校>
浦添看護専門学校
ぐしかわ看護専門学校
<高等学校>
中央大学附属高等学校
西南学院高等学校
<中学校>
琉球大学附属中学校 2名
大阪桐蔭中学校
弘学館中学校
興南中学校
ロックバンド、GLAYの「誘惑」が発表されたのは、私が大学生だった1998年4月末でした。
文芸学の講義中、教授が雑談的にこの曲に触れて「時に愛は二人を試してる Because I love you」と歌詞冒頭を板書し「『愛は時に』ではなく『時に愛は』だからタイミングによって愛が揺らぐ不安定さが強調されるし、聴き手に強く印象を残す。前後の順番を変えただけで詩に深みが与えられる」と構造を称賛しました。
年配なのに若者の歌を聴き、美点を発見する柔軟な感性が印象に残りましたね。こういう大人になりたいなあと思いつつも未熟な私はなぜそう感じたのかはわかりませんでした。
今振り返るとこれが「教養」の一端なのだと思います。
①知識、経験が豊富な人は世界の解像度が高く、視点も俯瞰的ゆえ人が見落としている物事を発見する。
②点と点の関連性にも気付く。そして自身の考えを第三者に説明する能力が高い。
③固定観念がなく、新しいものを受け入れる好奇心がある。
教授の発言にはそれがにじみでていた。
だから今も覚えているんだろうな、と28年たってふと思い返してみました。
本年度の合格実績です。この後少し追加があるかもしれません。
今年は前年より生徒数は少ない中、皆がんばってくれました。
東大推薦合格の子は中学生の頃から説明力と修正力の高さが抜きん出ていました。きっと私の塾に通っていなくても合格したでしょう。
2026年合格実績
<中学校>
琉球大学附属中学校 2名
大阪桐蔭中学校
弘学館中学校
興南中学校
<高等学校>
中央大学附属高等学校
西南学院高等学校
<大学> 計21名
■国公立
東京大学 法学(昭和薬科)
東京外国語大学 言語文化(球陽)
東京海洋大学 海洋生命(コザ)
名古屋大学 法学(球陽)
長崎大学 経済(球陽)
琉球大学 6名
国際地域 4名
人文社会(普天間)
教育(普天間)
沖縄県立芸術大学 音楽(開邦)
■私立
上智大学 法学(カトリック)
明治大学 法学(開邦)
立教大学 文(沖縄尚学)
中央大学 経済(球陽)
日本大学 芸術(コザ)
関西学院大学 商(球陽)
沖縄国際大学 3名
法学(沖縄尚学)
社会福祉(陽明)
経済(普天間)
福岡大学 薬(沖縄尚学)
<大学院>
琉球大学大学院 人文社会科学研究科
<専門学校>
浦添看護専門学校
ぐしかわ看護専門学校
合格発表の日は楽しみであり、不安でもあります。
本日から国公立大学前期日程の合格発表が始まりました。
東京外国語大学、琉球大学、沖縄県立芸術大学を受験した生徒たちから合格連絡が届き、胸をなでおろしております。
しかしまだ発表を控えている子や連絡がまだの子もいますので、気を引き締めて明日も平常心で授業を行います。
やっぱり私この仕事が好きですね。
天職だと感じます。
国語専科塾を立ち上げた10数年前、「教員採用試験対策の国語を教えてほしい」と若い女性が訪ねてきました。彼女は大学卒業後に国語教師を目指して公立学校教員候補者選考試験に挑んだが、心ならずの結果だったため、基礎から学びたいと飛び込んできたのです。というわけで、現代文、古典、小論文を一から指導しました。
彼女は大変な努力家で、こちらの説明に深く耳を傾けては熱心にメモを取り、内容を反復して即暗記するほどでした。結果、高倍率の試験を突破し、中学校の正規教員として採用されます。
現在、彼女は「キャロットアイランド」と呼ばれる津堅島の学校に奉職しており、毎年この時期に旬のにんじんを届けてくれます。合格して10数年経ても、こちらを気にかけてくれる律儀な優しさをとても嬉しく思います。
この島のにんじんは糖度が高くて美味ですが、ほとんどが飲食業関係へ出荷されるので、一般市場に出回ることはほぼありません。にんじんしりしりにするとホクホクして、とてもとても甘い。子どもたちと美味しくいただきました。
(以前書いた話をまとめたものです)
古文を教えていると、多くの生徒が苦手とする分野が「敬語」です。確かに本動詞・補助動詞の識別や、主体・客体の区別などやや複雑なので気持ちはわからなくもない。ただ、年々感じるのは、そもそも「古文敬語の前に現代敬語ができていない子が増えている」です。敬語ができていない子に、古文敬語が理解できるはずはありませんので、そういう子はここから学習させています。
尊敬語についてはまだ日常で使用する機会があるので、修得にさほど難はありません。問題は謙譲語です。多くの子が謙譲語を使えません。中には謙譲語の概念すらない子もいます。この傾向は年々増加しているように感じます。
特に子どもたちの中で消滅しつつあると感じるのが「(お)~申し上げる」という補助動詞の謙譲語です。
たとえば「宜しくお願い申し上げます」のように、動詞(ここでは「願う」)にくっついて補助的な役割を果たす謙譲語のことですが、この言葉を知らない子が随分増えました。
指導中、生徒にこう尋ねることがあります。
「今から単純なクイズをするよ。今から言う動詞を(連用形に変換して)『お~申し上げる』と組み合わせて発音してみてね。」
「聞く」→正解は「お聞き申し上げる」
「…?」
「伺う」→正解は「お伺い申し上げる」
「…?」
と、こんな状況になります。単純に二つの言葉を結ぶだけなのですが、彼らの中に「お~申し上げる」という言葉が内在せず、口に出せないのです。
よって、古文敬語
「見奉る」「(歌を)仕うまつる」の現代語訳、つまり解答の
「お見申し上げる」「(和歌を)お詠み申し上げる」
を、実は理解できていなかったりします。
ですから、現代文法の敬語から説明し、演習や口頭での発音練習を行い、謙譲語をマスターした後に古文敬語へ入ります。
こう書くと、中には「古文の前に、そこまで日本語の復習を行わないといけないのか?」と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、この傾向は強まっています。
2026年現在、「古文」は実質消えた日本語と言えますが、そのうち「謙譲語」も日本語から消えるかもしれません。
…何だか暗い話になってしまいました笑。
それでも私は楽しく古文を教え、この仕事を続けてまいります。
皆さま、何卒宜しくお願い申し上げます。
本日、国公立大学2次試験の前期日程が行われます。
全員の合格を祈りつつ、新受験生の授業準備を行います。
この仕事に終わりはありませんが、目標へ向かって一生懸命な、情熱ある若人たちと過ごせる点が好きです。