令和6年(2023年)1月3日(水曜日)号:

 

 

◆謹賀新年◆

 

 

御正月を迎え、年賀状も、書かない人が増えましたが、

 

●「早稲田大学・英文科」の同級生

 

からも、何通か、届いています。

 

 

その中で、

 

・・・・・・十年以上振りに、

 

●「早稲田大学、第一文学部、英文科1987年卒業のOB/OG」だけの「同窓会」

 

を、そろそろ、開きませんか。。。。という「提案」らしき声

 

が、出てきました。

 

 

・・・・・・昨年2023年に、

 

たまたま中沢十志幸くんと電話で話す機会があったのですが、

 

確か、「もう、当分は、いいんじゃないのかしら?」といった漠然とした話をしたような気も。。。。

 

 

・・・・・・でも、一応、

 

◆「早大一文英文1987卒同窓会」という名称で「早稲田大学の稲門会」にも「正式に登録」

 

されているようで、

 

◆わたし:井川治久が「幹事長」で、時本真吾くんが「副幹事長」で、当初に登録したままに

 

なっているようですので、

 

★当同窓会の集まりを「開きたいという声」があるのならば、

 

★「開きたい女性陣」に、手伝ってもらって、開いてもイイですよ!

 

ということです。

 

 

・・・・・・ただし、問題なのは、

 

◆「早大一文・英文科・1987年卒OB/OGの同窓会」の「第9回」は、「2011年」の開催

 

でしたし、

 

▲その後、「住所」も「メアド」も、変わってしまった人も多く、「名簿」もナイので、

 

▲「電話やメールのつながりのある人」で、しかも、「同窓会をやりたい人だけ」で、開くのが限界でしょう。

 

 

 

・・・・・・我が母校の開成高校の「ボクらの学年の同窓会」のように、いまだに、40パーセントも集まっている同窓会は、マレのようです。

 

・・・・・・早稲田大学・第一文学部の我らの英文学科は、大学4年生(★1986年の秋)のときに開いた「浅草の豚八」での卒業記念パーティーに「70~80人」ぐらいだったか、集まったのが、最大でしょう。このパーティーのときに「★配布した名簿」に「125名」ほどが掲載されていました。その後、品川駅のそばの高輪プリンスホテルで、「★御世話になった早稲田大学教授陣」を招待してその多くが参加した「謝恩会」が開かれたときが、もう記憶も曖昧ですが、▲英文科全員は集まらず「100名前後の参加」だったと思います。

 

・・・・・・卒業後の「一文英文科1987年卒同窓会」は、これも、もう記憶から消えつつあるので、数値がでませんが、最大で「25名ぐらいの集まり」だったか。

 

・・・・・・さらに、その後は、「そんなに、無理して、開かなくても」なんていう「声」も上がり、

 

◆2011年の「第9回」をもって、・・・・・・その後、開こうとしていなかった。

 

▲2024年の今や、・・・・・・年賀状をもらう人以外は、・・・・・・すべて、忘れ去っていましたとさ!!!

 

 

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★でも、でも、「開きたいという声」を、はじめて、年賀状で、知ったので、

 

御正月が過ぎたら、「電話」して、話してみましょうかね!!!

 

 

(幹事長:井川治久。井川塾、塾長。豊島区の生まれ、豊島区在住。)

TOKYO,JAPAN

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(追記):

幹事の手島さんと2024年1月6日に電話で12年以上ぶりに話しました。「いずれ一度は開こうか」と。(幹事長:井川)

 

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